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好きなこと、才能で食べていきたい人のための「売れる」論

売れないクリエイター論争、のようなものがネットで話題になっていたようですが。まあ、売れる売れないと、才能があるかどうかや、インボイス制度の是非などがごちゃまぜになっていて、率直に雑だなあと思い、発言するのもどうかと思ったのですが。

好きなこと、才能で食べていくために「売れる」とはどういうことかを考えたいな、と。「売れる」「売れない」って深いのですよ。実は、ストレスなく活動を続けるためには「売れる」のデザインが必要なのです。

まず
「売れる」=才能、実力がある
「売れない」=才能、実力がない
というのは大間違いです。

言うまでもなく、実力があっても苦労している人はいますし、実力がなくても売れてしまうことはあります。それこそ「売れる」ということは「扱いやすい」とも言えるわけです。

「売れる」のわかりやすい例は、実は1980年代なかばのファミコンブームの頃の「クソゲー」です。よくバカにされるクソゲーなのですけど、実は売れてしまったクソゲーというものもあります。市場が伸びていれば、何をやっても売れるということがあるわけです。売れていて、みんなが知っているから「クソゲー」って叩くわけですよ。

フリーランスもそうで、才能も実力もなくても、人手が足りなくて売れてしまう人というのがいます。

また、インボイス制度の是非と、売れている、売れていないはまったくの別問題です。売れていない賛成派も、売れている反対派もいるでしょう。売れる、売れないではなく、国家を俯瞰した立場、発注する立場などで見え方が変わるかと。

で、ここからはこの論争と関係なく、私、および私の半径10メートル以内くらいで起きたことを赤裸々に書きますね。「売れる」「売れない」にも様々な種類があるのですよ。

何度か、「売れて」いた時期があります。こう見えて、40冊以上の本を出し、40万部以上売ってきました。一時、連載を月20本持っていました。地上波にもネット番組にも一通りでました。でも、まあ、消費されていたし、消耗しましたね。周りにもそんな人が多数います。

売れ始めた人、売れそうな人を食事に誘うことが多く。そのときに「消費されるなよ」「消耗するなよ」という話をします。悲しきかな、そうなってしまう人もいます。だんだん、実力の怪しさが疑われる、同じような本しか書かなくなる、いつの間にか本人も疲れていく。以前の私のように。

アーティストの友人・知人が多いのですけど、彼ら彼女たちから学ぶべきことは多く。気持ち良い創作活動、ファンとの適切な関係、ちゃんと食べること。このバランスが絶妙なのですね。別にサブスクで1億回再生されなくとも、武道館やドームが満員にならなくても、小さなライブハウスで適切に音楽を届けるというやり方もあります。

逆にダメな売れ方というのもあり。焼け畑農業的で。売れていることや、稼いでいることを誇示するけれど、見ていて痛い。これは言っちゃいけないなあ、よけいなお世話だなあと思いつつ、ファンも痛い人、という。

というわけで、「売れる」は深いのです。

人生は長い。

作品は残る。

仕事は大事な体験。

いつ売れるかわからない。

売れなくても評価されるものはある。

もちろん、食べていかなくてはならない。

その深さを理解した上で、考えて、モノを言いたいところです。

さ、今日も私に仕事をくれた人、ファン、社会のために一生懸命働きます。

いや、亡くなったときにも誇れるように。はい。

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