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ただの生き物だーーという気づき


よもぎです


ちょっといつもとは色が違うことを書きます
気づきの備忘録です


今日、
人とて自然の名残を宿しているんだ
とてもそう思いました

きっかけは今朝のこと
今日は全然起きる気になれなかった
でも起きなきゃならんので起きて
寒いし洗濯物が乾かないから暖房をつけました
濃いめで熱いコーヒーを入れて匂いを感じながら飲みました

そしたら1時間して、謎に元気になりました

体があったかくなったのと
カフェインで交感神経がいい感じに刺激されたのが原因と思います
あと、起床時点ではどしゃ降りだったのが
曇りになっていました

いや、我ながら本当に単純
生き物だなあ
そう思ってちょっと可笑しくなって
笑えました

いつも開くTwitterを見たら
今日は全国的に雨のせいで
なんとなくみんなローテンション
気のせいかもしれないけど
それでもGW頃よりはなんか温度感が違いました

あー、みんな生き物だー
文字書くし、なんか大層な仕組みの中で生きてるけど
やっぱ生き物だーーー
穏やかで微笑ましい気持ちになって
ほほえみました

思い出したんですが、
そういや去年の大学の研究課題で
心地よい音について実験するものがありました

音の高さって、声だとわかりやすいけど
連続的に変えられるものじゃないですか?
でも、音楽で使われる音の高さって
飛び飛びになってますよね

ドとレの間には名前がない高さの音が詰まってるのに
せいぜい使うのはド#だけで。
しかも、音が生まれた場所も時期も世界中でバラバラだったのに
さっきのドとレみたいに
名前がつけられて使われる音の高さは共通していて。
だからこそ
世界中に通用して価値を見出される曲なんてのが存在して。

この理由を簡単にまとめると

・心地よく感じる音が飛び飛びになるのは
自然にある、とある音の周波数から、とある数倍した音だけ
人の脳には心地よく聞こえるという事実
・音楽や音が共通しているのは、人としておなじ種だから
心地よく感じる音の種類が共通するという事実

があるからなのですが

このことについても、どんな人も、無意識だとしても
共通して生き物としての感覚を残しているんだよな
と思いました


文明とか、社会とか、文化とか
すごく複雑なものを作ってその中で生きていると
他の生き物と人間は別格のもののように感じるけど
感覚としては共通する部分も宿しているし
ある意味強制的にとらわれている

それに気づいたのがとても面白く感じた今日です


インスタントコーヒー買ってきます!
よもぎ。

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