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漢字と方言とインストール。

小学校の授業参観の時の話。

先生、パワポ画面をスクリーンに映しつつも
黒板に板書している。

「板書って、なんだかんだで必要なんだろうな」

と思いながら見ていたところ、あることに気がついた。

それは
「クラスの子どもが習った漢字のみを使って、板書している」
ということ。

いや、そりゃそうでしょうよ、と思った方もいるかもしれない。
娘は小3なのだが、おそらく先生は習っている漢字のみを使って板書をしている。

「交つう安ぜん」
「消火き」

のような、絶妙な文字が並ぶ板書。

子どもたちに質問し、そこから吸い上げたキーワードを板書する先生。
もう、すごい…としか言いようがない。

この板書、「はい、やってみて」と言われたらできるだろうか?

たとえば、noteの記事。
「小3が読むことを想定して、習った漢字を使用して作成せよ」と言われたら?

まず、小3で習う漢字が分からない。
分かったとしても、とっさにその漢字を使って文字を書けるか?と言われたら、答えはNo。

もし、このミッションが与えられたら?

一番簡単なのは
「すべての漢字にルビをふる」

これが一番簡単な気がする。

あとは、文章を考えた上で、ChatGPTに条件付きで出力させるとか?
試しにやってみたけど、「え、本当?」と信憑性に欠ける感じだったので却下。



でも先生は、ルビをふるでもChatGPTに聞くでもなく、当然のように板書している。

先生の中には、学年別の漢字がインストールされているのだろうか?

小学1年生を担任していた先生が、翌年は5年生を受け持つ、なんてケースはよくありそう。

その度に、インストールし直しているのだろうか?
それとも毎日接しているから、自然とその学年に合った漢字がスラスラと出てくるのだろうか?

とはいえ、先生だって大人向けの文章を書くこともあるだろう。
保護者に向けて、または友だちや家族に向けて。

それを使い分けてるって、すごいよなあ。



と書いていて思い出した。
小学生の頃、言葉を使い分けている時期があった。

それは、方言である。

四国に住んでいた時期があり、学校ではみんな方言で話していた。
だが、母親は方言をあまり好まなかった。

なので、
・学校では方言
・家では標準語

と使い分けていた。
特に意識はしておらず
「そういう環境だったから」としか言いようがない。

当時の記憶はうっすらとしか残っていないが、「すごく苦労した」という記憶は…ない。

方言と標準語がインストールされていて、それが必要な場所で稼働していただけ、なのかもしれない。

もしかしたら、先生も同じなのかも?
環境に順応しているだけなのかも?



真実は分からないけど、やはり先生ってすごいよなあ…と改めて思ったのでした。

<あとがき>
小学校の先生って偉大だなあと思うのです。
学級を受け持って、芸術以外の授業は全部実施、子どものメンタルサポート、保護者との関わり、さらには修学旅行という泊りがけもあったり。
以前ホリエモンが、学校の授業は人気講師のサテラインにして、先生は現場で子どものサポートに集中したら良いのでは?と発言してましたが、それもありなのかもしれないなーと。未経験の為想像でしかないのですが、先生ってかなり激務ですよね…。
今日もありがとうございました。



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