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子どもに「うるさい」と言われて怒鳴り返していませんか。

2020.6.26.金 #342日目

この日プールサイドで転けてしまって軽い怪我をした子どもがいました。

彼は、手当てされているこの瞬間どうおもっただろうか。
プールサイドで歩き回ってグルグルしてた結果転けて怪我をした。彼にとっては何か目的があって動き回っていたのだろう。

彼の内心を想像してみることにしました。
大切にしなければいけないのは、
ボクが彼をどう見るかではなくて、
彼にとってなにが重要であったか。

今日は人の感覚を想像するという話です。


そういえば。

彼が怪我をしないように、いわゆるお節介をしてしまったことがあった。
その時の彼の言葉を思い出した。
静かなトーンで「なんかうるさいんだよ」と訴えてきたのです。ちゃんと意思を表明してくれたことが嬉しかった。

これは、周りの全ての人に向けての言葉だとその瞬間に肌で感じました。

彼は、シンプルに「まわりがうるさい」という感覚を持ったんだと思う。
着替えているロッカーでもそう言っていた。
自分以外の全員が帰るまでは、必ず着替えないで遊んでいるのだ。

彼にとって、うるさいことが不快であり雑音であるならば、彼が人の話を聞かないのは、「うるさいから」だったんだろうか。

「聞こえてるよ」と。
「静かにしてくれ」と。
そういうことなんじゃないだろうか。

ボクはすぐに謝った。
「うるさかったか…ごめん」

語りかけるようなトーンで
「それじゃ、先に出るから、忘れ物ないようにね」と。


とあるコーチや先生なら、
「うるさいとはなんだ」
「早く着替えないからだ」
と怒鳴ったかもしれない。

もしかしたら、昔のボクでもそうしたかもしれない。それくらい未熟で怒鳴って怒鳴って失敗しまくっていました。

だけど、彼の感覚を想像するという点に集中すれば怒りなど湧くはずがないんだって。
ましてや、自分のやり方が間違えていたのではないかと気がついた。


感覚の共通点を探し続けた結果として、言葉はようやく相手に届く。

感覚の共通点を探すことは、相手を見下していては不可能で、見下していたら相手はそれを見抜いてどんどん感覚を離していく。


今回の彼は、ボクに少し歩み寄ってくれた。
向こうから言葉をかけてくれるようになったし、泳ぎの質問や困っていることを伝えてくれるようになってきた。

今回のこの体験で、言葉の価値は、誰が言ったかで決まるのかもしれないなと思いました。

なにを言うかに注目していると、大きく感覚が外れていってしまい、いずれ「誰でもない誰か」まで逸れていってしまうのです。

人は人の感覚に寄り添い、気持ちを想像してこそ、繋がり、関係を良くするのですね。


では、作業に戻ります!
ばいばーい!


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