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【考え事】ぼんやりと見える未来の微修正

■ 人生1回目

 人生はやり直しが効かないので、みんな今過ごしている人生が1回目のはずだ。しかし日々を過ごしていると明らかに人生経験の桁が違う人と遭遇して、前世からの貯金があるのではないかと疑ってしまうような事も多い。

 大学はごくまれに入り直す人もいて2校目などがあり、社会人になると2社目、3社目というキャリアは普通に出てくるが、受験・上京・留学・結婚・出産など、人生でそう何度も経験することが無いイベントなどは基本的にみんな初めての経験になるのではないだろうか。

 それでもなぜか自信満々で受験や留学などをこなす人と、不安に駆られながら臨む人がいる。どちらも初めての経験なのにどうしてそのような差が出るのだろうか。そして往々にして、自信がある人が得をする結果になる。

■ キャラ

 初めての経験の場合、「過去に上手くいったから大丈夫」という保証は誰にも無い。上手くいくかどうかの条件は全員平等のはずだ。それでも自信満々で臨むことができる人は何を根拠にしているのだろう。

 かなり曖昧な概念だがその違いに一番影響している性質は、いわゆる「キャラ」なのだと思う。人間性と言えるかもしれないし、集団の中でどう振舞うかのタイプと言えるかもしれない。「○○さんってどういう人?」という質問への端的な回答がその人のキャラなのかもしれない。

 人それぞれに違った個性があると言っても、誰もが集団の中で生活をしているので、キャラクターはある程度パターン化されていく。「学級委員タイプ」や「チャラ男」や「ガリ勉」や「高嶺の花」など色々なキャラがあり、おそらく自身の人生経験から、それらに当てはまる人はパッと思い浮かぶだろう。

 そうした個性は所属する集団の平均からのズレであり、偏差値70を超えるような名門校の「チャラ男」と、廊下にバイクが日常的に走るような治安の学校の「チャラ男」ではおそらく「チャラ男具合」が全然違うだろう。しかし人生は1回しかないので中学高校を(転校を除いて)他校で経験することはできず、過ごした学校の校風におけるキャラ付けがその人の中で自然と出来上がる。

■ キャラに基づいた未来

 すると不思議と、そのキャラに基づいた未来のレールが自然と見えてくる。進路指導という名目で学校の先生に言われるかもしれないし、親が政治家や医者で後を継ぐことが物心ついたときから決まっている人もいるかもしれない。この学校の学年順位でこのぐらいだったら○○大学に行く人が多い、というような、何となく今のその人に似たキャラの先輩が歩んできた進路が、特に本人の希望が無い場合のその人が進むべき進路のような姿でぼんやりと姿を現してくる。

 そして本人がどれだけ頑張って1から考えようと、どれだけ努力しようと、結果的に見るとその進路と遠くない環境に身を置いている。まるで自分は努力してもしなくても同じ結果だったんじゃないかというぐらいあっけない。

 いつの間にかその時にぼんやりと見えてきた進路を目指すか目指さないかの2択に迫られ、期限までにとりあえずでもいいからどちらか決めてくれと言われ、目指すなら頑張れと背中を押され、周りが頑張っているから自分も負けじと頑張り、と、気がつけばその「ぼんやりと見えたきた進路」の方向に向かって頑張っている自分がいる。

 そうした「その人のキャラからぼんやりと見えてきた進路」は、その人をよく知る人であれば周りの人も自分自身も同じような世界が見えている気がする。そしてそれは、「順当にいけばそういう人生になるんだろうな」というデフォルトルートのような形でその人の前に現われる。そしてその進路の影響力は絶大で、かなり強固に抗わなければ自分の人生はその方向に進んでいく。

■ そのキャラを少しずつ変える

 だから「未来のキャラを自分自身でどう設定するか」という点が私たちに与えられた選択肢で、そのキャラをネガティブに置くかポジティブに置くかで進む方向が変わる、というそれだけの差なのかもしれないと思った。特に意識しないと周りから言われるキャラに身を置いてしまうけれど、それをその都度2ミリずつぐらい明るい側に置くことができれば徐々に明るくなっていき、次に設定される「ぼんやりと見えてくる未来」が、その明るくなったキャラに基づくものに修正されるのだろう。逆に「自分なんてそんなもんだろう」とネガティブ側に置くと次回もそちら側に引き寄せられる、という繰り返しだけなのかもしれない。

■ 自信と不安

 1回目の人生の中の初めての経験という条件が同じゲームの中で、過去の経験という確固たる根拠を誰も使えない状態であれば、自信がある人と無い人の差は、ぼんやりと見えている方向の少し上側をイメージするか少し下側をイメージするか、という違いだけなのかもしれない。そしてそれを想像する回数が多くなるほどイメージが明確になって行って引き寄せられる方向が変わるのだとすれば、少しでも理想側をイメージした方が良いに決まっている。

 このぼんやりと見えている未来の少し上側をイメージする癖を「自信」、下側をイメージする癖を「不安」と呼ぶと、少し人生の解釈が楽になる気がする。

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