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映画「チョコレートドーナツ」がやばかった話

こんばんは。

今日から音声配信しようと思ってたのに全然時間がなくて、結局文章を書いている横田です。

ついさっき観た映画「チョコレートドーナツ」の感想を書こうかなと。

感想

今の世の中にも溢れているし、無くなる気配のない「差別」に対する描写、そして、「多数派がいつも正しいという価値観」がそこには描かれていた。

男性同士の同性愛カップルが、親が薬物依存で捕まってしまったダウン症の男の子の面倒を見ることになり、世の中の理不尽な視線と闘う、みたいな話、

なんだけど、

結局、ぼくたち人間が弱いなぁって思うのは、理解できないものを軽蔑してしまったり、多数派が寄ってたかって、その対象を「異物」として排除してしまう、その精神性の脆弱さを見るからだ。

広い世界に触れて、たくさんの経験をした人ほど、異なる価値観に触れ、非日常・非常識に触れ、多様性に富んだ思考が出来るようになると思ってるんだけど、

そういうことをしてこなかった人の判断基準は、周りの環境で共有されている「常識」の方に照準が合っている状態。つまり、大多数の人たちが差別をしている世界において、その差別自体が常識となり、正義であるわけです。

例えば、第二次世界大戦時、特攻隊なんかを美徳とする価値観、今のぼくたちには悍ましすぎてとても考えられないけど、これも当時、彼らの中では当たり前のように共有されていた「正しさ」だったんだよね。

そう、「正しさ」なんて、その時代背景によっていくらでも変わるし、変えられてしまう。大衆が何を正義として認識しているか、そんなものは全て、時代という前提によって変わってしまうわけです。

「正しさ」って、正しいの?

今ぼくたちが認識している「正義」とか「正しさ」とかには、何度でも言うけど「前提」があるわけです。この前提は、誰かに作られている。って考えたら、怖くない?

目の前で起きている物事を、起きているまま、普通に捉えることができないと、大衆と同じように、都合のいい「正しさ」に縛られてしまうから、

それが正しいかどうかとかじゃなくて、普通に考えて、それがどうなのかを判断できるように、物事を捉えるチカラを養うことが、本当に大事だと思うんです。

周りの意見とかに流されるのではなく、自分の感覚で、物事を捉えること。

ぼくがいつも映画鑑賞や読書を勧めたり、音楽や美術などアート作品に触れることを通して「非言語を捉える力」を養うことを勧めている理由は、この重要性にあるわけです。

徹底的に感性を高めよう。

映画を観て、美術館に行こう。

目の前の出来事を正確に捉えて、世間の「正しさ」に左右されず、自分の意見を持てるようなチカラを身につけよう。


チョコレートドーナツは、ここに書いた以外にもたくさんの視点が詰まっている、ほんとにいい作品。ぜひみてみてください。

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