見出し画像

とてつもなく素晴らしい(2003)

2003年に行われたピナ・バウシュへのインタビュー記事を翻訳しました。トルコのイスタンブールで生まれた作品であるNefés(『息吹』)の制作について語っています。

2003

ある都市、国、風景、そしてそこでの人々との出会いから受ける印象を、どのようにダンスシアター作品の形に変えるのか?一つの世界全体が、どうやって舞台の大きさに縮小されうるのか?とんでもない、とピナ・バウシュは数多くのインタビューでくり返し強調した。「ダンス作品の中にはいつも、何かとても小さなもの、ほんの一部分だけが現れ出るのです」とピナ・バウシュは、イスタンブールで会ったジャーナリストのディルク・フーリヒにも説明した。国際共同制作作品を引っ提げて、彼女はヴッパータールでの初演の後、インスピレーションを与えられたその都市へ戻ったーそのように、2003年もNefés(『息吹』)を伴ってイスタンブールへ戻ったのである。

とてつもなく素晴らしい

雑誌「バレエ−ダンス」、2003年8・9月号

対談相手:ディルク・フーリヒ

ディルク・フーリヒ:ピナ・バウシュさん、今回はトルコです。あなたはダンス発見の旅で世界中をまわるなか、昨秋は舞踊団とともに数週間ボスポラスで探究調査をしていました。それに続いて生まれた作品は3月にヴッパータールで初演されました。そして今、イスタンブールで初演を迎えました。イスタンブールでの上演には満足しましたか?

ピナ・バウシュ:そのような質問を、上演の後に二度としてはいけませんよ。私たちがどこにいても、それがヴッパータールであろうと他のどこであろうと、まずは演じたということで少し安堵しています。他のことはすべて、批評を見れば再度わかるでしょう。

ディルク・フーリヒ:ヴッパータールでの初演のあと、イスタンブールでの上演のために何か変更しましたか?言葉は別として。

ピナ・バウシュ:いいえ。おそらくタイミングは定まりました。でも、事柄はそのままです。私たちのもとで作品が生まれるとき、あまりにも早く現れ出てくるので、まだ少しもはっきりと分かっていませんでした:一体何が生まれたのか?たぶん今になって、ようやく理解し始めました。

ディルク・フーリヒ:なぜイスタンブールなのですか?

ピナ・バウシュ:感じることがないときは、何かを作るわけにはいきません:しばらく前、私は休暇の一部をここで過ごしました。一度この町を訪れたら、もうここから逃れることはできません。ここは現存する最も美しく幻想的な町の一つです。戻ってくることは大きな願いでした。イスタンブール・フェスティバルで作品を上演するというお誘いを2年前に受けたときー当時はFensterputzer(『窓ふき人』)をやったのですが、私は大変喜びました。私たちがついにここへ来たとき、それは観客との、そして劇場の人々との素敵な出会いとなりました。とてつもなく素晴らしいことです。

ディルク・フーリヒ:町の何があなたをそれほどまでに魅了したのですか?

ピナ・バウシュ:この町は果てしなく広く、終わりがありません。どれほど体験しても、見ても、町のほんの一部しか味わっていないという気が常にします。それはまさに、この場所の驚くべきことでもあります:全てがあるということです。そしてその逆と。ダンス作品には、いつも何かほんの小さなもの、一部分だけが現れうるのです。他のあらゆること、私がいつも心に抱いていることは、きっと他の作品に影響を及ぼすでしょう。それには手を加えなくてはなりません。混ざっていくのです。

ディルク・フーリヒ:町で調査はしましたか?

ピナ・バウシュ:「調査」はとても学術的に響きますね。私たちは一つのリハーサル室、大学のとても素敵な練習部屋を使いました−小さな部屋です。そういったものは地元にはありません。そこで私たちは何日も過ごしました。そして私は、表面的なことや観光的なものだけを見ないということに重きをおきました。また、いつも少人数のグループで出歩いていました。

ディルク・フーリヒ:例えばどこですか?作品中にはっきりと見られる、ハマムは間違いなく見たでしょうね。

ピナ・バウシュ:ええ、そうね、ハマムー何を話したらいいかしら、何もかも些細なことなので。2つや3つの名前を挙げたところで何になるでしょう。あなたにはどうすることも出来ません。最も素晴らしいことは、いずれにせよ話すつもりはありません。ここではあらゆる場所に、人情のある客好きな人たち、素敵な人たちがいたーそして:美しい人々がいました。とても美しい人々が…。

ディルク・フーリヒ:月並みながら:そこでは完全に自由でしたか?

ピナ・バウシュ:私たちはどうも抽象的に話していますね。もちろん全くもって自由でしたよ。

ディルク・フーリヒ:文化に関する敏感な反応ーあるいは先入観もなかったですか?

ピナ・バウシュ:それは私次第ですね、私がそれをどう扱うか。誰も私に指図はしませんでした。また、そうでなければ私はやりもしないでしょう。私のカンパニー自体が、すでにかなり多文化的です:17の異なる国籍をもつ30人のダンサーがいます。トルコ人のダンサーはいません。まだいないです。でも、トルコ語ができるギリシャ人はいます。

ディルク・フーリヒ:次のプロジェクトは?

ピナ・バウシュ:日本です。


【出典】Bausch, Pina: O-Ton. Pina Bausch, Interviews und Reden. Hg. v. Koldehoff, Stefan/Pina Bausch Foundation. Wädenswil (NIMBUS. Kunst und Bücher AG) 2016.