この記事は、本件の噂が虚偽である可能性が高いという理由について述べています。 中国ドラマ「山河令」が日本で認知されるようになり、演者について検索する人も多いかと思います。 張哲瀚は2021年8月11日に靖国神社をめぐる件で中国での活動を禁止され、現在、裁判を起こしています。 これに伴い、共演者の龔俊が「張哲瀚を利用して有名になった」という情報がブログやYouTubeで数多く上がっています。 しかし、これを否定する証拠や中国芸能界の業界構造の悪質さ、所属事務所の存
葬式は、遺された者のための儀式だと思う。 考えてもみてほしい。 「生前は立派な人だったから、いい葬式をしなくては」 「手間とお金がかかって面倒くさい」 「死んだからいうけど、あんときのあいつは」 こんな会話が多い。 死んで魂が残って参列できたとして、これらはまぁ聞きたくはない。腹が立って小突いても貫通してしまうのだからむなしかろう。 少なくとも私はいやだ。 「この金のないときにばたばた死にやがって」とは元親の言葉である。それも笑っていうのだから生きてる人間とは残酷
私は薄情な人間である。 友人から「優しい」と称してもらうが、単に嫌われたり、憎まれたりされたくないだけだ。 人間嫌いなら動物は好きか。少なくとも同じ屋根の下で暮らすのは、相手が気の毒だと思う。 これまでさんざん過去の関係者を薄情と綴ってきたが、自分も大概なものだ。 例えば友人。結婚や出産を経た友人からはよく「愚痴」を聞いてくれという連絡がくる。だらだら調子を合わせて付き合う。疲れる。 恋愛。夢想するくらいでいい。現実にお付き合いらしきことや、話を聞いた女性たちは
外出が苦手である。 人が傍にいると息苦しい。車で移動するとき、隣の車線を走る車に緊張する。故にバスや電車などもってのほかである。 外出と外食はよくセットになる。 私が精神科に行こうと決心したのは、止まらない食欲があまりにも苦しかったからである。 朝から晩まで食べた。箱入りアイス、ポップコーン、チョコレート、インスタントラーメン、パン。甘くて安いものならなんでも食べた。 薬が奇跡的に効いて食欲が減退すると、今度はほぼ食べなくなった。 その頃の一日はこうだ。朝、暗
P!nkがドキュメンタリーで語った言葉。 私はこれに罪悪感を感じた。 それまでは、すべてに裏切られたと自己憐憫や怒り、無価値を抱えていた。 感情の矛先は、元家族に向かっていた。 私の過去は、以前書いた回顧録にある通りである。 しかしその異常な家庭の中で、子供だった私にとって、唯一毅然と立ち向かう彼女が、すべての「正解」だった。 彼女の言葉に従い歩き方まで模倣すれば、「完璧である」と信じて疑わなかった。 10歳で離婚してくれと懇願したとき、「現実的にでき
「BL・やおいが好きな人はレズビアンじゃない」 こんな風に思うのも無理はないと思います。 私はレズビアンで、男性同士の絡みがあるものが大好きですが、この問題にはずいぶん悩みました。 特にレズビアンは男性を嫌うような流れを感じますし、私も若干、男性が苦手です。 しかし、偶然出会ったレズビアンの方から「私はBL大好きだし、妄想もするよ!」と聞いてびっくり。 恋愛経験豊富で、目からうろこのようなレズビアン事情を色々聞かせていただきました。 いわく「ファンタジーとリアル
30歳になったので、ひとつの区切りに、自分の過去を振り返って書き出してみた。 最初の記憶は、薄暗い夕方追い立てられながら家の裏口から締め出されたことである。段差のあるコンクリートと土の地面の50cmほどに立って、謝りながら中に入れてとドアを叩いた。母親は鍵をかけて消えていった。怖かった。しかし、夢だったかもしれない。 私はドラマチックな人間だった。 私が生まれる前の話。実家は7代に渡り米作農家を行った。祖父は、子供のころ北海道まで親に連れられ家出をしたが、やがて戻ってき
たばこを買ったのは、20代前半の頃。拒食症のとき「カロリーが無く、気分が良くなるということで、吸うことにした。非常にケチだが安い範囲でパッケージがカッコいいものが良かったので、最初は赤いラークの細長いものを買って、半分吸っては消し残りを後で吸う、ということをしていた。やがてより安く強い煙草を見つけ、echoを吸い始めた。これでちょっと味覚がしょっぱくなる。最安値ながら売り場が限定されるgoldenbatを愛用し、一気に300円代のタバコがシガリロになったことで、今のluck
ジャズを生演奏で、ステージで歌いたい。 そう思っていたとき、初めて訪れたのがRIVERSIDE というジャズバーだった。 歌うにはピアノ、ドラム、コントラバス奏者用の楽譜を3枚用意とのこと。月に1回の企画で、他の日は外部の奏者によるライブが行われていた。 最初は聴くつもりでいたのだが、周りの誰かが楽譜本を渡してくれ「せっかくだから歌いなよ」という言葉に甘えて、サマータイムなどを歌った。ジャズバーでボーカルセッションを始めた通称・先生は実に落ち着いた方で、本にない楽曲の譜面を
My Life is like a Jazz. 私がプロフィール等でよく使う言葉である。 ジャズが好きなのは勿論だが、どこか伴侶のような存在である。 幼少期、好きなアニメのオープニングとエンディングをそれは気持ちよく歌っていた。大声が駄目なら、ありったの感情を息に吹き込んで歌った。 特に毎週日曜日の9時だったか、「題名のない音楽会」という番組は必ず観た。ポップソングを歌う歌手の声が綺麗ではなかったり大人の女性が子供のような声で歌うことに嫌悪感を抱いていたからだ。話が