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【考え事】車輪の再発明

■JIN - 仁 -

 コロナの影響で今クールのドラマが軒並み過去のドラマの総集編になっていますね。やはり総集編に選ばれるだけあってどれも面白いです。どうせ長期戦なんだから総集編ではなく全編やったらいいのに、と思う一方で、まぁ撮影ができるようになるまでは暫くかかりそうだから色んなドラマの総集編が観られるのか、と楽しみになっている自分がいます。

 その中でもJINが結構面白いです。このドラマは大沢たかおさん扮する医者の仁先生が江戸時代にタイムスリップしてしまい、その時代には無い医療技術を使って当時は治せない病気を治していくようなお話です。ちょうど幕末であり、坂本龍馬や勝海舟など歴史上のキーマンに結構密に接しているので、自分が未来の医療を行うことでもしかしたら歴史を変えてしまうのではないか・・・という不安と戦いながら治療を行っています。

■ ペニシリン

 その中で仁先生が、江戸時代には無いけれど目の前の人を助けるために現代では当たり前に使っている道具や薬などを、当時入手可能な材料で作ってしまうシーンが結構あるんですね。消毒液を濃い焼酎で代用したり、ガーゼとか点滴とか注射針とかも作っちゃったり。「なるほど点滴って口から食べられない人に栄養を与えるのにめっちゃ便利やなぁ。」なんて思ってしまうわけです。

 その中でも最大の発明が「ペニシリン」です。

ペニシリン(英語: penicillin)とは、1928年にイギリスのアレクサンダー・フレミング博士によって発見された、世界初の抗生物質である。抗菌剤の分類上ではβ-ラクタム系抗生物質に分類される。フレミングはこの功績によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。
(Wikipedia:「ペニシリン」より)

ご覧いただくと分かるように、1928年のイギリスで開発されたので、1863年の日本にはまだ無いんですね。微生物と戦う抗生物質なので、当時では戦いようがなかった様々な病気の治療ができるようになります。当時の人々の発想にない手術もバンバン行い、医者も含めて江戸の人々に衝撃を与えています。

■ 車輪の再発明

 すでにある技術を改めて開発してしまうことを「車輪の再発明」と言ったりしますね。ソフトウェアなどの界隈では「そんな車輪の再発明してる暇があったら新しいもの作れ。」などとネガティブに捉えられる言葉です。

車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英: reinventing the wheel)とは、「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を指すための慣用句。誰でも直観的にその意味が分かるように、車輪という誰でも知っていて古くから広く使われている既存の技術を比喩の題材として使った慣用表現で、世界中で使われている。

 でもJINを観てると、車輪の再発明も悪くないんじゃないかな~と思えてきました。なんとなく以下の2つのメリットがあるんじゃないかと思います。

(1)原理や仕組みの理解が進む
(2)技術のジャンプの理解が進む

■ 車輪の再発明のメリット

(1)原理や仕組みの理解が進む

 まず何が凄いって、仁先生はググらずにペニシリンを作れてしまうわけですよ!!お医者さんってこんなに凄いのか・・・。Amazonでペニシリンの本を買うにも、図書館に行こうにもそんな概念すらないかもしれない時代に、記憶からペニシリンの生成方法を再現するってどんだけ化け物やねん。。。というやつですよね。。

 1からスマホ作れますか?インターネット作れますか?検索エンジン作れますか?LANケーブル作れますか?Wi-Fi飛ばせますか?という感じですよね。。えぐいな。。

 という事で、我々が普段ユーザーとして利用しているものって、意外と原理が分かっていないんですよね。アクセルを踏むとなぜ車が加速するか、レンジの「あたため」を押すとなぜ食べ物が温まるか、など、その当時に戻ったら「電子レンジ使えば一瞬なのに・・・」とか思う事が死ぬほどあると思います。

 高度成長期などはラジオやテレビの分解・車いじりなどをしていた人口が多かったと思うので、そういったハードのエンジニアリングが得意な人はすげぇ多かったんだと思います。実際機械を触るのは楽しいですもんね。それが自動で動いたらそりゃ興奮するでしょう。今はインターネットの波でほとんどすべての産業がソフトウェアに変わってきているのですが、いかんせん目に見えないのと教育が追いついていないのとで、ソフトウェアの原理原則を理解してブイブイ言わせている人ってすごく少ないと思います。

 新進気鋭のデータサイエンティストでも、tensorFlowやsklearnがimportできなくなったら閉店する人が多いと思います。失ってはじめて分かる、model.fit()でフィッティングできるありがたみ。これが享受できなくなると水を抜かれた魚のようになる方は多いと思います。「俺はnumpyでゼロから書けるぜ!」という強者もいると思いますが、pythonが使えなくなったら「うっ。。」となり、それでも「いや!C++やJavaで書けるぜ!」という宇宙人が一定数いて、その宇宙人もコンパイラが使えなくなると「うっ。。。」となり、それでも生き残る「AWKで行けるぜ!」という変人がいて、その変人もLinuxが使えなくなったら「うっ。。」となり、「いやいやうちはディープラーニングもアセンブラでやらせてもらっています」という人間国宝がいて、その人間国宝も電気が使えなくなったら「うっ。。。」となり、「はいはい、通電しますよー。」という電気工事士が最強のデータサイエンティスト、ということになりますね。

 ちょっと途中から技術ジャンルが変わった気もしますが、そういう多層×ジャンルのつながりで社会が回っているんだと思います。そして各ジャンルは歴史的に技術のレイヤーが重ねられて進歩していくんですね。我々が今立っているのはそういう発明や技術進歩の一番上のレイヤ―で、ここから積み上げるのが我々の代の仕事だと捉えると良いと思います。

 いざタイムスリップしてしまったときのために、普段から原理に触れておく必要があるかもしれません。

(2)技術のジャンプの理解が進む

 そういった技術の進歩って、多分その時代には考えられなかった発想のジャンプがもたらしているんだと思います。スティーブ・ジョブズのiPhone発表のプレゼンなんか、プレゼンスタイルが注目されがちですが、凄いのは「iPodとインターネットと電話を融合させよう」という発想です。一般の人からすれば「は??」という感想ですが、その後10年経ってどうなったかはご承知の通りです。当時「もっといいガラケーを作ろう」とか「iPodなら我が社でも開発できる」と思っていた人からは一生出てこない発想でしょう。ジョブズはその発想と一緒にアプリとAppストアというビジネスモデルも同時に考えたという点で教科書の人となったわけですが、我々にもこのジャンプには学ぶ所があり、それは今当たり前に使われている技術でも、その前の技術に比べてどうジャンプしたのかを学べる良い教科書になるんだと思います。

 多分車輪も当時相当な発明だったんだと思います。キングダムの時代には既に出てきているので発明されたのはもっと前だと思いますが、当時怪力の大男しか運べなかった重たいものを誰でも運ぶことができるようにしたり、ピラミッドに積む大きな岩を丸太に乗せてゴロゴロ転がしたのかもしれません。そういった発明の時には目標を達成する方法を抽象化して機能に分解し、その時点では行われていなくても機能を満たせそうな実装方法を試してみる、というエンジニアリングの発想が必ずあったんだと思います。

 

 と、いうことで、今使っているものの当時の発明経緯を借りることで、今の技術のジャンプの可能性を上げられるという点で、車輪の再発明も悪くはないと思うのです。

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