家族を編集する人として生きていきたい。
インターネットのおかげで情報や人との距離は縮まりました。では、家族との距離は縮まっていますか?
はじめまして。洋子です。
これからの人生、私は家族を編集する人として生きていきたいと思っています。この記事はその決意をこめたものです。
私のように後悔する人を一人でも減らしたい・・・!という気持ちで書いています(後述します)。大切な家族がいるすべての人に読んでもらえたら嬉しいです。
家族を編集するって…?
家族をカメラで撮り、取材し、書いていくこと、です。
突然ですが、家族の前で素直になれますか?
私は「ありがとう」も恥ずかしくて言えないです。家族って大切な存在なのに、一番素直になれない。だからこそ、第三者の視点で家族を取材し書くことがしたい。
そう思うようになったのは、人生最大の後悔がきっかけでした。
今でも思い出すと涙が出る
両親が共働きだった私は、おばあちゃんに育てられました。
家事や内職にどんなに忙しくても、たくさんの本を買って読み聞かせてくれたおばあちゃん。
私が上京してからは、帰省するたびに大好きなほうとうを作ってくれたおばあちゃんが、2012年の7月、亡くなりました。
実家に住んでいたときも、上京したあとも、私はできるだけおばあちゃんに会いに行っていました。
それでも後悔していることがたくさんあります。
「もっと感謝を伝えればよかったな…」
「もっといろんな話をしたかった」
「日々の出来事を残しておけばよかった」
亡くなってから6年たった今も、悲しみが突然おそってくるときがあります。涙が出て、のどはぎゅっと息苦しくて、でもどうすることもできない。もしなんでも願いが叶うとしたら、おばあちゃんと話がしたい。
素直になるのは難しいから
こんな後悔を少しでも減らすには、家族が生きているうちに素直な気持ちを伝え合うことです。でもそれってかなり難しいと思っています。
なぜなら「もうこんな後悔はしたくない」と思っている私でも、いざ母と父を目の前にすると素直な気持ちを伝えられないからです。
でもこれって私だけじゃないかもしれない。同じようになる人が多いんじゃないかな…?
その人たちが大切な人を亡くす度に、こんな後悔をするの…? そんなこと、あっていいわけない。
「じゃあ私にできることはなんだろう」と考え続けて形になったのが、「家族の編集者」というわけです。
素直になれないからこそ、家族には第三者が必要です。
具体的に何をするの?
家族と一緒に過ごさせてもらい、お話を聞いて、オリジナルの一冊にまとめ、ご家族の方へ贈ります。
たとえば、気がかりではあるけれど忙しくてなかなか会えない家族とか。入院している家族とか。国内でも国外でも、祖父母、両親、子ども、どなたにでもお話を伺いたいです。
また、お葬式に伺って故人との思い出を取材させていただくことも、大変意義があると思っています。海外には、遺族や友人が故人との思い出をシェアする習慣があるそうです。そんなこともやっていきたい。
そのために今からできること
noteで家族エッセイを更新します
写真の腕を磨きます(オンラインコミュニティ「旅と写真と文章と」「Salon de Photo」所属)
デンマークで働く友人を取材したので、彼のご両親に贈る冊子を作ります
ライティング・撮影・インタビューの力を磨いていきたいと思っています。
最後に
大切な人を亡くして後悔しないなんてありえないよ、と言われたらもう本当にその通りです。でも家族の伝えたい思いが書かれた冊子があるとないとでは全然違うと思います。
また、このチャレンジは私個人のためでもあります。私はどう頑張っても、もうおばあちゃんと話すことはできない。だから誰かの後悔を少しでも減らすことで、「おばあちゃんの死は悲しくて仕方ないけど、この後悔と悲しみを経験したからこそできたんだ」と思えるような気がするのです。
家族は不思議な存在です。
近いようで遠く、遠いようで近い。
家族以外の第三者だからこそ、できることがあると信じています。
私の人生を通して、だれかの後悔を1ミリだけでもいいから減らすことができたら。そのために今できることから始めていきたいと思っています。
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