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下北沢一番街の入り口の前にある交番。
その交番の前にあるベンチで座っている。

夕日が差し込む16時45分。

ぼくの背中からはびっくりするほど哀愁が漂っているに違いない。
傷心している。泣きそうである。

街を行き交うひとびとはどこか楽しげに、何も考えずに歩いているひとでさえ今の自分の状態から考えれば幾分幸福そうに感じられる。

魅力の塊みたいなひととごはんを食べた。

別に緊張するような間柄ではないと思っていた。たかを括っていた。

めちゃくちゃ緊張をし、なにも喋れなくなってしまった。
普段の自分がどういう風に話しているのかを忘れた。

(もはや不審者だった気がしています。ごめんなさい。)

29歳にもなって、エスプリの効いた会話が全くできず、相手のことばにただひたすら肯定するのみ。

「どうしてそこで気の利いた話の広げ方が出来ないんだ!」
「さっきからそうだねとしかいってねえぞ!」
「なにやってんだ、よしお!」

シンプルにその場を楽しく過ごせればよかった。
相手が楽しく過ごしてくれればそれでよかった。

「ああ、話さなければ!!!」

ただただ空回りである。

相手にも素直に緊張していることを伝えた。
無理に喋る必要なんかないとも言ってもらえた。

なのに無言の時間が怖い。

こんなの、自分が嫌われるのが怖いからでしかない。
つまらないヤツだと思われるのが本当に怖い。

自己肯定感ってやつが高い風を装っても、本当に高くなければ、確実にボロは出る。
自分は自分でいいのだということが腹の底にちゃんと落ちきっていないと、夕方の下北沢のベンチで哀愁を漂わせることになる。

嫌われたわけじゃない。
でもぼくはまた自信を失ってしまった。

別れ際、緊張感が多少解け、ことばがやっとポロポロと出るようになった。
それはそれでショックだ。なんで今さらって思ってしまう。

相手に体重を預けることが出来なかった。

今回の出来事にぼくはものすごく心を動かされている。

相手が優しいひとで良かった。それだけが救い。

全てが今の自分に必要な経験なのだと思う。
ごまかしはきかない。

徹底的に“やらない”ということにこだわりを持って生きてみる。
その一歩目を踏みしめた気がする。感謝ですね。

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