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ぼくは、文字が色付きで見える人なんだけど、
これを共感覚という特殊なものらしいことを
昨年はじめて知った。

共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)は、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。

ずっとこの感覚で生きてきたのに、当たり前過ぎて今まで認知すらしていなかったことってあるもんだなぁと。

気付いてからというもの、会う人会う人にこの話をするんだけど、意外と同じような人が少ないことに気付く。ああ、ぼくは選ばれた天才なのかもしれない。とたまに思っていた。

先日、共感覚を持つ人と出会った。高校時分に共に音楽活動をしていた友人だが、彼はぼくと同じ文字×色の共感覚だけではなく、絶対音感まで持ち合わせている超人だった。選ばれた天才は彼だったことを知り、ぼくは調子に乗るのをやめた。


共感覚の存在をはっきり認知したのは、web漫画「左ききのエレン(50話)」のこのシーン。

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「左ききのエレン」作者のかっぴーさんにはほんとにたくさんの言葉と考え方を貰って、感謝している。この漫画に関してはまた別の記事で。


そういえばこんな記事も見たことがある。

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https://irorio.jp/kaseisana/20170503/398789/


あと、ぼくの性格や雰囲気を、ネクタイの質感や柄や色合いで例えてくる女の子にも会ったことあるな。ちょっと違う?(ちなみにぼくは、シルク生地の濃い緑と青が混ざった、薄めのネクタイだそうです。)

まあ、とにかく、
いろんなタイプの共感覚者がいるらしい。


話を戻して、共感覚とは、つまりは感覚異常のことなんだけど、多くの人はこれが原因で不便を感じたりすることも殆どないみたいなので、消極的なものとして捉えられることは少ない。

役に立っているかと聞かれるとそうでもないんだけど、例えば人の顔と名前を覚えるときに、名前のスペルを色付きで思い浮かべたものと、その人の顔とをリンクさせて印象に残すことは得意なので、こういう使い方をする分には便利なのかもしれない。

そういえば、何故か色の判別というか、色に関しては目がいいと自負していて、一度それを立証するために数値で正確に測ってみたいと思っているところ。良い検査情報があればぜひコメントを。

ちなみに、道を覚えるのは絶望的に苦手だ。方向音痴な訳ではない(と思っている)んだけど。


そう、苦手なことも、もちろんある。

思いつきながら書いているけど、例えばADHD(注意欠陥・多動性障害)なんてのがある。じっとしていられなかったり、忘れ物や置き忘れ・紛失が多かったり、ポストの中身を確認するだけのことが出来なかったり、症状は様々なんだけど、そういう人がぼくの周りにも結構たくさんいる。

最近「多動力 (堀江貴文)」という作品で大衆に発信されたことによって、多動性に関してはより前向きな認知のされ方が広まっている、というよりむしろ、「社会性の無さ」とセットで成功者に共通している特徴として紹介されるような場面も増えてきた。

ADHDに括られるものなのかどうかはわからないけれども、ぼくは、とにかく「タスク処理が抜けてしまう」傾向がある。つまり、やるべきことをやっていない、みたいなのが昔からずっとあって、今でこそ「これは病気だ」なんて半分冗談で言ってるんだけど、当時は何でそうなるかが自分でもわからず、指摘されるたびに悩むことも多かった。

ぼくにとってこれは、カバーする自己管理能力さえ付ければ解決することだとも思っているので、なんとか乗り越えていきたい欠如ポイントである。

身体的・精神的な障害なんかの意味合いも含めて、多くの「欠如したひと」あるいは「個性が極端なひと」が、それ自体をネガティヴに抱え込むのではなく、病名でも症状名でも「何か」にカテゴライズしてしまえばそのせいに出来るわけだから、そんな簡単なことで気持ちが楽になって救われるひとが増えるのめっちゃいいじゃん、と思ったりもするのです。

逆も然りだとの指摘も踏まえて、
センシティブな話題だと理解した上で、ね。

#多動力 #コミュニケーション #障害 #個性 #病気 #能力 #共感覚 #社会性 #ADHD #左ききのエレン


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