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リタの中のリコ、現る。

こちらの本を読んでます。

「善意の押しつけ」に関する話が載ってて、あるあるだなぁ〜と。

どんな話?

頭木さんという方、大腸炎を患い、食べられない食材があった。
仕事相手と食事をするさい、その食材が入った料理を勧められたが、事情を説明して断った。

相手は「そうですか」と引き下がったが、
しばらくすると「少しくらいなら大丈夫では?」と言う。
さらに「ちょっとくらいなら、いいじゃないですか」としつこく勧めてきた、という話。

「美味しいものを食べさせたい」という相手に悪気はないが、頭木にとっては恐怖でしかなかった。

書籍より引用

こうなると、「利他」の中に含まれていた「利己」が前景化してくる。

書籍より引用

うわー、これあるなぁと。

✅正月のおばあちゃん家

たとえば、正月におばあちゃんの家に行くとする。
ごちそうが用意されている。
うれしい、たのしい、おいしい。

でも、無限には食べられない。
「もうお腹いっぱいだよ」と言う。
すると、

「もうちょっと食べない?」
「せっかく作ったから、食べていってよ」

みたいな流れ。

これまさに、
「リタの中のリコ、現る」じゃないかなぁと。
「(私が)せっかく作ったから〜」という利己。

臨床心理学者の河合さんも、こう言ってます。

他者に善を行わんとする者は、微に入り細に渡って行わなければならない。

つまり、利他は簡単ではないと。

で、その簡単ではない利他をどう実践したらいいのか?という話を、仏教の教えで説いていく…って本らしい。たぶん。

まだ途中までしか読めてないので、何か発見あったらいつか記事にしますね。
…たぶん。

✅SNSは利己を抑えるのにうってつけ?

リタの中のリコ、現る。

これ、たとえば本の貸し借りとかでもあるよなーと。
私が、この記事で紹介してる本を、目の前のあなたに勧めたいとする。

「これ、読んでみてよ」
「〇〇さんにピッタリだと思うんだよ」

と、現物を押し付ける。

すると、あなたは興味がなくても受け取らざるを得ない。
そして、返す時に感想を強要される。

でたー!リタ中のリコ!

そんなの、イヤですよね?

******

昔は、その方法しかなかった。
でも、今はSNSがある。

こうして、noteに思いを書く。
読みたい人が、読みたいタイミングで記事を読む。
本が気になれば、読む。
記事も本も、読みたくなければ読まない。

いい時代になったなぁと。

勝間さんも、こう言ってます。

SNSの素晴らしさは何かというと、私達が常に自分以外の人の頭の中を覗けるようになって、その知識や知恵をタイミング差がある中で活用できるようになったということだと考えています。

勝間さんメルマガより引用

自分が既に出来ていることで、誰かが困っていることがあれば、押し付けがましくない程度に参考情報として渡すことはできますし、また直接教えると角が立つのであれば、ブログその他に残しておいて、必要な時にそういった人たちが検索をしてやってくるような仕組みを作ることも可能になります。

勝間さんメルマガより引用

これ、ホント素晴らしいなぁと。

ただその一方で、
SNSを使わない・使えない・知らない
という人も。

そうなると、
特定の人に押し付ける
→受け入れられなかった場合、お互い良い気がしない
→負のスパイラル?
みたいになるのかなと。

SNSにも負の面はもちろんあるし、直接の一対一のやりとりにだって良い面はある。

ただ、その知識や思いを伝える「手段」は、多く持っていたいなぁと。

そのためにも、「SNSという手段」を使うことは、もはや必須と言ってもいいのかもしれない。
たぶん。
知らんけど。


利他と利己について考えていたら、SNSにたどり着いた、という話でした。

〈あとがき〉
「利他中の利己」って、ハライチの岩井が言いそうだなと思いました。SNSという手段、とか偉そうに書きましたが、発信に使ってると言えるのはnoteしかありません。偉そうなこと書いて、ごめんねごめんね〜。
今日もありがとうございました。

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