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『私が』『私の』の思いをなくす とは

自分を客観的に 見守る



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今朝の入浴中

『私が』『私の』を
『私は』で始まる文章に
変換することが ひらめく


私が好きなもの

私は好きだと感じている

私の夫

私は夫がいます



『私は』で 文章を変換してみると
『私が』『私の』は
所有者意識があるように
感じた。



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前日、私は 
書類等の整理で
掃除をした。

ヨーガ教室でもらった
印刷されたコピー用紙が出てきた

「第5講義:2章(5)サーキヤ・ヨーガ」
と記載されており

『私が』『私の』
と言う言葉が 目に止まった。

その言葉は 最近
気になっていた 言葉 だった。

ヨーガ関連のクリアケースに
収納した。



翌朝、入浴後に
改めて 用紙を見た

鉛筆で「2014.8.6」と
記入があった

月日がたったことを感じた

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71節
すべての欲望を捨てて
執着することがなく、
『私が』『私の』という
思いもなく行為する者は、
誰でもが
寂静(シャンティ)の境地に
達するのだ。

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と記載されてあった。


『寂静』とは何かと
検索してみると

じゃくじょう
1.ひっそりして静かなこと
2.煩悩(ぼんのう)を離れ
苦しみを絶った解脱(げだつ)の境地。
涅槃(ねはん)。

と記載されていた。

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『私が』『私の』を
『私は』で始まる文書に
意識的に変換してみることで
所有者意識から離れ

寂静な自分に
近づけるのかもしれないと
感じた


ふと
『私がやりたいことはなんだろう』
と言葉が出てきたので

『私は何がやりたいんだろう』
と変換してみた

客観的に
自分を見守る 

静かな気持ちになった


作品
『客観的に自分を見守る』







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