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秋分の人生観アップデート①【月星座欠損説で葛藤減少】(still 咀嚼中)

宇宙のリズム、月の満ち欠け、天体の進みは狂いなくリズムがあり、
自然の一部である生命体の私達とも完全に切り離せはしないように思う。

今、世界は過渡期、
私の中でも本当に様々なことがアップデートされている
(追いつけているのかしら)

今回メモるのは最近アップデートされたうちの1つ、占星術関連のこと。
この事もう10日近くも下書き続けて疲れてしまい、
まだ咀嚼中だから長くまとまらないままのメモでいいや。
とにかくこの興奮をフレッシュなうちに記しておこう。

最近、これまでの占星術の活かし方、距離感が変化してきたと先日ここでメモったけれど、そこから更に予想外の展開、変化。
しかもかなり斬新。
パラレル世界で選ぶに面白いと思える1つ!
これまで疑う事すらなかった概念が覆されるような機会ってホント面白い。

秋分前日の夜、
マドモアゼル愛先生の
【月星座についての(斬新で新たな)定義、月星座欠損】
という説に出会った。
これはすでに、愛先生が数年前からお話されているもので、
その界隈ではかなりのトピックだけど、
たぶん私にとっては(よくできた台本みたいに)ベストタイミングで出逢ったんだと思う。

マドモアゼル愛先生といえば、
私が子供のころ初めて占いに興味を持った時には既に第一線で活躍、
占星術界の重鎮的存在であり、名前は昔から存じ上げております。
この斬新な「マドモアゼル愛先生の月星座の欠損」説に、
巷でも皆さん様々な反応、意見、感想があるようで、
多くは納得、共感、合点、覚醒、違和感からの解放があったようす
(me too)

これからの私のホロスコープの読みかたは今までとは大きく変わることになる。
それにしても、
ホロスコープの中で「月だけが自分ではない」なんて…
どなたかのコメントをお借りするればまさに「究極のどんでん返し」...

ずっと特別に感じてきた「月」
多くの人が注視する「月のリズム」
潮汐力、生命体の多くに影響し、作物の成長、女性特有のリズム等など、あらゆるところに登場する身近なお月さま。

月は、
隠す、冷やす、エネルギーを奪うもの、死、破壊へ導く…
本当に自分に合うやり方、本質や人生のテーマ(太陽)を隠し、エネルギーを奪うもの…

月星座が象徴するものは、
その人にすっぽり抜け落ちている部分、
生まれた時に与えられてしまった欠損。
良いとか悪いとかを超えたもので、
月が見せるものはホントの自分ではなく、事実ではない、
そう設定されちゃっているものということです。

太陽の前にまず、最初に月が来る。
月は生まれてから7歳ごろまでの域。
月星座テーマは7歳頃までの認識であり、
その間の世界は月星座のメガネを通して、
刷り込みのように強く価値観として植え付けられる。
生まれてから月の域に、これが自分だ、世界だ、と思えば、それを求め、
「月」こそ目指すべきテーマだと思い込み続けて過剰な努力をしてしまう。
大人になっても月はつきまとう(ツキだけに)
自分の月星座テーマが欠損とは疑問すら持てないどころか、
欠損しているからこそ求め、
うまくいかないからこそ執着して追いかけ、
努力しても思うように獲得、実現できないものだという。
とはいえ、
人知れずかなり努力するから人並みのところまでは行く、
(月だけにツキナミ)
一見、成功して、叶っているようでも、
やってもやっても辛くなり、相当な努力しているにも関わらず
「まだまだこんなんじゃだめだ」と、
本人が心底満足して極めることはできない…
自己嫌悪や劣等感すら芽生え、もがき、見栄をはり、
そして消耗…(なんて苦しい連鎖)

そのうえ、
人気には月が関わるという(月は大衆、物質をあらわすものだから)
人気は出ちゃうというのだから、もうなにがなんだか。。

(最初に認識した価値観を覆すとなると、かなり難儀ではないか)

月テーマをどのように取り払うか。
「月には強制力がある」ということがわかれば強制されない。

月は太陽がないと光ることはできない。
太陽が照らせば月は隠れてしまう。
太陽だけが光を自ら放てる恒星。

だから、
自分らしく成長していくために目指すのは太陽。
月は活かせるものではなく、目指すは太陽
太陽に向かい、活かし、獲得し、自分が輝き、自己を実現する。
自分らしくありのままで真の輝きを放ち、
楽にその人の良さと本質が活かされ、生きやすくなる。

本人が気がつくまで、
月はただ障害として作用し、何も与えない(恐怖)
月はそういう方法で人生の悟り、成長へと促す。
だから月は、ありがたい天体ではある。
(そう言われると、なんだか手厳しい導き手や指導者の冥王星や土星とも似たような気がするけど、月は一見そうは見せない、わからない、独特な強い影響を与えてくる)

これって巷での月星座についての概要、解釈とかなり異なる、真逆ヨ。
人は、本当の月の真実と向き合うには恐ろしすぎて、
月を神秘的な存在にして魅了されているの…

私はこの「月欠損」説に驚きと恐怖を交えながらも、
かなりの部分で納得したというか、
「なるほど…これまでのしっくりいかなかったいくつかに合点がいく…!
と思った。

しつこくこびりついていた自分の中の葛藤、
気づいてすらいなかった、もしくは蓋をしたい劣等感や罪悪感、
自己嫌悪や自己憐憫のようなものたちへの新たな観点、
それらに対してこの説は腑に落ちる。
「これから生きやすくなりそう」と思った(希望的観測含)
葛藤が減り、周囲の人にも寛容になりそう(そうありたい)
知るほどに、どんどん解放されるような、
まさに私には「カタルシス的展開」

(インナーチャイルドを癒やす、とか潜在的なトラウマ、というのは実は月欠損からの覚醒によって解決してしまうかもしれない?!)

月欠損について、詳しく解説されているマドモアゼル愛先生のブログ記事、
youtube動画、そしてその考察ブログや動画もたくさんある
たくさんの記事と動画を拝見し、なるほど、と頷く事多々

※2021年追記→
月欠損については今も節々に共感、発見、参考あり、だけど
このあと他のきっかけで愛先生の動画はみなくなっちゃった
日々、思想は更新し、その変化が人生の醍醐味であり時に成長、なのかな

とりあえず、月欠損のとっかかりの概要としてオススメしたい2記事抜粋、やや長いけど興味があれば面白い→

そして、
各月星座テーマがどういう欠損か、プチ解説が1つの記事にまとまっている→



もし動画をみるならコレをまず、という感じかしら→

そうそう、
マドモアゼル先生が言っていたことで覚えておきたいことの1つに、
太陽に向かっているときの悩みには救いがあり、解決がみつかる。
月を生きていると、葛藤と迷いが続き、消耗し続ける。
ソワソワして自分らしく生きていない、と思う場合は月を生きている。

これは良い識別法だと思うし、
(月欠損説だけでなく、思考が悩みになり抜け出せない連鎖になってしまったら、何か他の方法、道へ変化するのが良い、よね)

普段、疑問にも思わず、実は重荷に感じているのに逃れられないような習慣、当たり前とカテゴリしている事が、大なり小なり多くの人にあるのではないだろうか?
何か大きな機会がないと、気づくこともなかなかないかもしれない。
月星座欠損説は(本人が受け入れられれば)その機会の1つとして活用できて面白いと私はおもった。
(でも、月を生きていてもだめなわけではないと思う。ただ楽に生きることは周りへの配慮にもなりそう、ネガティブ振りまいて波動重くしたくないし)

私の月星座は魚座。
「信頼」「犠牲心、同情心」「神秘性」の欠損。
小さい頃「優しいね」と言われなくてはならないと思っていたこと、
実は「同情心や犠牲心のたりない自分」、「イチイチ疑り深い自分」、「実は信頼している人はほんの少数」「人だけではなく、大体のことを信じられない現実主義」「博愛や誰にでも優しくする事は大事だけど我慢してまでしたら共倒れになるよね(コレお互いのためや自己肯定だと思ってたけど利己的、もしくは、月欠損…?)」「神秘世界に大いに関心があって基本的に信じて受容しているけど、同時にいつも現実的ツッコミが浮かび疲れる」など、
予想以上に月星座テーマに消耗してきたように思う。
(誰にも当てはまること、とも言えるけど…)
月欠損として捉えると、
なんというか顔をおおいたくなるほど、合点がいくことがあるのだ…
それに、月の星座の象徴はそもそもの欠損だから追いかける…ある意味私が占星術を取り入れ続けてきたのは…そういうこと…?!

私はエンパス気味で過剰に神経質で、光や音にも疲弊するし、
人のことを感じすぎて(知りたくない時でも、見知らぬ人でも)
常にパーソナルスペースを必要とする。
もっともーっと優しくしたいけど、どう優しくしていいかわからない、
ロマンたっぷりの表現をしたいけどうそくさくなるかもしれない、自分で引いてしまいそう(実際に過去の恋人にロマン満載演出とか優しくされた時引いてたかも…)

もし、
私が月星座、魚座をメインテーマに生きたら、人生のあらゆることを魚座的テーマにごっそり持っていかれて自分を見失いそう…
と知らず知らず恐れていたかもしれないし、
もう今となってはそんな事は恐ろしくてかなわない。

これらの月欠損の葛藤で相当エネルギー消耗してたっぽい。
もう今、これ気づいたらその瞬間から手放せるよね…
そしてすぐさま太陽へ向かう。
「私の太陽、牡羊座的テーマで生きる……」と想像してみると、それだけでもすぐ氣楽になる。月の呪縛からの解放ということにしよう
(これも太陽牡羊座っぽさ?)
月魚座欠損に「自分をも信じ難い」部分がありようが、
しかしそれでも私は太陽牡羊座影響なのか、
なぜか自己肯定感は結構あると思ってきて、
私は私でいいし私は私が大好き、と思ってきたところが結構ある。
(しかし欠損だからこそ気づいてないことがある?)
基本的には自分のことが面白く好きなのだ。
さらに、
周りの人もどうぞ自分らしくありのままにのびのびと生きてくれ、
私もそうしたいのにみんながそうじゃないと非常にやりにくいではないか、
と子供のころからずーっと思っていた。
各自が個性を活かして尊重しあえば、大体的に自然なバランスがとれて平和で楽しいんじゃないか?
「人と同じがイヤだ」、というと違和感があるが、私は人と同じだろうが違おうが「自分の価値観を大事にしたい」のだ。

ちなみに、
月星座克服の助けにはオポ(対岸)にある星座を取り入れるといいという、
私にとっては乙女座、
普段から整理整頓をしないと落ち着かない、っていいことか~

この一連の出来事を経て、
改めて私は「芸術と健康と自然」というテーマに、
独創性創造性を持って取り組みたいと再確認できました。
この機会に感謝。

とはいえ、
もちろん月星座のテーマがまるっと完全に欠損なぞしていない
(誰もがネ)。
少なくとも、7歳までの認識はあるし笑

たとえば私は全く同じ度数のぴったりコンジャンクションの天体があることの考慮、まるまる魚座的欠損というと、ね。
太陽や他の天体、感受点との兼ね合いや、
それらを使い欠損を超えていくこと、
ハウスを鑑みても、
月のあるハウスも欠損に関わるというし、
(他の天体でもステリウムやオーバーロードがあるとか、それらが月と関わりあったりすれば、結構ビビッドに影響してくると思うから)
欠損の読み方や対策が人によっていろいろ、おもしろい。

月欠損を知り、後天的環境、自由意志、他の惑星を上手に使っていけば、
この世に生まれてきた楽しみを自分スタイルで噛み締め味わうことができそう。そして繰り返してきた苦しい輪廻からの解脱へ…

もちろん、
どんな説でも、これが絶対だと執着しすぎて、おかしな解釈や活用をしないように気をつけつつも、
やっぱりネイタルホロスコープなど眺めていると「傾向」というものはやっぱりあるなぁ、そういうのは星にはよくでているな、と思ってしまう。
だからこそ、こう在りたい方へ転換する時、うまく星を使うというのはなかなか便利で面白い。

ちなみに月欠損説ほどの衝撃があると、
ついつい周りのホロスコープを見返してしまうものである。
新概念で改めて眺めると、
今までネイタル読んで伝えてきた人たちに「やり直しさせて!」と言いたいくらい!

あぁ、それでこの人はここにすごくこだわるのか…とか、
この人の反応、悩み方がこういう傾向なのは…
などと納得したり、改めて理解できるなと思ったり、共感したり。
でも月欠損を感じさせない(バレていない?)友人も何人かいて、
それは太陽をうまく使っているのかな、とか。

それに反して?!
月星座欠損のことを伝えたくてなる人が何人か思い浮かぶのだけど…
そーゆー事は、こちらから直接本人に言う必要はないものね。
こういう事、人によっては受け入れがたいと思うし、
それに、占星術に関心のない人が聞いて、占星術に偏見持っちゃったら、それはちょっと…
「おせっかい」の可能性、特大。
(昔は今よりおせっかいばっかりして…恥ずかしいワ、皆さん許して…これも魚座欠損劣等感からだったからと言い訳させて笑)

なんにしても、相手に望まれれば喜んで「できること」はするけど、
こちらからいちいちおせっかいするのはやめておこう笑

さらに、人によって同じものを見聞きしても、
その時に必要かどうか、
準備、希望、タイミング、魂の成長の進捗、等で、捉え方も異なり、
余計なお世話しなくても、誰でも、ベストなタイミングと方法で必要なものごとに必ずたどり着くのは宇宙の法則と思ってる
(私は今回も、まんまそう)
それでも、
おせっかいすら必要な時や、
おせっかいしたりされたりで学ぶこと、
本心の確認もできたりして、すべては今後にどう活かすか。
でも、
わかってることで疲れたくない、
エネルギーは使いたいことに使って健やかに循環させるがよろし。

押し付けではなく「最近このこと衝撃で面白かったヨ~」と話すのは楽しいし、そこから先は互いに楽しんで、それぞれの考えや感覚を打ち明け合ったり、シェアし、変化し、成長や創造の助け合い、広がり、気づき、発展できるというのは、社会で生きている面白さ、醍醐味の1つ。
創造と成長を助け合える関係は、人生潤う大切なこと。
(ちなみに今回、寛容で親切だけど頑固で現実的な家人でさえ、我々それぞれの月星座欠損説について説明してみると、納得と関心の態度を見せていて面白い)

月はいつも、
見上げるとそこに奇跡的な演出で励ましのように現れる、
とても美しいもの。月は、美しい。
私はいつも月をみると笑いかけてきた。
これからも笑顔を向けるけれど、笑顔を向け、軽く会釈をしたあとは、
直接の月光を長時間観たり浴びたり、満月ウォーターをつくる習慣や、新月、満月等のルーティンや儀式は今後変化しそう。
新月水は作るけど(月の水は本当に味が違う、不思議なほど)
長い時間の直接のお月見は避けるなど、
反転エネルギーの「逆月」、ひとまず水辺にうつる月など逆月鑑賞でいってみよう(なかなか難しそうだけど)
NEW習慣、どう体感するのか楽しみ。

誰でもいつでも変化はできるだろうけど、
そう思えないままだって、月を生きたままだって、
それもその人のその時のありのままのペースと道で人生かもしれない。

今は世界の過渡期、
これから時代も根性論とかどんどんなくなって、
あらゆることが変化し覆されていくと思うけど、
月星座欠損論を受け入れてうまく他の星を使って新たな視点を持つのは1つの面白い手。

人間関係も生きる世界も、本当に違う世界は分かれていくだろうし、
違いもほがらかに尊重しながら、よい距離感を自然にとれればいいな。
結局ぜんぶ許すことになるんだし。
多様性の尊重。
目覚めていくことはとても大事だと思う

何でも楽しみを見出したほうがお得で楽で、
ワクワクすることをすればいいっていうのもやっぱり太陽街道なのかも。
無理なく、努力すら楽しめなかったら誰の人生なのか…
私は太陽に向かって、光を生きたい。

そういうわけで、
私はこの初秋、思い切り揺さぶられ、新しい観点をもらった。
まだ続く学び、検証、で変化していくでしょう。
この時期、他にもすごいタイミングで驚愕の情報や問いかけの答えみたいなものがもらえていて、
なんだかアセンションってこういうふうに演出されて進むのか、とまで思えてきたかも?!

このあと私の変化がどういうふうになっても、
その時の「記録」って振り返ると面白い。
これもこんなに長いけど、たぶんこの月星座テーマでの備忘録と日記は続く(?)
ネットのこういう場所は備忘録として検索簡単、自分アーカイブ的に使えて便利。
自分の日記が結構な老後の楽しみになるの。
老後以前にすでにもう楽しんでるし、
過去の自分へのツッコミも止まらない笑

人生は仮説の連続だから、どれを信じるか指針にするかは個人の自由、
それで個々の人生が創造されていくもの。
とにかく、生きるほど人生は面白いとまた思った。
予想外にビビっても、怖いままでも進み、時々休憩し、光のある新しい景色をみていきたい。
創意工夫と試行錯誤。
自分の軸はしっかりと、氣持ちはゆるりと。
人生は寄り道OK、選択は変更可能、すべては機会。


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