丸の内線サディスティック
今でも脳裏によぎる、2社目で勤めてた頃の記憶。
同社内で経験した、ありとあらゆる洗礼については(笑)、
是非、上記の記事をご覧頂ければと思いますが、
今回は、その"通勤"にフォーカスを当てて、振り返りたいと思います。
1社目の、埼玉県企業に勤めていた頃は、
私が都内の上場企業で勤めることなど、想像もしていませんでした。
クルマ・バイク好きの、ガラの悪い連中が集まっていた田舎の職場。
当時の私にとっては、"丸の内OL"など空想の生き物です(笑)。
しかし、いざ毎日スーツを着て、都内に通勤するようになると、
それがどれだけキツいものかを、思い知らされることとなります。
埼京線 → 丸の内線 と、乗り換えるルートを使っていた私。
ただでさえ、結構な混雑をしている朝の埼京線。
その混雑を、さらに数段上回ってくるのが、丸の内線です(笑)。
都内通勤するようになった当初、田舎者の私は驚きました。
混んでるとかいう以前に、そもそも物理的に乗れないのです。
朝は、そんなに余裕がある時間に出ている訳でもないのに、
ホームでやむ無く、電車を2~3本見送ることもしばしば(笑)。
仮に、運良く乗車できたとて、そこからがまた地獄です。
窒息するかという程、密閉空間に押し込まれる苦しさもありますが、
何より、乗客達のイライラが、車内に充満しています。
ある時は、両足の間に置いていたバッグを、
サラリーマンのオジサンに思い切り蹴られた挙句、
"足元に置いてんじゃねぇよ!!"と怒鳴られたり。
またある時は、逆に夕方の帰宅ラッシュの場面。
明らかに、顔がイッちゃってる(?)メガネのオジサンに、
狭い車内で、思い切り肘を顔に押し付けられたことも(笑)。
そのオジサンの真上には、誰も掴んでない吊革があるのに、
なぜか、その右側の吊革を掴んでいるオジサンの肘は、
彼の右側に立っていた私の頬に、ゴリゴリと押し込まれます。
予期せぬ肘打ちを食らわされた私は、思わず、
"ムエタイの試合…?"(笑)と、首を傾げたものでした。
その他、車内での罵り合いや、駅での掴み合い、
怒鳴っている男性と、猛ダッシュで逃げる男性など(笑)、
ありとあらゆる激しい場面を目撃した、丸の内線。
何とか心を無にして、ようやく目的の駅に辿り着くと、
足の踏み場もないホームで、数多のサラリーマン達の中、
揉みくちゃにされながら、会社に最寄りの番号の出口に向かいます。
ゲルマン民族のように大移動をした暁に目にするのは、
大声で"一列に並んで下さーい!"と、何度となく叫ぶ駅員。
その後、階段を登るが為に、長蛇の列に並ばされる"企業戦士"の私達(笑)。
待ち詫びた階段を、一列で粛々と登り終えると、
目の前に広がるは、高層ビルに塞がれたコンクリート色の街。
その景色を前に、言葉にならない息苦しさを感じつつ、
大勢のスーツ姿の人達と、同じ方向にゾロゾロと歩くのですが、
その道のりの中に、魅力的な飲食店などは皆無です(笑)。
ビルに次ぐビルと、車通りの絶えない道路。
かつて"花の都・大東京"と(笑)、憧れを抱いた都内通勤も、
現実はとてつもなく苦しく、そして虚しさを感じさせるものでした。
その後、僅か1年で精神を病んで休職に入り、
あるとき、帰りたくなかった実家に、嫁と嫌々帰省した際(笑)、
休職に至った理由の数々を、両親に話しました。
都内の上場企業で職場結婚した両親からは、
"東京の地下鉄は、それが当たり前"
"会社で働くときは、苦しいという感覚を忘れろ"
"我々が働いていた頃は、もっと大変だった"
…などなど(笑)、そんな感じのことをクドクドと聞かされ、
あんな毎日を"当たり前"などと思わされるこの社会を、
心の底から酷く恨んだ覚えがあります。
"理解できないものを、理解できないまま、
「こういうものなんだ」と思い込まされる。"
"これが蓄積されていくと、「理解できない私が悪い」
という罪悪感が育ってしまうんです。"
私が、今まで何度となく励まされてきた、
東大教授の安冨 歩 先生のインタビュー記事の中で、
お話されていた内容を、最後に添えておきます。
大の大人が、ホームで電車を2~3本も見送らされ、
車内に寿司詰めにされた挙句、階段を一列に登らされ、
バッグを蹴飛ばされ、怒鳴られ、肘打ちを食らい…
そんなことを、30年も40年も続けることなど、
私には到底、"こういうものなんだ"とは理解できません。
理解できないことが"当たり前"とされている、異常な社会。
丸の内線沿線に蔓延る、凄まじいサディズムに(笑)、
私も大変勉強させて頂いた、そんな日々を振り返って参りました。
そして今やもう、こんなご時世です。
ステイホームが出来るという方は是非。それが社会の為になります。
その100円玉が、誰かの生きがいになります!