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飽きるまでやってみる価値

毎日noteを始めて200日を超えましたが、

なぜ自分がアウトプットしようと思ったのか?

その理由は、おそらくインプットに飽きたからです。

「ちょっともうお腹いっぱいやわ」

という状態までインプットを続けた結果、

飽きたから次の事をやろう!

それでnoteとTwitterを始めたということになります。

notoとTwitterはまだ飽きるまで、

やってませんが、

いつまで毎日note・Twitterを続けるのか?

という自分に対する問いの答は、

「飽きるまでやる」ということです。

noteやTwitterも飽きるまでやったら、

また次にしたいことが見えてくる。

アウトプットに飽きたらまた、

インプット活動をするかもしれません。

ブログに挑戦する可能性もあります。

しかしながら世の中には、

こんなことやって何になるんだ?

と自分からネガティブモードになって

すぐに辞めてしまう人も多いようです。

とりあえず飽きるまでやってみる。

何かを飽きるまでやったということは、

ある程度は上達しているはずですよね?

同じことをただ続けているように見えても

実は『らせん階段』をのぼるように、

レベルアップしていて見える景色は

始めたころとは違うはずです。

嫌になったからやめるのではなくて、

飽きたからやめる。

たとえば、

ギターで毎日ビートルズの曲ばかりを

練習をしていてたら飽きますよね?

そうすれば自然と次は「ローリング・ストーンズ」弾こう!

という感じで次の世界に挑戦する活力が湧いてきます。

「才能無いわ」と言ってすぐにやめずに

まずは、飽きるまでビートルズを弾く。

そうすることで必ずうまくなれます。

このように次のことは、

飽きるまでやったら自然と見えてきます。

勝手に未来を想像して、

「どうせ無理」という判断をせずに、

飽きるまで続けてみることが、

大切だと思います。

毎日noteやTwitterの継続は大変ですが、

飽きるまでやれば、

少しは文章もうまくなるはずです。

なにもマイナスにはなりません。

noteのつづけ方とか深く考える必要もなく

書き続けるだけでアウトプット習慣も身につきます。

それだけでも十分価値があるのではないでしょうか?

私もnoteを始めた頃は、

しょっちゅうダッシュボードを見たり、

一回くらいバズりたい気持ちでヤキモキしていましたが、

最近は全くそれらのことがなくなりました。

ある意味「飽きた」のだと思います。

前向きな諦めもあると思います。

「エモい文章とか有益な情報とか無理だわ」

みたいな(笑)

その状態になると、

特に理由はなくても「noteは毎日書きたい」

ただ、書きたいから書くという気持ちになれます。

スキやフォローも自分が思っている世界とは、

なんとなく違っているような気もしてきました。

良い意味で「冷めた」「飽きた」状態。

なので、これからはあまり深く考えずに、

おもいのまま純粋に書きたいことを、

小学生でも読めるような文章で

書いていきたいなと思います。

飽きるまでやることでたどり着ける境地!

あると思います!

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