幼少期編1 完璧主義者な母
私の家は4人家族で、3歳離れた姉が1人いる。
父親は仕事がいつも忙しく、帰宅は23時以降になることがほとんどであった。母親はパート等はしておらず、いわゆるワンオペ育児状態であったように思う。
しかし、そんな中でも家はいつも綺麗だった。食後に食器類は必ずと言っていいほど洗われており、床はごみやほこりが気になったことは一度もない。洗濯も、色物等を分けてしっかりと洗っていた。だからこそ、そんな完璧主義者の母親だからこそ、姉と残った少ない愛情を取り合わなければならなかったのかもしれない。
家事をしっかり行う母親
上記だけ読むと、本当に素晴らしい母親のように思う。実際、私は母親のことを物凄く嫌っているというわけではない(職業柄、そのように思い込もうとしている部分もあるかもしれない)。
しかしながら、私には母親とおままごとをしたりおにごっこをしたり等、一緒に遊んだ記憶はない。最初に3歳離れた姉がいる、との表記をしたが、姉と2人で遊んだ記憶はあっても、母親と遊んだ記憶はないのだ。
そんな中でも覚えているのは、姉と2人で母親に構ってほしくて、手紙を書いた。手紙には、「〇〇を見てみて」のように探し場所を記載し、絵本を置いておくというものだった。そして絵本を集めていき、絵本のタイトルの頭文字を並べると、「ありがとう」の文字になる。確か、そのような内容の絵本が実際にあって、それを真似たように思う。
きっと、お母さん喜んでくれるよ、びっくりするかもしれない、そんな淡い気持ちがあったが、母親は掃除機をかけながら手紙を一瞥するだけで、絵本を探してはくれなかった。幼心に寂しかったのだろう、次第に姉と母親の取り合いになっていった。
母親に話を聞いてほしい
母親は常に忙しそうであった。しかし、子どもは今日の出来事、楽しかった、面白かったこと、母親に話したいように思う。特に、私の父親は帰ってくるのが夜遅く、たまに早く帰ってきて話かけたとしても
「パパは疲れているんだから、話しかけるのはやめなさい」
と言われたものだった。
だからこそ、母親に話しかけるのだがそれは姉も同じだったのだろう、
「今私が話してるんだから、よるは話に入ってこないで!!」
そう怒られた。
それでも話かけると、姉に叩かれたり殴られたりした。
次第に自分から母親に話しかけることは減っていき、自分のことは全然話さない子に育った。また、母親が友達母と電話で
「よるは全然自分のことを話してくれないのよね。姉ならたくさん話してくれるんだけど」
と言っていた。話さないんじゃなくて話せないんだ、母はそれを理解してくれていない、ということに非常に悲しくなった。
この頃の写真を見てみると、いつも泣いているか、ムッとした表情をしており、全然かわいくない。大人になった今では、あの頃の自分を抱きしめてあげたいように思う。
過去を経た現在
そんな過去の経験を経て、どうなっているかというと、私は今でも重大なことは母親、父親には話さない。日常的なことでも、向こうから問われれば答えるが、積極的に話すことはない。
話したくない、という気持ち、どうせ理解してくれない、という気持ち、どうやって話せばいいのかわからない、という気持ち。
様々な気持ちが混ざり合って話せない、話したくない。
また、中高生の時にこのようになった原因が別にあり、現状に拍車をかけてしまったのだが、それはまた別の機会に書こうと思う。
今、子育てをしているお父さん、お母さんは忙しくても、子どもの話を聞いてあげてほしい。また、そのときが忙しければ、
「さっきは忙しくて話せなくてごめんね。今話そうか。」等、
フォローを入れてあげてほしい。
子どもは子どもながらに親を見ていて、子どもなりに考えて行動をする。
自分が親になったとき、このときの寂しさや辛さを忘れず、子どもに向き合ってあげたいと思う。
今、私はそのまま大人になってしまい、この寂しさ、辛さの感情のやり場をどこにも向けられず、苦しんでいる。
そういうとき、何が辛いのか、しんどいのかを書いて、整理して感情を消化させているのですが、またそれも別の機会に話せたらと思います。
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