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母に愛されてみたかった

鏡台の前で母が身なりを整えている。髪を梳き、襟を直し、指輪をはめる。そうして最後に乳白色の瓶を手にして、金色の蓋を指先で回し開け、空中に薔薇の霧を降らし、その下をすっとくぐり抜ける。鏡の中の母はなんだか上機嫌で鼻唄でも歌い出しそうな雰囲気を醸していて、その様子にほっと胸を撫で下ろした。
「邪魔」
身支度を終えた母が部屋の入り口付近に立っていた私の足を蹴る。母から香る濃縮した強い薔薇の香りで鼻の奥がつんとして、思わず息を止める。薔薇に棘があるように、自分に近づくなと言わんばかりの拒絶の膜がプールで日焼けした私の赤い肌と擦れてひりひりする。やっぱり母の機嫌なんて秋の空以上に当てにならない。強い薔薇の香りが母の感情の機微、膜の揺らぎを撹乱させてしまう。それは私にとって死活問題だった。
母のつける薔薇のコロンが嫌いだ。

大人になって、身の回りのものの香りを自分の好きに自由に選べるようになった。
ヘアオイルは柚子の香り、洗髪料はすべて桜の香り、ピローミストはリネンの香り、部屋で焚くお香は藤の香り、身に纏う香水は鈴蘭とホワイトムスクの香り。
香りを選ぶ基準は「薔薇じゃない」こと。香水に関しては色々な種類の香料が調香されているから完全に避け切ることは難しいけれど、なるべく表に薔薇が出てこないものを選んだ。
今でも薔薇の香りが嫌いだ。花自体は好きで花屋の前を通っても綺麗だなと思う。でもあの香りをひとたび嗅ぐと途端に肌がひりひりして、猫から逃げて飛び込んだ路地裏で逃げ場所を失った鼠の気分になってしまう。窮鼠猫を噛めない。チーズの夢も見られない。

馬鹿みたいだなと思う。たかが香りじゃん、薔薇の香りなんてありふれているし、いちいち避けるなんて子供じみている、大人なんだから変な意地を張るな、そんな声が頭の中で飛び交う。うるさい。黙ってて欲しい。死活問題だって言ってるでしょう。嫌いなものを嫌いでいる、それのなにが悪いのか。咎められる筋合いなんてない。…でもやっぱり馬鹿みたいだ。
いつまで母に囚われているつもりなんだろう。もう23歳になった。実家を出てから4年目だ。昔と比べれば、頭の中で母の幻影が私に命令を下すことも減ってきた。夜間の外出も友達と遊ぶことも好きな洋服を選ぶこともできるようになった。
それなのに、泥にはまったように足が重いのはなぜ。

実家では、部屋に鍵をかけることを禁じられていた。そもそも鍵穴を取り付けることすらできなかった。自室のドアは常に開け放しておかねばならず、勉強は母の目の届く場所でしなければいけなかった。母の口癖は「お天道様は見てるからね、悪いことはできないよ」だった。勉強机の引き出しも勝手に開けられたし、日記や交換ノートも見られた。創作ノートは母の気に入らないページを破り捨てられた。
一人暮らしを始めてからしばらくは部屋に監視カメラがある気がして怖かった。いつも見られている、お天道様に見られている、母に見られている。だからみっともないこと、馬鹿なことはできない。すべては母に筒抜けで、いつかとんでもない天罰が下るだろうと本気で信じていた。
普段の何気ない生活のなかでふと薔薇の香りがする。駅にいても大学にいても図書館にいても、ひとたび薔薇の香りを嗅ぐと泥にはまる。身体が硬直する。お天道様に見られている。

早く解放されたい。
頭の中のお天道様を外に追い出したい。薔薇の香りを嗅ぎたくない。「愛情表現が不器用」なんて言葉に騙されない。
母が私を愛することは過去にもなかったし、未来永劫ないだろう。それが悔しいし悲しい。子供の頃の私は母のために生きていた。母に好かれるために努力した。母に嫌われたら死ぬんだと思っていた。どんなに口汚い言葉で罵られても、生きていることを否定されても、たとえ口の中で血の味が滲もうとも、母にただ「好きだよ」と言われたかった。愛されたかった。泣いている母にハンカチを差し出すのが私の役目だったけれど、私が泣いているときに母からハンカチを差し出されたことは一度もない。それがすべての答えだ。

いつか、薔薇園に行ってみたい。
薔薇の芳醇な香りで肺を満たいしたい。
その日が来るまでに肺が真っ黒になっている可能性があるけれど、まあどうにかなるでしょう。
人は、愛されたい人に愛されなくても、案外生きていけるものだ。
でもやっぱり、愛されてみたかった。
なんてね。

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