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坂本龍馬というウェイ系男子

「あなたが好きな歴史上の人物は?」というアンケートのランキングは複数あるんだが、大体のランキングで1位は織田信長に固定されている。
「上司にしたい人物ランキング」でも1位になってたが、さすがにそれはやめといた方がいいぞ・・・。
2位以下は世代によって結構バラつきがあって、たとえば高校生を対象にしたアンケートだと、5位が伊能忠敬になっている。
「投票理由・・・高齢にもかかわらず、自分の足で歩いて日本地図を作ったそのやる気と才能(高2・千葉県・女子)」
伊能さん、よかったな。
あなたのガッツ、ちゃんと令和の女子高生に伝わってるぞ(涙)。
それより気になったのが、小学生を対象にしたアンケートである。
2位が、なぜか北条義時になっている。
妙にシブい人選だな。
私が子供の頃、大体この位置に坂本龍馬の名前が入ってたもんだが、さて龍馬は何位だろうかと調べると、なんと20位!
19位の本田忠勝に負けている。
いまどきの小学生には、もはや龍馬というブランドが通用しないのか・・?まぁよく考えたら、歴史の教科書で龍馬は1~2行程度にしか扱われてないもんな。
むしろ彼の名前が大きく扱われるのは学校の授業以外のところで、それは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」だったり、小山ゆうの「おーい!竜馬」だったり、あるいは武田鉄矢のトークだったり、福山雅治のドラマだったり、そういうのが彼の認知度を大きく向上させていたんだ。
思えば福山雅治主演の大河ドラマも13年前の放送で、いまどきの小学生が生まれる前のことである。
これは20位でも、しようがないか・・・。

おーい!竜馬

そもそも我々が心酔する龍馬像の実体は、司馬遼太郎が創造した架空のキャラクター(龍馬ではなく竜馬)である。
司馬先生がこの小説を書くまでは、坂本龍馬など極めてマイナーな人物だったという。
そりゃそうか。
彼の本質はフィクサーであり、武器商人であり、本来なら表に名が出るような存在ではない。
そういう人物を主人公に大抜擢した司馬先生のセンスが何より秀逸なんだけど、また限られた史料から彼の人格を先生が想像し、あの馬鹿なんだか賢いのかよく分からん、ワイルドで快活な竜馬像が出来上がったんだね。
まあ、作家の想像による架空のキャラクターという意味では、「銀魂」に出てくる幕末志士たちとも大差はないだろう。
「銀魂」では、桂小五郎は「ヅラじゃない、桂だ」が口癖のロン毛だし、高杉晋作は厨二病を激しくコジらせた人格破綻者だし、西郷隆盛はオカマだし、武市半平太は「子供好きのフェミニスト」を主張するロリコンだし、全てがメチャクチャなんだが、ただ坂本龍馬についてだけは「竜馬がゆく」とほとんど大差ないキャラクター設定なんだよ。
さすがは司馬先生である。
あの「銀魂」をもってしても、その完成された竜馬像は簡単に崩せなかったか。

司馬遼太郎

それにしても、司馬遼太郎は偉大である。
小説家というよりは歴史家といった方がしっくりくるぐらいで、そんじょそこらの大学教授よりも遥かに優れた学識がある人じゃないだろうか。
彼は自身が第二次世界大戦で戦場に立ったことのある人なので、基本は戦争を愚かなものだと思っている。
ただ一方で、この世には「必要な戦争」がある、とも言ってるんだ。
たとえば日清戦争や日露戦争がそれであり、あれをやらなければ多分日本はロシアの植民地にされてた可能性が高い、と。
なるほどね。
あと、彼は信長が本能寺の変で倒れなかった未来を見てみたかった、とも言っている。
司馬先生の読みでは、彼が目指したのは幕藩体制などではなく、絶対王政だったんじゃないか、と。
つまり、中央集権体制だね。
確かに南蛮人と話す機会が多かった彼なら、欧州の絶対王政に興味を持ってもおかしくはない。
これは日本の天皇システムと全然違うな、あ、いっそ俺が皇帝とやらになればいいんじゃね?と思ったかも。

実際、この時代の日本は世界一の鉄砲保有国(一説には50万丁保有)とされており、世界でもそこそこの戦力だったんだよ。
また、信長は「鉄甲船」という重装甲の軍艦を造らせていて、これも海外侵出を視野に入れていた可能性はある。
このへんの構想は文書として何も残ってないんだが、あるいは重臣たちにだけ口頭で話してたかもしれないね。
後の世に秀吉が信長の意を汲んでか朝鮮出兵をするんだが、まぁ彼の場合は中央集権も何もないうちにただ勢いでやっちゃったわけで、そこは涅槃で信長にこっぴどく叱られてることだろう。
また、秀吉と違ってその構想にアレルギー反応を示した重臣もいた可能性が高く、
「えっ?中央集権?我々大名が、みんな県知事にされちゃうの?それイヤだなぁ・・・。あ、そうだ、信長様を本能寺で殺そう」
と考えた人がいたとか、いなかったとか。
まぁなんにせよ、もしその構想が実現していたら、実際の歴史より300年早く「大日本帝国」が誕生していた、ってことね。

信長の鉄甲船

司馬先生は若干そう考えているフシがあって、後の世に陰キャな徳川幕府が引きこもりニート化政策(鎖国)をとったことが、日本を本来の歴史の流れから遠回りさせてしまったんだ、と怒ってるわけよ。
これが意外と、司馬先生の徳川へのバッシングは激しいんだ。
たとえば徳川政権を支えた参勤交代、これは各大名に散財させて反抗できなよう疲弊させるのが目的であり、ようは日本全体を弱体化させ、散財しない徳川の地位だけが相対的に上がるように仕向けた陰湿な政策である。
仮にも日本国をあずかるリーダーが、日本を弱体化させるって、どゆこと?さらに鎖国により、海外との交易は徳川だけが独占。
つまり、各大名は藩の中だけの収入で節約しながら慎ましく生きていけよ、ってことだ。

ぶっちゃけ、関ケ原で徳川に加勢した武将たちは後悔しただろうね。
あ~、あの時いっそ石田についとけばよかったわ~、と。あと、徳川の陰キャは末端の村落にまでその性格が波及し、「五人組」という村民同士の相互監視体制をしいたんだな。
怪しい動きをした奴がいれば庄屋にすぐチクることを奨励し、こうして日本のムラ社会が妙に陰湿になったのは江戸時代からのことらしいよ。
なんか、イヤになってくるよね。これが豊臣なら陰キャの徳川と違ってリア充だし、きっと政策もウェイ系でもっと明るかっただっただろうに・・・。こういう江戸時代の暗い部分を司馬先生は分かってたからこそ、あえて「竜馬がゆく」では竜馬を極端な陽キャとして描いたんじゃないかな。
江戸時代の末期にも、こんな明るいウェイ系の浪人がいたんですよ、と。そして、その陽キャたちが陰キャの幕府を倒し、最後はみんなでウェ~イ!したんですよ、と。
ただし、最初は薩長ウェイ系だった明治政府も、大正・昭和にはまた陰キャに牛耳られるようになり、どんどん陰湿な性格を強めていった。
司馬先生が小説で伝えようとしてくれたメッセージは、おそらくそんなところだろう。

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