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木曜日の小さな自由

 贅沢なことだとは思っている。3ヶ月間毎日週5で出社することが課せられた生活になったので、毎週木曜だけタクシーで帰宅している…。
 そうでなくてもしょっちゅうタクシーに乗るが、普通に電車もある時間に、さほど残業しているわけでもないのにタクシーで帰宅するのは、さすがの私でもわかる。これは贅沢なことだと。しかし、これには自分自身を知り抜いたケアの方法として積極的に行っていることなのだ。

 なにぶん14年も自由に生きてきたフリーランサーだから、出社もこれまで最低限で、アポイントを別としたら好きな時間に顔を出す身分だった。それが週5で定刻に出社し続けるのは苦行の第一歩。ただ、これ自体はさほど苦でないことが間もなく2ヶ月が終わろうとするなか感じている。でも、最低でも8時間、外出もできずに同じ場所に座り続けているスタイルは苦手。会議室への移動などはあるが、過去の会社員時代も朝タイムカードを押したら外に飛び出て自分の好きなように仕事ができていたこともあり、外に自由に出られないことが結構つらい。これ自体も、3ヶ月が過ぎたら結構自由にできそうなのだが。

 日々新しいことを膨大に詰め込むので体より脳が疲労している。木曜日ともなると疲労がピークを迎え、あと一日のふんばりで週末を手にできるという天王山である。そこで私は考えたのだ。この日、がんばった自分をねぎらうスペシャルデーと据えてタクシーで帰宅しよう、と。言っても3千円程度なのだ。そしてこれはまあまあ、良いリセットになっていると思える。

 そうか、書いていてわかったぞ。
 満員電車の苦痛(行きも帰りもぎゅうぎゅうの電車なのだ)とは、込み合っていることだけでなく、「他人に合わせる」ことの苦痛だ。整列して順番を待ち、乗り込んだら人のためにスペースを配慮し、揺れに合わせて人に迷惑をかけないようにバランスをとる。もちろん座れることはほぼないし、停車駅で吐き出されたら次の乗換え地点まで、これまた行儀よく隊列をつくってザックザックと歩き進む…。
 この、他人と合わせるという不自由さ。
 
 タクシーで帰るということは、このすべてからの解放を意味する。大抵タクシー乗り場に行けばすぐに乗れるうえ、自分のスペースで自分のリズム。人に合わせることなくいっとき小さな旅ができる。一日8時間、人に合わせテリトリーから出ないよう呼吸を周囲と合わせ、木曜日まできたら限界なのだ。それをタクシー帰宅は一挙に優雅な解放をもたらす。

 この季節の都心の景観は本当に美しい。地下鉄からは目にすることのない風景が車窓に流れ、夕刻から夜へと変わる都市景観を流れる風を受けて満喫できる。かつ、二度と会うことのない運転手さんと意味のないおしゃべりをしながら。

 会社員に戻り、先月とはまた違ったものも見えてくる。どこで生きてもどう生きても、何かしら壁は出てくる。壁をクラッシュせずに解決していけるスキルを高めることも、きっと意味のあることだろうと思える。

 新しい週がやってくる。思い切り素の「自分」にリセットして明日からまた、組織の人間という生を送ろう。

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