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正しく母になりたい

夜、散歩をするとき、暗くて他人に見られないのをいいことに妊婦のふりをしている。下腹部のあたりを服の上から撫でて、まるでそこにいのちが宿っているかのように腹部を覗きこむ。だれも住み着いていない、がらんどうの子宮を守るようにして歩く。
そうすると、不思議と妙な活力が湧いてくる。使命感のような充足感。義務的な愛情。確立された存在理由。地面を踏みしめる足の裏に力が入る。胸を張って堂々と歩く。胎児なんていないのに、私はすっかり母親になっている。

"結婚が早そうランキング1位"
卒業アルバムに名前を書かれたあの子は今看護師として働いている。妊娠して高校を中退したあの子は今二人目を育てている。恋人の気配がまったくなかった従姉はいつのまにか結婚して、今は育児休暇をとって第一子を育てている。第二子は来年の2月に出産予定らしい。
みんなどんどん変わっていく。地元に残った人も都会に出た人も、高校、大学、就職と正規ルートをさも当然のように歩んでいる。変わらないのは私だけに思える。途中までみんなとちゃんと歩みを揃えられていたはずなのに、どこで間違ってしまったのだろう。どこで躓いてしまったのだろう。

母親になった気分で夜道を闊歩したところで、現実はなにも変わらない。私には夢も資格も度胸もない。ただ奇跡的に死なずにいるだけだ。
9月、残暑の頃、妊娠に怯えていたことを思い出す。母になる恐怖、からだが意に反して変わってしまう恐怖に慄いていた。なのに今はその肩書きを羨ましい、欲しいとすら思っている。この世に存在していい理由が欲しい。自分のために生きられないから、他のなにかのために生きたい。自分の子供のためなら生きられる気がする。正しい役割を与えて欲しい。

子供の頃の私は"いい子"を演じていればよかった。成長とともに"いい子"の仮面に綻びが生じて収拾つかなくなった。"いい子"じゃない私は必要とされないことを知っていた。それでも頑張って"いい子"の居場所に縋りつこうとしたけれど上手くいかなかった。"いい子"でいられないならせめて他の役割を果たそうと思った。
次はどんな役を演じればいい?
"いい子"がだめなら悪い子になれたらよかったけど、そんな度胸はなかった。せいぜい気まぐれに小売店の敵になったり、刃の切先を自分に向けることくらいしかできなかった。それはもう悪い子を演じるというより、逃げから発した愚行だった。17歳の初夏、愚行の果てに謹慎処分になった。親には失望され、クラスでは居場所を失くし、壊れたおもちゃのようにからだが動かなくなった。周囲の私に対する興味が失われ、だれも私に注目しなくなった。まるではじめから存在しないかのように無視された。

母のために生きてきた。
母が黒だと言えば白も黒だし、右だと言えばその先に障害物があろうとも右に行った。それで怪我をしたら自己責任だと叱責され、進んだ先でお宝を見つけたら母のおかげだと賞賛を求められた。
そんな母を見てきたから、私は母親になりたいと思わなかった。自分の子を持つことが恐ろしかった。いや、今でも恐ろしい。子供を愛せる自信がない。模範例を知らないから加減がわからない。きっと母と同じように子供に手を上げてしまう、そんな未来が容易に想像できる。自分の承認欲求を満たすために子供を利用するのは絶対に駄目だ。それでも、ひとりで生きられるほど強くないことを知っている。自分のために生きられないことを嫌というほど知っている。生きていくために子供のいのちを利用することに対する罪悪感が胸を圧迫している。吐きそうだ。

ひとりで生きていく自信がないうちは、他人と生きる道を選んではいけない。
ひとりでも生きていけるようになったとき、ようやく他人とともに残りの人生を歩む選択肢を見据える資格が生まれる。
今の私は絶対的に前者だ。ひとりで生きていけないから他人に寄りかかるわけにはいかない。寂しさを紛らわす術をもう少しひとりで探る必要がある。

不安も恐怖もなにもかも、甘いものに変えて食べてしまえたらいいのに。お腹に入れてしまえばどんなものでも私の養分になる。でもそうなったら糖分過剰摂取で早死にするかも。
お守りのように下腹部を撫でて、幻想のなかでちいさな胎動を感じる。
いつか、お守りが不要になる日が来ることを祈る。

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