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「街の鮨屋とサッカークラブは一緒なんだと気づいた、生き方の話」

僕が所属する鎌倉インテル(J8)は、沢山の方々に支援と声援をいただき存在している。
それは、どこの国のどのカテゴリーのどの規模感のサッカークラブでも等しく同じである。
そして、それはまたサッカー選手も同じであり、そうであることを認識していなければならない。
支えてくれているひとは、スタジアムの近くに住むおじいちゃんサポーターから多大な資金でバックアップしてくださるスポンサー企業まで多種多様である。


僕はこの日、クラブへのサポートをしていただいてる55年続くお鮨屋さんにお邪魔をし、それはそれは豪華なお昼の時間を堪能した。
靴を脱いで靴箱の鍵を取ると偶然にも10番であった。(鎌倉インテルでは10番を背負いプレーしてます。)
天井にまで装飾がなされた煌びやかな店内は、どこか懐かしさも味わうことが出来た。
奥行きのある座敷席も満席で、豊かな時間が流れてるように感じた。

カウンターの脇には鎌倉インテルのユニフォームが飾られている。
知り合いの大工さんに頼んで取り付けてもらったらしい。そのこだわりに職人の髄を感じる。
大将(ここではそう呼ばせてもらう)の目の前の席でその時間を過ごせたことがすべての要因で、何より貴重であった。
こだわりの鮨の数々は、めちゃ美味しかったです。言わずもがな。

立派な額縁に、きちんとピン留めされて収まる


鎌倉インテル2022モデルの「勝ち色」ユニフォームも
人気が高い


光り輝いた鮨たちを眺めながら、時には頬張りながら(失礼)大将の言葉を聞き入った。
義理堅く、慮ることに長けている人に違いないという印象。
コロナのその時期はにっちもさっちも行かず苦しかったと表情ひとつ変えずに話しをしてくれたが、想像を絶する苦難であったと想像する。

そんな最中でも、取捨選択の機会になり新しい取り組みを始めるきっかけになったという。
自分の出来る範疇で仕組みを変え、店と店、人と人を繋いだ。
魚の目利きには”LINE"を駆使して効率化を図り、鮨一貫となるまでに関わる専門家たちと双方向性で利益を享受出来るようやり方を模索する。

「支え合っていかないと」

大将が何の含みも持たせずさらっと口にした言葉に脳みそをガツンと揺さぶられた。


たったいま頬張ろうとしてる
「柚子の皮をまぶしたスズキ」は、
そう言った道のりを経て僕の口元まで届けられる。
いやぁ美味しかったです。


若いころ、夢を追いかけた元バンドマンの大将は、演奏者として陽の目を浴びない時間を過ごしたという。
”奏でる側”から”聴く側”へと音楽に触れるポジションを変える決断を下し鮨屋を継いだらしい。
今ではその鮨屋にバンドマンを呼び、演奏の機会を提供する箱となっている。

鮨を味わい、酒を交わし、音楽に浸るその時間は大将にしかつくり出せない空間となっている。
そういったかたちでの音楽との携わり方もある。
バンドマンだけでなく、洋裁教室やワークショップを実施して交流を生んでいる。

要するに、ファンを生みファンを繋ぐことが何より大事なのである。

「サッカークラブも一緒なんじゃないの?」
大将はそう言った。

「まさに!!」
食い気味に僕は応えた。

鮨屋にして鮨屋にあらず。
領域を超え、人の輪を広げ、ファンの循環を作ること。
魚を捌き、魚を活かし、魚の眼を持つことが出来る鮨屋の大将のスケールたるや。壮大でした。


僕がプロの一線から離れてもサッカーをフィールドに幸福度を高められてることとか、2020年に設立したNPOを通じてトライしていることもこれに値する。

”プロサッカー選手”であった僕が、

”サッカー選手”であり
”クラブスタッフ”であり
”営業兼グッズ担当”
さらには
”NPO法人代表”であり
”myno”でそれらを体現しようとしている現在の方がより”内藤洋平”を表現出来ているのではないかと思っています。


この疾走感 


魚が大好きな僕は、大将に感化され、また走り続けます。
憶えたつもりでもすぐに忘れる備忘録としてこの文章を綴ります。

僕の知力では難しく考えても至らないので、一言に変えて締めたいと思います。


やはり、ピンチは最大のチャンスなのである。


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