武士から原始人に転生して山道でJeep乗り回したい話
2023年上半期。克服とも復活とも違う、統合のような変容のような、
何かを完了させ、次の未完了の始まりに気づく期間。
これまで辿ってきたもの、紡いできたもの、
そこで繋がって見えたもの、
セッションで立ち現れたメタファーと共に書き連ねてみます。
こんな人に読んでもらえたら嬉しいです。
こんな人が書きます。
この記事は25人のコーチたちによる物語を、7月1日から7月25日の間、毎日表現していくアドベントカレンダー企画の
22日目の記事です。
今回のテーマは「星座」。
私たちの、点と線。
戦国時代、自分には重いヨロイを纏いながら隣の味方よりも我先に将軍のお目にかかろうと競争していたところから、
旧石器時代、素っ裸で全力で仲間とマンモスを身軽に追っかけるところへシフトチェンジする話。
あるいは玉ねぎの皮を剥く話。
😴🧅💭
戦国時代。気づけば武士。
『お絵描きはお金にならないよ』
『どの国家資格にする?』
『いつ取るの?』
そんな声が聞こえたような、
聞こえなかったふりをしながら、
私はデザイナーになった。
農学部専攻の当時、就活の情報解禁日に決めた進路。
当時のありったけの運をかき集めたんだと思う。
原動力は「不安」。
自分の"このまま"は常に不完全。変わらないといけない。
不安が背後から迫ってくる。怖いし心臓バクバクするけど、皮肉なことにそれから逃げてる時が一番馬力が出る。
筋肉もついた気がした。
この頃、本当にこれでいいんだっけと思い出す。何かが嫌だったとかでもない。ここにいる理由がしっくりきたらそれで良いなとも思いながら、マイコーチとの継続セッションを始める。次大きな一歩を踏み出すまでの慎重な目標をたててどこかへ進もうとしていた。
「で、あなたはどうしたい?」
豊かな語彙でこう問われ続けるセッションの時間に魅了され、この頃からコーチングを学んでみるなどする。
もっと重い頑丈なヨロイをください。
不安から逃げ回っていく中、突然毎日涙が止まらなくなるタイミングがきた。
文字もひとの声も、聞こえてるのに頭に入ってこない。自分はここまでアホになったかと辟易していた。
駅までの道も電車の中も室内でも泣いていた。
マスク文化でよかったな〜と紛らわしていたら
ある日立てなくなった。
ここで一年ぶりにして二回目の適応障害の診断がくだる。
続けていた「今まで」が強制的に終了。
1年前、「適応」に「障害」が付属したこの言葉にゾッとして、私は受け入れずに見なかったことにして隠していた。
私が世界に適応できていないことを咎められているかのようだった。
後から知った。「適応障害」は「適応しようとしすぎることによる障害」。
このままの自分じゃそこに居続けられない、当時「変わらねば」と追われていたことの表れだった。
ここからしばらく毎日泣いていた。こんなに泣けるんだとも思った。
どこかで自分は感情のコントロールができるんだ(ドヤ)、と思っていたそれは
ただの抑圧だったことに気づく。
これを機に、私がいままで避け続けていた自分の弱さと向き合う数ヶ月が始まる。
そんな時、THE COACH Academyのプロコースが始動。
統合のプロセスがぐーんと進むとき、そこには未完了の完了が伴うことを知る。
未完了の完了。
見えない何かが明確になることで起こる変化。
これまで人生で未完了にしてきたいろんなことにスポットライトが当たる。
それに後押しされるようにして、自分の体調についての自己開示がやっとの思いでできる。
診断書を他者に見せるまでのプロセスだけでセッションを3回ほどしてもらった。
心臓バクバク、手が震えながら、何度も何度も下書きを直しながら現状を伝えた。
大きな未完了がひとつ完了🙏。
ヨロイ、オモイ。
コーチングはスキルであり武器だと思っていた真っ只中、
学んでいたコースが、内容はそのまま「プロコース」から「インテグレーションコース」に名称変更した。
この場所で私は在り方を学んでいたのだと再認識。
この頃から自己の器を育むプロセス、DoingよりもBeingを学ぶ場所としてコーチングをとらえるようになる。
この頃、ゲシュタルト療法とひろさんとも出会う。
図と地の転換。
何を図に上らせるか自分が選択している。
今自分の図にあがっているのもの意味に気づくこと、選択していなかった地の部分があることに気づいていく。
自分には複数の選択肢があることを自覚し、何を図にするかを自分で選択することができる。
変容の逆説的理論。
実存は本質に先立ち、本質はみえないところや想像の世界にあるのではなく、いまここに表れていることに気づかせてもらう。
我と汝。
「ヒロさんはね、何時間もファシリテートしてても疲れない。それは"我"で居続けているからなんだって。」
ゆりちゃんがこう教えてくれて、私が疲れと緊張を感じるあの時間、私は"我"で居ただろうかと立ち返る。
どっと疲れていた当時のコーチングセッションで、私は必死に"それ"になろうとしていたことに気づく。
目を背けたい現実との対峙。
マイコーチと山を登りながらセッションしたりもした。
まだ蕾だらけの桜の木々を横切りながら、人生にも季節があるとしたら今はいつだろうとか、
風景を見ているはずなのに見れていないことに気づいたり、
先頭を歩くってすごく怖いと思いながら一本道を先頭であるいたり。
身体感覚をともにしながらの対話は気づくことが多かった。
メンタルモデルとも出会う。
命にそなわっているものは全て必要で、その上で
「痛み」は人間にとってなんなのか。なぜ備わっていてどんな働きとして捉え直すことができるのか。
ここで必死に縋ろうとしていたもの、
逃げようとしていた痛みに少しずつ気づいていく。
そしてひろのさんとも出会う。
「綺麗で完璧でいなきゃいけない」を手放せている空間が居心地がよかった。
ひろのさんはこの先の怒涛の3ヶ月間に伴走していただいた。
初めての整体にも行ったりした。
内面で起こることはすでに身体に現れている。体の強張りを反映されて整体師もコーチとしてこの先伴走してもらう。
左肩に大きく在る凝り。
手放したいものがどっしり乗っかっていることに気づく。
歩みを止める。
この頃、MBTIワークショップを受ける。
心には利き手があることを知る。その利き手があるが上に世界がこう見えていて、物事をこう判断していたのか。
違って当然だけど違う理由がわかってほっとした。
ゲシュタルト療法をあらためて受ける。
統合できていなかった過去の自分、家族との対話。
自分の周りの人を心からリスペクトし直せた瞬間でもあり、大事なものが芽生えた気がした。
まーさんと初めて昼活でお話しして、「休む」について教えてもらった。
復職するまでの4ステップ。
正直これを辿れたかはまだわからない…
そしてこの頃、退職を申し出る。転職先も決まっていないまま。
次も決まっていないのに区切りを打つ。納得してもらえる理由が見つからなかった。
どう伝えても、伝わる気がしなかった。
伝えられないこの気持ちをそのまま伝えた。
未完了がまたひとつ完了。
たくさんの人のお世話になったのにそのお礼をそのままのかたちで伝えられないまま完了を迎えさせた。
この新たに現れる未完了に内面が痛む。
ヨロイを脱ぐ。
アート合宿に参加する。
幼い頃あれだけ熱中していた絵画。今や紙とペンを前にしても何も湧かない。
上手く描けないから描きたくない、何を描けばいいのかわからない、私には表現するものが何もない。
評価判断、目的、成果主義が入り混じって、無だった。
誰かに筆を持たせてもらえないとこのまま何かを忘れそうだった。
この合宿で明らかに何かが確かに開く。
ちゃんとしなきゃ、を手放せた感覚。
主催者のすとさんにも、服の着方忘れちゃいましたとすがるほど。
※ p.s. このnote公開後にストさんが秒でリプライくれた動画
笑いが止まらない👇
合宿から帰ってきてから、日常でわかりやすく遅刻とリスケが増えた。
これまで一番自分が他者に対して怒りを覚えていたこの二つを自分がやるようになるとは。
不思議といつもなら後を引く罪悪感がない。
怠惰とか衰退というよりは脱力と解放のように感じていた。
周りからもなんかどっしりしたと言われるようになる。
自然を浴びた身体はテレビやSNSにも興味を示さなくなった。
このとき初めて近所に公園があることを知る(引っ越して3年の土地)。
毎日夕方に公園へ通う。
サギみたいな鳥と目が合う。
旧石器時代。原始人、マンモスを追う。
新しい職場探しは当時より以前にも何年かやってきた。
転職活動の仕方もいつもなんとか大きく見せよう、ちゃんと見せよう、ボロを出さないでおこうとしていた。
この頃からは葛藤や反省も含めた自分のこれまでの全てをお話しするようになった。
そして後の転職先になる会社と出会う。
自分が不安なこと、できそうなこと、できなさそうなこと、これまでの葛藤全部話す。
「いろんな経験をしたんですね」
面談で何気なく頂いたこの言葉がその時欲しかった全てだった。
私は親戚含めて家族一同、今日も誰かの命を背負って働いている。
これまでずっと私だけ何もしていないかのようだった。
もっと人の命に貢献したい。
それができそうな場所でもあったし、
ずっと後世に残って活躍してほしい組織だと思った。
大きな未完了がまたひとつ完了する。
進んだ。 いや、クリープ現象か。
インテグレーションコースのクラスセッションも全て完了した。
職場も新しくなった。
自分は自分の弱みをまるっと受け入れ統合することができた。
これでもう大丈夫。
と思っていた。
あるものを「ない」として過ごしていたことに気づき、それらを統合するまでのプロセスに向き合えたインテグレーションコース。
区切りは始まりの起点。
区切りをつけたこの頃からセッション中にコーチの自分の側でオブザーバーとしての自分の声が大きくなっていく。
正しい、自分らしいセッションがわからなくなっていていた。
クライアントさんの内面に寄り添いたい、クライアントさんの力になりたい気持ちもそれ以上に大きくなっていく。
このせめぎ合いがなんとも苦しい。
解決しようを手放しであるがままを受け入れる。
解決したい自分との押し相撲。ワカラナイ。
苦しいけど、今まで見過ごしていたものがどっと押し寄せてきた。
この頃セッションのガチフィードバックで「あなたのスタンスは何だ」という問いも頂く。刺さる。
心のどこかで、自分がクライアントを変えられる、変えねばと思っていないか。セッションをきれいなものにしなきゃと思っていないか。
まわりができて自分ができないことが浮き立つ。
わからないことを素直に聞けば済むはずなのに一回飲み込む自分がいる。
みんなちがってみんないいと、自分の外側には思えるのに、内側には思えなかった。
解決できていたと思ったそれはただの正当化で、
うまく統合できたと思ったそれは開き直りだったのではないか。
鎧を脱いだ、解放され新しい自分になったと思ったけど、
「自分」が遠のいてる気がした。
自分の凸凹を許容していなかった。
ふとTHE COACH Academyでの一つのメタファーを思い出す。
玉ねぎのように、鎧を着てても、剥いでも、それは自分。
剥けば剥くほどコアに近づいていく。
「戸惑っている今」だとしても、それがただそのまま「今ここ」にあるだけ。めくった皮の先がただそれだっただけ。
何度も頭では分かっていたはずだったのに新鮮だった。
もっとクライアントが自己受容できる伴走がしたい。
そのためには、まだ受容できていない自己を受容し統合する。
待ってましたと立ち現れるクソデカ未完了の気配。
凸凹の山道でJeep乗り回したい。
これほどまでに他者の助けを自分から借りに行ったことはないかもしれない。
自分の在り方を問うためにたくさんの人に助けてもらった。
目を背けていたいろんなものと対峙した。
もうおそるおそる「これは『自分』か」と確かめながらそぞろ歩きするみたいな進み方がちょっと窮屈。
なんだかもっとタフな車でもっとアクセル踏みながら、平坦で誰かが作ってくれた舗装されてる道よりも山道みたいな凸凹の場所に轍をつくりたい。
衝動を味わいたい。
(ひろのさんとのセッションでは『脊髄で働きたい!!!』って叫んでた。)
正直、これまで完了した未完了よりも大きな未完了がたくさん手元にある感じ。
進むことで見えてきた弱さがたくさんある。
完了したもの、解決していないもの、原因すらわからないもの、
今ならその全てに意味があると思える。
インテグレーションコースが始まった時、修了後は爽快なやり切った感があるんだろうなと思っていた。休職、退職、転職全てのプロセスを見守ってもらったこの期間、
自分を許す。手放す。何度も完了したと思っていた、ありったけの大きな未完了が残った。
不思議でなんだかおもしろいこれまでの点と線たちでした。
ここまでの長文乱文お読みいただきありがとうございました🙏
メタファーをたどりながら展開するセッション。
すでに自分の内面に"在る"からこそ、直感で湧くままに話すことが自分の願いや価値観に気づくことにつながる。
そんな時間をこんな私と過ごしてみたい方、お気軽にのれんをくぐってもらえたら嬉しいです。
企画にBIG感謝です🙏
りみさん、まーさん、THE COACHの仲間の皆さん、
素敵な星座をつくってくださりありがとうございます、BIG感謝。
素敵な場所に今自分がいるんだと改めて実感しました。
これだけの自己開示はアドベントカレンダーに背中を押してもらえてできました。おおきな未完了、これでまたひとつ完了です。
25人と読者によって紡がれてあと数日間で最後に立ち現れる星座が楽しみ。
ハーゲンダッツ代にします!