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意欲は、そして好奇心は絶えず補われる(2003)

2003年に行われたピナ・バウシュへのインタビュー記事を翻訳しました。ヴッパータール舞踊団がバーゼルにて、Der Fensterputzer(『窓ふき人』)を上演した際のものです。括弧内は筆者による補足説明です。 2003 ピナ・バウシュをバレエ監督として招いてから、アルノ・ヴュステンヘーファーは一年間、ヴッパータールの劇場の総合監督としての彼の役目を終えたいと思っていた。1974年に彼は、1975/76シーズンからバーゼルの劇場を率いるというオファーを受けた。しかし実際

    • とてつもなく素晴らしい(2003)

      2003年に行われたピナ・バウシュへのインタビュー記事を翻訳しました。トルコのイスタンブールで生まれた作品であるNefés(『息吹』)の制作について語っています。 2003 ある都市、国、風景、そしてそこでの人々との出会いから受ける印象を、どのようにダンスシアター作品の形に変えるのか?一つの世界全体が、どうやって舞台の大きさに縮小されうるのか?とんでもない、とピナ・バウシュは数多くのインタビューでくり返し強調した。「ダンス作品の中にはいつも、何かとても小さなもの、ほんの一

      • 意欲を蓄える(2003)

        2003年に行われたピナ・バウシュへのインタビューです。括弧内は訳者による補足です。また、作品名には二重括弧をつけてあります。 2003 2000年代のはじめ、幾人かの批評家や専門家は、ピナ・バウシュの作品に内容的な変化が見て取れると考えていた。ヴッパータール舞踊団が2003年に、スイスの 「バーゼルは踊る」という催しでDer Fensterputzer(『窓ふき人』)を上演した際にも、批評家のエステル・ズターはバウシュに行ったインタビューの冒頭にこう書いた:「バウシュの

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