自分の葬式

 葬式は、遺された者のための儀式だと思う。

 考えてもみてほしい。
「生前は立派な人だったから、いい葬式をしなくては」
「手間とお金がかかって面倒くさい」
「死んだからいうけど、あんときのあいつは」
 こんな会話が多い。
 死んで魂が残って参列できたとして、これらはまぁ聞きたくはない。腹が立って小突いても貫通してしまうのだからむなしかろう。
 少なくとも私はいやだ。
「この金のないときにばたばた死にやがって」とは元親の言葉である。それも笑っていうのだから生きてる人間とは残酷なものである。
 病死、事故、自殺、他殺。
 いずれも故人にとっては等しく死であり、喜怒哀楽の生じる余地はない。
 それでも葬式というものが廃れないのは、遺された人間が様々に感じるものの区切りとするためのものなのだ、と思う。

 結論として、死んだ体は腐る前に処分せねばならないわけだから、私の身体を処理するための分のお金は手元に置いて「死後の処理に使われたし」と一筆したためるがよかろう、と考えているのである。

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