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#余白 #ひと休み

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深呼吸。
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#note毎日更新

「あなたに出会えたから」と言える、キミがすごいだけ

そう言われて、全く悪い気はしない。むしろ、すごく嬉しい。 ただ、そう解釈したのは紛れもなくあなた自身で、過去の出会いや経験、それらをプラスに変えて行動できているのも、紛れもなくあなた自身。 あの時、たまたま自分と出会って、たまたま自分が話を聞ける状況にあって、たまたま思い浮かんだ言葉を伝えただけで、あなたがうまく受け止めてくれたから。 * 人のことをどこかあまり信用していなくて、自分に対してもあまり自信を持てていなくて。どこかで使い古された言葉じゃ、決して心は動かなく

金曜日、今日もみんな平気な顔して生きている

大人になって「自分」が分からなくなるのは、ありのままとか素をなかなか見せられなくなるからかもしれない。 誰かの顔色を伺ったり、自分の立場を気にしたり、数少ない心を開ける友人と気づけば疎遠になっていたり。 だから、こうして平気な顔をして生きている。何事もなく、いや、何事もなかったかのように一日を過ごし、あっという間に一ヶ月、一年と経過している。 時には、「平気じゃないんだよね」ということさえ、平気な顔して言ってみたりする。 そうしているうちに、段々と分からなくなっていく

コンテンツの流行りも消費もはやすぎる

ファストフードのようなコンテンツに慣れすぎて、最近ドラマを観るという“リハビリ”をしている。 「映画は長くて観れない」 なんて声を最初に聞いた時は、他人事のようにびっくりしていた。 ただ、そんな自分も映画を観なくなってから随分と久しい。 映画館から足が遠のいてしまったのはもちろん、サブスクサービスで映画を観ようとする時も、何だか覚悟を決めるかのように自然と深呼吸してしまう。 いよいよ最近は、動画でさえ1.5倍速で観るのが日常になってきている。 一体、自分は何かに追

コスパばかり気にしていると、余白が台無しになる

週6で働いて休みが1日、その1日の休みでさえ結局頭の中は仕事のことで一杯だったあの頃の方が、今よりも余白を有意義に使えていたのかもしれない。 それはそれはコスパの悪い休日だったと思う。 10時くらいまで寝て、起きて何もしない時間をしばらく過ごし、ご飯を食べて、動画を観て、カフェに行って本を読んで、帰りは散歩がてら2駅分くらい歩いて帰ってみたり。 「貴重な1日の休みで自分は成長できたのか」 「今日は明日以降につながる有意義な1日になったのか」 当時は本気でそんなことを考

好きではないけど、嫌いじゃない。自分にとってちょうど良い表現

「自分の好きなところはなんですか?」 「好きなことはなんですか?」 「〇〇が好き」よりも「〇〇は嫌いじゃないかも」と考えたくなってしまうのは悪い癖だ。 好きなもの、と聞かれるとものすごくハードルが上がってしまう。 「そこまで好きじゃないしな」 「最近あんまりやってないしな」 なんて余計なことを考えてしまう。 人にはそれぞれ、自分にとって“ちょうど良い”表現がある。 前向きな表現において、アイデアがどんどん出てくる人もいれば、 一見後ろ向きだったり控えめに見える表

手は抜かないけど、肩の力は抜く

仕事の自分も、noteで文章を書く自分も、“肩の力は抜いても手は抜かない”自分でありたい。 仕事については、「仕事」という性質上手を抜きづらい気がするけれど、noteで文章を書くことは仕事ではなく「趣味」に近いので、肩の力も手も抜けがちだ。 そう思うと肩の力は抜けるけれど、手を抜いてはいけない。 noteで書く文章は、クライアントや編集者に提出するものではないので、「一体何に対して手を抜いてはいけないのか」と思ったりするけれど、自分に対してかな、と思う。 好きなように

「そのレザージャケット、お似合いですね」から、スタバのホスピタリティを考察してみた

最近ワケあってスタバに行く機会が多いのだが、スタバと言えばそのホスピタリティがよく注目される。 カップに書かれたメッセージ、接客時のコミュニケーション、SNSにもよくその様子が投稿されたりしている。 あいにく自分にはそれらの経験がなく、どこかレアな経験と思っていたのだが、ついに今日、スタバのホスピタリティなるものを体験した。 注文後、店員さんがレジを打っている最中にさらっと、 「レザージャケット、お似合いですね」 と言ってきたのだ。 「これが噂のスタバのホスピタリ

最近、小説を読む気になれない

「趣味はなんですか?」と聞かれれば、たいてい「小説を読むこと」と答えていたけれど、どうもそれが難しくなってきた。 かれこれ半年くらい全く小説を読んでいない。 どれだけ日々忙しなく過ごしていても、小説を読んでいる時間は特別で、心身ともにリラックスできる数少ないひと時だった。 ただ、最近は小説を読む時間が「もったいない」と感じている自分がいる。 自分は、読み始めたらそのまま最後まで読んでしまいたい人だから、一冊読もうと思ったら、少なくとも2時間程度は必要になる。 その2

やっぱり、「笑顔」ってステキだ

公私問わず、これまで様々なシチュエーションで、様々な人に会い、「初対面」というものを経験してきた。 学校のクラス替え、テニスのコーチや塾の先生、面接(される方もする方も)、商談(される方もする方も)、マッチングアプリ...、思い返せば様々な「初対面」があった。 初対面の方にピンとくるとは… について書いていただきたいです。就職活動やお偉いさんにお会いする時のような、なかなかド正直では居ることの出来ない状況で、相手が自分にピンとくるとは何なのでしょうか。 宜しくお願い致しま

あえて同じ本を2回読んでみることにした

しばらくビジネス書や自己啓発系の本からは離れていたのだが、最近どうしても必要なインプットがあって、本を購入しようとしていた。 本屋に行ったけど、やっぱりやめた。 どうせ読んでも、読んだだけで満足しそうな気がしたし、今まで似たような本を読んだことある気がしたし、今の自分に必要なのは新たなインプットではない気がしてしまった。 どうして、同じ本を何度も読むことに抵抗を感じるのだろう。 受験生の時は、単語帳や参考書を紙に指の汚れがつくまで、何度も何度も繰り返しやっていたのに。

気づけば木曜日だし、気づけば夏が終わっていた

毎週、ふと「何曜日だっけ?」と思うとだいたい木曜日だし、毎年「今年の夏ももう終わりか」と、決まって夏の終わりに今年の終わりを感じている。 「ああ、こうやって年取って、人生終わっていくんだな」 時の流れの速さを何となく「人生」で表したくなってしまう、今年ももうそんな季節。 年末の誓い、年始の決意、新生活への期待、夏の始まりに寄せた希望、それらはもうどこかへ置いてきてしまった。 年末年始に一生懸命立てた目標や計画、それらが何だったかすら憶えていない。 すっかり慣れた新生

「もう少し時間があれば」と思っている時が、一番ちょうど良いのかも

案外、「もう少し時間が欲しいな」と思っている時が一番ちょうど良いのかもしれない。 日々忙しなく過ごし「もう少し時間があれば」と思っている時ほど、時間を大切にできる気がするし、いざ時間ができた時に有意義に過ごせそうな気がする。 反面、自由に使える時間が多いと、次第に時間の貴重さが薄れてくるし、時間があればあるほど余計なことを考えてしまい行動できなくなる。 あれだけ「時間が欲しい」と願っていたはずなのに。 いざ「余白」を手にすると、持て余してしまう。 「余白」がメインに

「私ごとで恐縮」なんてことはない

(※呑みながら) 「私ごとで恐縮ですが、」をSNSで頻繁に目にするようになると、大人になったことを実感する。 大人になるってこういうことだぞ、と高校生や大学生にドヤ顔で伝えたい。 「私ごとで恐縮ですが、」から始まる文章を見る度に、「昔から“私ごと”しか投稿してないじゃん、てか、SNSってそういうものじゃん。“私ごと”で溢れてるのがSNSの本来の姿じゃん。」と思う。 実際、それを言ったら変なやつ扱いされることは間違いないのだけれど、私ごと極まりないコンテンツで溢れていた

親友とはいつまで経っても親友なんだよな

年齢を重ねても、昔と変わらず定期的に会ったりするのが親友だとしたら、ぼくに親友はいない。 「親友」や「ズッ友」(死語だと思うけど)と形容された当時の関係は、卒業、就職、転勤、結婚とライフステージや環境の変化に伴って、希薄になり、徐々にフェードアウトしていく。 学生時代から働いていたこともあって、中高時代の同級生とはすっかり疎遠になってしまった。 年に1回会うか会わないかといった友人がいるくらいで、「最近どう?」から始まる会話だけで気づけば2時間経っているのが当たり前。