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#書く

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#継続

280日毎日投稿から、毎日投稿を辞めて起きた変化、あるいは苦悩、展望

毎日投稿を辞めてから、早いもので1ヶ月以上経つ。 振り返ってみると、毎日投稿を辞めてからの直近1ヶ月間は10記事しか公開していないらしい。 毎日投稿を辞めて起きた変化、結論、それほど大きな変化はない。 「やっぱり、書くことは自分にとって大切だった」 「無意識に書こうとしている自分がいた」 残念ながら、そのように感じるほど、自分にとって「書く」という行為はかけがえのないものではなかったらしい。 書かなくなった分その時間や労力が他の行為に充てられる、ただそれだけだ。

最近、投稿ボタンまでの距離を遠く感じる

※無料で一通り読めます ついに、自分にもその時がやってきたのかもしれない。 決して書けないわけじゃないし、現にこうして毎日書いているわけだし、明日も明後日も書こうと思えば書けるのだけど、何だか投稿ボタンを押す元気みたいなものがない。 (もしかして、ダークモードが反映されたついでに、投稿ボタンまでの距離も遠くなった…?) 冗談はさておき、毎日投稿を「一旦、辞めてみたい」と思っている。 ずっと考えていたことではあったけれど、言葉にしたら本当にそうなってしまいそうで、言わ

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たとえ汚い文章だったとしても、世に出し続ける

「毎日文章を書いて公開する」 と決めていると、正直なところ、雑然としていてあまり納得のいかない文章を不本意ながら公開する時も多々ある。 ただ、「毎日書いて公開する」と決めているから毎日文章を書けているし、継続して世に公開することができている。 もっと時間をかければ良い文章を書けるのかもしれないし、もっとリアクションの集まる文章を書けるのかもしれない。 そんなことを言っていたら、キリがない。 就職活動も恋愛も、多くの人生の選択は「期限」があるから成り立つ。 期限があ

【もう書けない】1月は、noteを始める人も辞める人も、多そうな予感

新たな年の始まりはSNSが希望に満ち溢れていて、見ていて少し心地が良い。 各々が今年の抱負や目標を宣言していたり、やりたいことリストを発表していたり、見ているこちらも前向きな気持ちになれる。 2022年の始まりとともに、noteを始める人も少なくないだろう。 勝手ながら、良いタイミングということで、新たにnoteを始める人が多いのではないか、と思っている。 どんな目的であれ、文章を書いてアウトプットをすることは良い行いだ。 自分自身が、去年まさに「書くこと」を継続し

余裕のある時に書く文章って、薄っぺらいんだよな

「丹精込めて書いた文章ほど伸びない」なんて感覚は、何も文章を書くことに限った話ではない。 かけた労力や時間に比例して、成果の質が高まるわけではないのだけれど、「余裕の有無」に注目してみたい。 例えば、心の余裕。 何かに追い込まれていたり、心に余裕を持てないほどの衝撃的な体験をした時ほど、案外頭の中にあるありのままを書けたり、すらすら書けたりする。 時間の余裕がない時も同様のことが言えるかもしれない。 「やばい、時間がない」 というのは、ある意味心の余裕にも関わるの

「書く」に飽きたんじゃない、「自分のために書く」に飽きたんだ

ここ1ヶ月ほど、「書くこと」に全くが身が入らない。 どこか浮ついていて、書き切った後の達成感、書いている途中の徐々に高揚していく感覚、言語化できた時の安堵感、それらを感じられない。 自分のために書くことが誰かのためになると信じているし、それを原動力に書き続けているけれど、最近は、誰かのために書きたい衝動を我慢している気がする。 「誰かのために書く、それは自分のためになる」 という感覚を欲している。この感覚が「間違っていない」と確かめてみたくなっている。 前に、こんな

「何でも書く」は、結局「何も書けない」

余裕のない日々が続いていて、なかなか腰を据えて文章を書けていない。 「書くテーマが決まっていたら、書きやすいのかな」 なんて考えてみたりした。 「書くテーマが決まっていないから書けない」といった言い訳にも聞こえるけれど。 ・〇〇について文章を書く ・毎日の日記を書く のように、書くテーマやスタイルを予め決めていたら、もっとスラスラ書けるのだろうか。 自分は、noteを始めた時から漠然と「人生のモヤモヤについて書く」と決めてはいたものの、実際、「人生」というテーマが

「書きたい時に書く」を信用できない

僕が毎日投稿を辞められないのは、正直なところ、「◯日連続で記事公開」というインセンティブに完全に依存してしまっているからだ。 創作を続けるために設計された機能が、僕にとっては、創作を義務づける機能になってしまった。 何だか、すごく申し訳ない気持ちになっている。 ただ、このインセンティブのおかげで間違いなく「文章を書くこと」を習慣にできたし、noteのおかげで文章を書くハードルが格段に下がった。 文章を書くことを「習慣」と呼べた時期もあったし、「惰性の取り組み」としか思

毎日書くか、全く書かないかのどっちか

「毎日書くのをそろそろ辞めよう」と、もうずっと思っている。 とは言ったものの、実際は毎日書き続けているのだけど、最近いよいよ時間的にも体力的にも厳しくなってきている。 「だけど、毎日書く」 というのがこの文章のオチなのだけれど、きっと、ここで毎日書くことを辞めたら、僕はもうしばらく文章を書かないと思う。 「気が向いたら書こう」 「週に2,3個書ければいいや」 これらは「行けたら行く」みたいなものだ。 元々自分の生活に「書くこと」は存在していなかったわけで、その生活

書きたいことなんて、何も無かったはずなのに

4ヶ月前の自分が、こんなことを書いている。 書きたい何かがあって書いているわけではなくて、「何か書きたい」という衝動で書いている。 だから、書きたいものではなく、書けるものを書くようにしている。 そういえば、そうだったっけ。 最近、「書きたいこと」をずっと探していた。 それに、皮肉にも「毎日書くのはもう辞める」と宣言してから、結局毎日書いている。 - やりたいことなんて、別にない。 ぼくらは、やりたいことを見つけるために生きているわけではない。 “何かやりた

「フォロワーを増やした方法」みたいな文章を書けなかった

実は、1ヶ月ほど前から「フォロワーが増えた理由・それまでにやったこと」のような文章をコツコツと書いていた。 「書いていた」と言っても、導入+αを書いたくらいでそれっきり。ずっと下書きのままになっている。 「やっぱり違うな」 そう思ってから、全く書く気になれない。 「振り返りも含めて、言語化する機会になればいいや」、「せっかくなら、自分の元に留めるのではなく公開しよう」と思ったのがきっかけだった。 実際、導入くらいしか書いていないものの、それだけですでに2,000字を

いつの間にか、なぜか、毎日noteを書いていた。

「そういえば、どうしてnote書いてるんだろう」と2日に1回くらいは思っているけれど、随分前に「noteを書く目的」について文章を書いていたことを思い出した。 せっかくだから振り返ってみようと思い、眺めてみると、当初の目的が全て達成できてしまっていた。 ①頭の中を整理したい・言葉にしてみたい ②文字の方がうまく表現できそう(←これは目的というより理由かも) ③何か一つでも継続してやり切りたい だいぶ頭の中を整理して言葉にできるようになったし、相変わらず文字の方がうまく表

毎日投稿はするけど、毎日書くのはもう辞める

書ける時にたくさん書いて、書けない時は全く書かない、試しにそうすることにした。 やっぱり書ける時と書けない時の波はあるし、適度な余白がないと良質なアウトプットもできないし、毎日投稿が目的にもなってしまう、結果つまらなくなる。 実は、2回目のワクチン接種の関係で、1日にまとめて4記事作成して連日ストックを公開する、ということを昨日までしていたのだが、これが意外と良かった。 直近4日間はだいぶ気が楽で、どうやら、心のどこかで「書かなきゃ」という謎の義務感を毎日感じていたらし

惰性でやるって、こういうことね

最近、惰性でnoteを書いている。 noteを書き始めた当初は、「noteを書くこと」に関する記事は書きたくないと思っていて、何となく、それを書き出したら負けな気がする、そんないらないこだわりを持っていた。 けれど、見ての通り最近「noteを書くこと」についての記事をいくつか書いている。 noteを毎日書くようになって約80日。 継続する中で、「よい習慣」を作るためにはステップがあることが分かった。 多分こんな感じ。 始める → 習慣になる → 惰性になる → よ