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 【小説】吾輩は猫だった(2)

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 主人の房之介はスタジオの経営をしている。音楽レンタルスタジオである。今日もヘンテコななりをした茶髪の若い子達がドンチャンしている。時代はパーシャルなのだから仕様がないが、吾輩の様な明治生まれには頓と見当付きかねる。

 スタジオと云っても、たいしたスタジオではない。国鉄の要らなくなったおんぼろ貨物車両を、何処かからか持ってきて、スタジオにしているのである。それが二つばかりあり、それぞれを第一スタジオ、第二スタジオと呼んでいたりはするが、スタジオとして機能しているのは第一だけであって、第二の方は喫茶室と化している。どうやら、主人がスタジオにする前は、何処ぞでカラオケボックスとして使われていたらしい。

 これ等は、吾輩が信頼をおく友人から聞いた話であるので、吾輩は鵜呑みにしている。

 その友人は犬ではない。ヤモリである。伊馬把家で寝食を共にする、謂わば、家族でもある。家族であって先輩でもある。吾輩が此処に落ち着く前から伊馬把家の一員である。一員であっても家族には無視されている。と云うより出来るだけ目立ちたくない様子である。目立ちたくない様子と言えども……、まぁ、よい。兎も角、ヤツは爬虫類で、『ヤモリの守太』と云う。

 ヤツも元は猫だったそうだ。『内田ノラ』をご存知であろうか? 吾輩が猫だった頃の主人、夏目漱石の弟子、内田百閒、の飼い猫だった、あの『ノラ』だと云う。ヤツは猫のくせに、余りにもの百閒の猫可愛がりに嫌気がさして、家出をしたところ、次に居着いたのが三味線職人の家だったが為、あえなく猫の寿命を全うしたのだそうだ。――思うに思えば、ヤツの猫としての運命とは、ほとほと気の毒なものである。

 ――猫の頃には、百閒の親友の宮城道雄が弾く三味の調べに耳を塞ぎ、家出した先が三味線屋。爬虫類に転生し着いた先が、これまた三味線をも教える琴の先生の家。しかも、その先生の琴・三味線の流派が宮城流だと云うから、宿命と縁は、異なもの苦味なものである。無論、先生とは主人房之介の母上の事である。

 ノラが、せめて昔の名前だけは嫌だと云うので、吾輩は守太と命名してやった。守太はよくスタジオや主人の部屋に忍び込んでいるので、その狭い巷間で繰り広げられる浮世話をよく存じている。それを吾輩に詳しく教えてくれるのだから、吾輩の身にもなる。

 この際だからもう一匹、友人を紹介しておく。『蚤の紋太』だ。こいつは、いつだったかに、吾輩が散歩している時、断りもなく密かに吾輩の背中に飛び乗り、その後、悪びれた様子もせず、ずっと今の今まで寄生している頓でもないヤツである。こいつもやっぱり、元は猫だと云う。確かメリケンなんとかキャットだか、メリケンキャットなんとかで、アーネスト・ヘミングウェイに可愛がられた六本指の『ダイキリ』だと、ヤツは云い張る。折角、日本蚤に生まれ変わったのだから漢字の名前が好ましいと云うので、これもまた吾輩がセンス宜しく名付けてやった次第である。

 紋太は吾輩の血を吸って生きてやがる。しかし只で、血を吸わせている訳ではない。ヤツとは契約を結んでいる。それは、(吾輩の目の届かない)主人の行動を監視して貰う代わりに、吾輩の血をやると云うものである。別段、主人に危険があるといけないから様子を見ていてくれと、願い申している訳ではない。房之助の一人弥次喜多道中を報告して貰うのである。房之助はオッチョコチョイで可成りの天然素材である。主人が色々とヘマをしたり、ドジを踏んだりした事を後から教えて貰い、ゲラゲラと大笑いする事を吾輩は大事にしている。生きがいの一つなのである。吾輩の目・耳・鼻の無い処に大笑いの種があると云うのに、それ等を知らないだなんて、こんな残念な事はないではないか。――だからなのか、吾輩は生後十五年を過ぎても、何処も耄碌せず、この通りにピンピンしている。紋太の仕事ぶりは、007並である。

 主人の房之助が外出する時、吾輩は渾身込めて体をブルブルと震わせる。するとヤツは吾輩の背中からピョコンと飛び跳ね、上手に主人の体にしがみつく。その後、シッポリとポッケに忍び込み「オッケー」とウィンクなんぞをする。

 しかし、なんでノラがヤモリに、ダイキリが蚤なんかに、吾輩が犬なんぞに生まれ変わったのであろう? 吾輩は酔って神様のトイレを覗いたが為に、この様な姿に相成ったが、ヤツ等は何が神様の気に障ったのであろう? 神様の気分は計り知れない。

 話が脱線してしまった。えっと、なんだったっけ? そうそう、スタジオの話だ。そこに今日来ている二人の若者が、騒音の練習が終わって隣の第二スタジオで、一杯二百円のコーヒーを飲みながら実のない話をしている。吾輩は耳をそば立てて聞いた。

 つづく

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