「守り破り離れる」 変化するもの しないもの

  物理的な時間の長さは、その人の感性によって、変わってくるようです。空間の広さも同じく。自分の器は自分で決められるでしょうか。個性が生き活かせる社会をイメージして、心の筋肉を鍛えていきたいものですね。幸せの尺度はいろいろありそうですが、好みを手繰り寄せて、足がちゃんと地を感じていられるように、姿勢よろしく呼吸していくのが、今ところ私のとっての日々のエキササイズです。

 変わらない真実があるとすれば、「全ては変わり続ける」ということ。マンネリズムや停滞はネガティブなニュアンスを持ちますが、躍動の美と共に、静謐の美もある。定型の内に垣間見える美しさがある。ここしばらく勘三郎にはまっていたので、日々舞台裏での切磋と汗と涙と胸の内、伝統芸能を受け継ぐ人たちの生き方に感動していました。歌う。踊る。練る。これからはますますアートの持つ力にも救われる場面が多くなっていきそうです。

 一つの時代を創り、死んでも人の心に生き続ける人たち。歳を重ねていくと、訃報はより厚みを持った情報として、心に飛び込んできます。小澤征爾さんの生き様もまた美しく、尊い。精神と技術。魂とスキル。どちらが欠けても、生は全うできません。全てにおいて、二つのバランスに支えられた軸があれば、個性はいかようにも花開いていくものなのでしょう。守破離。齋藤秀雄という師を仰ぎ生きた人。今から100年遡った時代を想像し、何が変わり、何が変わらず光っているのか、つらつらと、目を閉じ、耳を澄ませて、鑑賞しています。逝くということは、生まれるということ。いつも命は変化していますね。


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