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新型コロナウイルスの批評・評論・論文まとめ

人文学、科学技術コミュニケーション、文理融合の分野で、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)・COVID-19・その社会現象・思想についての批評文・評論文・論文などをまとめます。このページは2020年4月26日に公開しましたが、その後更新を続けています。皆様からも有益な文章の情報提供をお願いします。名乗り遅れましたが、街河ヒカリと申します。このページは全文無料です。

パンデミックを生きる指針——歴史研究のアプローチ

1件目です。

藤原辰史(ふじはら たつし)、2020年4月2日公開、4月18日更新。

この文章はボリュームがあります。まさに人文学です。新型コロナウイルス感染拡大によって人々の認識が変化し、ビッグデータによる個別生体管理型の権威国家と自国中心主義への移行が強化される可能性を危惧しています。また、コロナ禍以前から生活に苦しんでいた人びとにこそ、新型コロナウイルスが甚大な悪影響を及ぼすことを問題提起しています。この文章は反響があったようです。PDF版も公開されています。

2件目

僕はみんなで新型コロナの不安を共有する社会を選ぶ
ウイルスにおびえ経済をぶっ壊して貧しい人をどんどん地獄へおくるのか

赤木智弘(あかぎ ともひろ)、2020年4月7日公開。

筆圧が強い。原文の表現を活かしつつ、要点を以下にまとめます。

自粛は経済活動の否定である。政府は金の給付もろくにできない。外出した若者が悪者扱いされている。精神論が蔓延している。以前から社会には格差があったが、富裕層はリスクを避けることができていた。しかし、新型コロナウイルス感染症の拡大で、富裕層にも命の危険が及んだ。こうして富裕層が怖さを自覚して当事者意識を持つことが重要だ。自粛による景気の悪化で苦しむ人々は、富裕層でなく貧困層である。

僕たちが苦しいときに彼らが当事者意識を持つことをしなかったように、彼らが怖がっている時だからこそ、僕も誰かにうつすかもしれないなどという当事者意識を持たず、他人事として活動させてもらう。

出典:「僕はみんなで新型コロナの不安を共有する社会を選ぶ」

3件目

「コロナ後の世界」に忍び寄る「健康・健全ディストピア」
不健康と不健全が「罪」となる社会で

御田寺 圭(みたてら けい)、2020年4月18日公開。

御田寺 圭(みたてら けい)さんはテラケイさん、白饅頭さんとも呼ばれています。要点を以下にまとめます。

人々は健康を「個々人が責任をもって維持するべき社会的規範」と考えるようになった。健康・健全な社会を作るという目標は、喫煙、飲酒、肉食といった生活習慣への批判に留まらず、アニメ・ゲームというカルチャーの規制まで射程距離に入れている。アフター・コロナの世界では、この世界的潮流が加速していく。貧困層は健康管理が困難である。貧困は必ずしも自己責任ではない。貧困層と富裕層の間では、富と健康の両方で格差が生まれる。アフター・コロナに待っているのは、「ヘルシー・ディストピア」である。

4件目

暗黒メモ「アルティメット・フェアネス」

御田寺圭、2020年3月27日公開。

有料記事です。御田寺圭さん、藤原辰史さん、赤木智弘さんの3名は着眼点が似ています。

資本主義を終わらせるついでに、世界が終わってしまったとしても、別にかまわない。なぜなら自分の人生にそれほど惜しむほどのものがないのだから――と考える人びとは、「究極の公平」を求める、無敵の弾丸なのである。

出典:「暗黒メモ「アルティメット・フェアネス」」

5件目

暗黒メモ「アルティメット・フェアネス part.2」

御田寺圭、2020年3月28日公開。

有料記事です。記事の前半では、感染拡大の阻止には多数の人びと行動制限が必要であるが、自由を尊重する現代社会では他人への行動制限が困難であることから、「リベラル・エリート」の限界を指摘しました。記事の後半では、強いリーダーシップが非常事態に効果的であることを指摘しました。その箇所を引用します。

人びとは「私たちを締め上げるが、しかし混乱を鎮め、責任を負ってくれる独裁者」の方を「責任を負わず、人びとの自由を認めて、大惨事を引き起こすかもしれないやさしいリベラリスト」よりも信頼してしまう。

出典:「暗黒メモ「アルティメット・フェアネス part.2」」

6件目

観光客の哲学の余白に 第20回 コロナ・イデオロギーのなかのゲンロン

東浩紀(あずま ひろき)、2020年4月17日発行。

コロナ・イデオロギー。それは、身体的接触のリスクを冒さなくても、情報の交換さえあれば社会がつくれる、文化もつくれる、文化も守れる、人間としても生きていけるというイデオロギーである。

出典:「観光客の哲学の余白に 第20回 コロナ・イデオロギーのなかのゲンロン」

東浩紀さんは、社会の多くはオンラインでは代替不可能であると述べ、「オンラインで社会の多くのことを代替できる」との幻想が社会に拡大していることを批判しました。そこからさらに考察を広げ、SF・ミステリの作品を参照し、「コロナ・イデオロギー」が今回のコロナ禍以前から存在していたことを指摘しました。そして「コロナ・イデオロギー」が個人監視と親和性が高いことを危惧しました。

この文章は月刊の電子批評誌である『ゲンロンβ48』に掲載されたため、『ゲンロンβ48』を購入すれば読むことができます。『ゲンロンβ48』はゲンロンショップから購入できます。また、過去のゲンロンβはAmazonで電子書籍として購入できました。現在はAmazonでゲンロンβ48を購入できないようです。

7件目

人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を

著者は『サピエンス全史』の著者であるユヴァル・ノア・ハラリさん、翻訳は柴田裕之さんです。原文は2020年3月15日に「TIME」誌の記事となり、日本語訳が2020年3月24日に公開されました。内容はタイトルの通りですので、御田寺圭さん、赤木智弘さん、藤原辰史さん、東浩紀さんとは着眼点が異なります。

8件目

システム思考による新型コロナウイルス感染症対策の可視化~政府・専門家会議が検査を増やすことができなかった「理由」~

調 麻佐志 (しらべ まさし)(東京工業大学・リベラルアーツ研究教育院)

鳥谷 真佐子(とりや まさこ)(慶應義塾大学大学院・システムデザイン・マネジメント研究科)

小泉 周(こいずみ あまね)(自然科学研究機構・研究力強化推進本部)

2020年4月公開。本論文は科学技術コミュニケーションの専門誌(ジャーナル)である『科学技術コミュニケーション』の第27号に掲載され、全文が無料公開されています。

著者はシステム思考の技法である因果ループ図を用いて、新型コロナウイルスが持つシステム的な特徴を「感染モデル」と「発症者対応モデル」に分けて図式化しました。著者は、日本において新型コロナウイルスの検査数が意図的に抑制された理由として、軽症者の入院を避けることで医療資源の削減を避ける戦略があった、言い換えるならば、もし検査数を増やすと軽症者の入院が増加し、医療資源が枯渇すると予想されたからだと分析しました。そして今後日本において取るべき対策として、「感染機会の強力な削減策と保障の実施」と「医療資源への影響を抑えて検査が実施できる医療体制の導入と検査の徹底」の2点を提案しました。

なお、本論文とほぼ同じ内容の文章が、著者によってnoteにも公開されています。2020年4月5日公開、4月6日修正です。

システム思考でみる新型コロナウィルス感染症 ~ 政府・専門家会議が検査を増やすことができなかった「理由」と、今なすべきこと

ジャーナル『科学技術コミュニケーション』の編集者である川本思心先生は、新型コロナウイルス感染症に関する論文、エッセイ、記事の投稿を呼びかけています。今後もジャーナル『科学技術コミュニケーション』には有益な文章が公開される可能性が高いため、注目に値します。

9件目~14件目

現代思想2020年5月号 緊急特集=感染/パンデミック
-新型コロナウイルスから考える-

2020年4月28日発売。

雑誌『現代思想』でもやはり特集が組まれました。青土社のウェブサイトから紹介文を引用します。

新型コロナウイルスから考える感染症と思想の交差点
新型コロナウイルスをめぐる報道が目下加熱しているが、感染症との闘いとその共存は、人類史のなかで一大テーマとなってきた。 本特集では感染症とその対策をめぐる現場の最前線から、パンデミックをめぐる人類史、そして患者の隔離政策やワクチン接種などをめぐる統治、感染をめぐる表現などを追い、検討する。

出典:http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3414

9件目

感染までのディスタンス

美馬達哉(みま たつや)、『現代思想』2020年5月号、2020年4月28日発売。

2019年末から「新型コロナ肺炎」の経緯を俯瞰的にたどり、次に中国とイギリスで実施された非製薬的介入(別名NPI)の内容と効果を詳細に説明し、最後には生政治(バイオポリティクス)の観点からベンヤミンを参照しました。

10件目

感染症の疫学とアウトブレイク対応

津田敏秀(つだ としひで)、『現代思想』2020年5月号、2020年4月28日発売。

感染症と疫学についての基本的な考え方、たとえば基本再生産数(R0)と致死率の計算方法などが具体的に解説されています。定義についてもきちんと説明があり、incubation periodとlatent periodは違う意味だが日本語ではどちらも「潜伏期間」と翻訳されることが多い、というように翻訳前に遡って定義を説明しています。

11件目

フーコーにおける感染症と安全

西迫大祐(にしさこ だいすけ)、『現代思想』2020年5月号、2020年4月28日発売。

前半はペストとコレラの歴史をフーコーの観点から考察し、後半は「生権力」と、現在の法・規律・安全について考察します。

御田寺圭さんは「「社会の健全化・潔癖化」が進められる「アフター・コロナの世界」」について論じ、その社会像を「健康・健全ディストピア」「ヘルシー・ディストピア」と名付けました。御田寺圭さんが論じた現象をフーコーの観点から考えると、さらに発見があるかもしれないと私は思いました。

12件目

COVID-19時代のリスク その不平等な分配について

粥川準二(かゆかわ じゅんじ)、『現代思想』2020年5月号、2020年4月28日発売。

社会経済的地位が低い人々は健康状態の悪化や経済的困難に直面する可能性が高いことを、多数のデータから導出しました。また、最後にはフーコーの「生権力」に言及しました。

やはり多数の方々がフーコーに言及しています。

13件目

コロナから発される問い
二十一世紀のコロンブス的交換、「人新世」における「自然」

塚原東吾(つかはら とうご)、『現代思想』2020年5月号、2020年4月28日発売。

『現代思想』2020年5月号の中で、特に視野が広いのではないでしょうか。

まず文章の前半で、感染症を考えるアプローチを探るため、先行研究を再検証しました。デイヴィッド・アーノルド、「コロンブス的交換」、フーコーの「生―権力」、ラジャンの「生―資本」、他にも多数の先行研究からアプローチを探りました。次にヴェル・ノア・ハラリらの論考を批判的に分析しました。そして「科学をどのようにして市民の手に取り戻すか」の問いを立てることが必要だと述べました。文章の後半では、「人新世」の概念から、人間と自然がどのような関係を切り結ぶべきかを問いました。

この文章の中でははっきりとした答えが出されていませんが、塚原東吾さんは文章全体を通し、歴史を見直すことの重要性を訴えています。

14件目

鼻口のみを覆うもの
マスクの歴史と人類学にむけて

住田朋久(すみだ ともひさ)、『現代思想』2020年5月号、2020年4月28日発売。

マスクの歴史がドキュメンタリーのように具体的に綴られていました。この文章からは、住田朋久さんの研究がこれからも発展しそうな気配を感じました。「花粉症の歴史と人類学」についても研究していらっしゃるそうです。私は今後も継続的に住田朋久さんのご研究を追い掛けたいと思います。researchmapへのリンクを載せます。

15件目

思想としての〈新型コロナウイルス禍〉

2020年5月27日発売。出版社は河出書房新社です。

出版社のウェブページから目次を引用します。

大澤真幸 不可能なことだけが危機をこえる 連帯・人新世・倫理・神的暴力
仲野徹 オオカミが来た! 正しく怖がることはできるのか
長沼毅 コロナウイルスで変わる世界 
宮沢孝幸 新型コロナウイルスは社会構造の進化をもたらすのか 
椹木野衣ポスト・パンデミックの人類史的転換 
与那覇潤 歴史が切れた後に 感染爆発するニヒリズム12
笙野頼子  台所な脳で?  Died Corona No Day 
酒井隆史 パンデミック、 資本 とその欲望 〈〉
小川さやか 資本主義経済のなかに迂回路をひらく タンザニアの人々の危機への対処から
木澤佐登志 統治・功利・AI アフターコロナにおけるポストヒューマニティ綿野恵太 「ウンコ味のカレーか、カレー味のウンコか?」という究極の選択には「カレー味のカレー」を求めるべきである。
樋口恭介Enduring Life(inn the time of Corona)
工藤丈輝 流感・舞踏 
小泉義之 自然状態の純粋暴力における法と正義 
江川隆男 自由意志なき 自由への道  〈〉行動変容から欲望変質へ
石川義正 「人間に固有の原理としての愚劣」 
堀千晶 感染症と階級意識 
白石嘉治×栗原康 カタストロフを思考せよ

(目次はここまでです)

出典:http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309249667/

16件目

新型コロナ 19氏の意見

2020年5月14日発売。出版社:農山漁村文化協会。

出版社のウェブページから説明文を引用します。

新型コロナのパンデミックが急速に拡大するさなか、この未曾有の事態をめぐって19人が寄稿。ウイルス学や感染症学をはじめ、医療人類学、文化人類学などの研究者、海外の辺境の地を取材するジャーナリストや探検家、医師や食生活研究家、そして農家……。各分野で活躍する19人が多角的・複眼的な視点から、新型コロナとそれがもたらした社会現象について論じる。この感染症とその影響が急速に広がる原因となった社会や経済システムの脆弱性にも目を向け、そこに新型コロナ禍という大きな災厄を希望に変える手がかりを見いだす。
出典:http://shop.ruralnet.or.jp/b_no=01_54020137/

17件目

マガジン限定記事vol.119「平等を『克服』した世界」

御田寺圭、2020年6月6日公開。

有料記事です。御田寺圭さんは、ウォルター・シャイデルの本『暴力と不平等の人類史: 戦争・革命・崩壊・疫病』とケネス・シーヴの本『金持ち課税――税の公正をめぐる経済史』を参照しました。それらの文献では、人類の歴史において戦争や革命などの多数の一般市民が命を落とした事件のあとに富の再分配が実現したことが説明されています。言い換えるならば、一般市民は戦争や革命などのあとに富裕層に対して強い交渉力を発揮したということです。しかし、そうでない平時においては富の再分配が起きませんでした。

2020年においては「新型コロナウイルスによるパンデミックが富の再分配を、つまり平等を実現する起爆剤になるのではないか?」と期待した人々がいました。御田寺圭さんも自分がその一人だったことを認めました。

しかし、御田寺圭さんはその見通しが厳しいことを説明しました。

現代の富裕層の中には新型コロナウイルスのパンデミックで得をした人々がいました。また、テクノロジーや社会システムの進歩によって、感染のリスク、暴力のリスク、経済のリスクから自分たちを遠ざけた富裕層の人々がいました。

これらの理由から、御田寺圭さんは「アフター・コロナの世界」において平等の実現が難しいのだと問題提起しました。


以上です。今後も皆様からいただいた情報を元に、このページを更新します。情報提供をお待ちしております。

本ページのカバー画像には、「あらまきりん」さんの写真を使用いたしました。ありがとうございました。

街河ヒカリを今後もよろしくお願いします。

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