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意欲は、そして好奇心は絶えず補われる(2003)

2003年に行われたピナ・バウシュへのインタビュー記事を翻訳しました。ヴッパータール舞踊団がバーゼルにて、Der Fensterputzer(『窓ふき人』)を上演した際のものです。括弧内は筆者による補足説明です。

2003

ピナ・バウシュをバレエ監督として招いてから、アルノ・ヴュステンヘーファーは一年間、ヴッパータールの劇場の総合監督としての彼の役目を終えたいと思っていた。1974年に彼は、1975/76シーズンからバーゼルの劇場を率いるというオファーを受けた。しかし実際には、そこでの助成金がかなり削減されるということが、話し合いの際に彼には隠されていた。彼の発表した公演予定表もまた批判された。ヴュステンヘーファーはすでに、スイスのラジオ放送局に対して作品とアンサンブルのキャストについて話していたが、結局は署名しなかったと週刊紙の『ディー・ツァイト』(Die Zeit)はのちに約説している:「彼は騙されたので、契約をしなかったのだ。」その監督(ヴュステンヘーファー)は彼のバレエチーフ(バウシュ)に、一緒にスイスへ移らないかと申し出たらしい。ピナ・バウシュは断った - 理由はいろいろあるが、バーゼルでは彼女の仕事が十分に評価されないだろうと感じたからだ。それについて彼女は、ヴッパータール舞踊団が2003年に「バーゼルは踊る」という催しにDer Fensterputzer(『窓ふき人』)で客演した際に、ジャーナリストのマルティーナ・ヴォールタートにも話している。

意欲は、そして好奇心は絶えず補われる

バーゼル紙、2003年9月18日

対談相手:マルティーナ・ヴォールタート

マルティーナ・ヴォールタート:あなたは舞踊団とともに、公演の二日前にバーゼルへ来ましたね。ゲスト公演にはどのような準備が必要なのですか?

ピナ・バウシュ:技術スタッフが舞台を設営しなくてはなりません。自分たちの舞台であるかのように、劇場を専用のものにする必要があります。私たちは前もってゲネプロのようなことをします。うまく行ったときは単純に嬉しいです。(笑う)まだわかりませんけど。

マルティーナ・ヴォールタート:Der Fensterputzerはどのように生まれたのですか?

ピナ・バウシュ:私の場合、いつもタイトルはだいぶ後になってからつきます。この作品には中国語の題目をつけたかったのですが、翻訳しようとすると多様な意味があって…。まあいずれにせよ、のちにはDer Fensterputzerになりました。実を言うと、タイトルを説明するのはあまり好きではないのです。でも、「窓ふき人」という言葉は多くのことと結びつくと思います。外側から内側を、あるいは内側から外側を見てみたら、ひょっとするとそうかもしれません。沢山の事柄が、その言葉と繋がっているのです。ただ、私がいま何かを挙げると、それは固定されてしまいます。そう、とある瞬間や、どこかの誰かが、いわゆる一人の窓ふき人がそこに存在するということです。でも、それが理由ではありません。私が何かを説明する必要があるよりも、何かを想像できる方がいいと思います。

マルティーナ・ヴォールタート:あなたの作品は旅の間に生まれますね。異文化の何が着想を与えてくれますか?

ピナ・バウシュ:私たちはとても沢山の旅をします。どこかに滞在し、ただの観光客ではなく、そこで仕事をして、人々と繋がりを持つというのはとてつもない幸運です。招いてくれる人たちは、私たちに国のことを知ってもらいたがっていて、多くのものが手に入るようにしてくれます。音楽や歴史、そして友人などです。だからそれは、ごく緊密な関係なのです。人が構築できる繋がりは、そう、信じられないほどの財産です。ですから、もしそれがなければ、30年間ヴッパータールに留まることができたかどうか分かりません。意欲は絶えず補われるのです。好奇心もそうです。全くもって何も分からないし、あらゆることについてもっと知りたいという気持ちがあります。そして実際、あとから作るものは、何もかも非常にちっぽけです。それは悲しいことです。私はいつも自分自身に対して、本当にがっかりしています。最終的に作り出せるものよりも、私の思いは遥かに大きいのです。印象の多くは、かなり後になってからようやく作品中に入り込むこともあります。

マルティーナ・ヴォールタート:あなたの作品には台本がなく、リハーサルの過程で生まれています:あなたとダンサーたちとの共通の基盤はどこにあるのですか?

ピナ・バウシュ:人生の中に、愛の中に…。私たちが望むことはすべて、他の人々も望んでいます。それは、さほどかけ離れてはおらず、とても近いものです。

マルティーナ・ヴォールタート:あなたの作品は、ここ数年の間に落ち着いてきたと言われていますが…。

ピナ・バウシュ:何か似たようなことについて、どのように語りたいかというのには、別の方法もあったりします。やり方は違うのですが、その理由は  - わかりません、それほど変わったのかどうか。とはいえ、作品は絶えず変化しています。それは制作をする時代と関係があります。はっきりと自覚すること:今日この世界において、私がどう感じているのかを。振り返って見たとき、それを把握するのに随分と遠回りをすることもあります。すると突然、どれほど易しくなるかに気がつき、それからまた違うとわかったりします。でも、気づくのは後になってからだけです。やっているその時にはわかりません。しかも全くわからないのです。

マルティーナ・ヴォールタート:ダンス都市であるバーゼルとは何が結びつきますか?

ピナ・バウシュ:私たちはまだ僅かしかここにいません。もちろん、この催しのためにバーゼルへ来て欲しい、という手紙をシュペルリ氏がくださったことは、とても嬉しかったです。本当に素晴らしいことだと思います。というのも、彼がデュッセルドルフにいた時は本当に忙しくて、私も仕事が多くて - 私たちはきちんと会えていなかったのです。

ほかには、私をいつかバーゼルに連れて行きたかったとかいうヴュステンヘーファー氏にまつわる大昔の話くらいしか、バーゼルとの関係はありません。それに誰もがこう言いました:お願いだから、バウシュはやめてくれと。ただ、私も全くそのつもりはありませんでした。私はヴュステンヘーファー氏が非常に好きでした。というのも、彼が私たちをヴッパータールに連れてきてくれたからです。でも私は、そこでちょうど始めたばかりでした。立ち去るには早すぎる感じがしたのです。ところが、私は反対に遭いました。それは実のところ問題にならなかったので、それほど応えませんでしたが。それに私自身、あまりにも遠慮がちでした。自信がなかったのです。むしろ、きっと彼らが正しいのだと思っていました。こんな新米の相手をする人なんていませんよね?(笑う)それにしても、もう30年前のことです。今となっては笑い話にできますね。


【出典】Bausch, Pina: O-Ton. Pina Bausch, Interviews und Reden. Hg. v. Koldehoff, Stefan/Pina Bausch Foundation. Wädenswil (NIMBUS. Kunst und Bücher AG) 2016.