見出し画像

2023年読書評6 都筑道夫のエッセイ

「推理作家の出来るまで 下」

都筑道夫の自伝。
高い本なのでこれまで図書館で拾い読みしていたのですが、この度通読。
彼がつきあっていた恋人との関係、といってもプラトニックなもので、彼が結婚したあとも一方的な恋が続いていた話や、早逝した落語家の彼のお兄さんの話。戦後の出版界の話など、興味深く読めます。

上巻では戦中戦後の日本、東京の情景が描かれ、
下巻では出版界を垣間見せます。
有名な作家や、よく見る翻訳家の名前なども出てきます。

都筑道夫が師事していた作家は松岡容(いるる)と大坪砂夫。
そして大坪砂夫を訪ねて来たのが永井荷風だったと言います。

私の記憶では、彼は松岡容に師事していた時、泉鏡花の家に行っていました。

また関わった作家の中に横溝正史、松本清張など有名作家も多数いたようです。
彼は10代の頃から雑誌などに時代小説を書いたりしていてそれが「ひとり雑誌」という名で本になっていますが、その後、戦後の混乱の中、本の編集や小説執筆、化粧品会社のコピーライターなどを流れ、ミステリマガジンの初代編集長になります。
その頃、原稿依頼していた中に松本清張などがいたそうです。横溝正史などもそうだけれど原稿を受けとりに行くときなど彼(都筑先生)は引っ込み事案なので、何を話したらよいか分からずに大人しくしていたそうです。

佐藤春夫はいじわる

私は馴染みがない作家ですが佐藤春夫に会った時は、正座の状態で延々と話を聞かされ、立つ時にヘロヘロになって帰ったそうですが、
私が思うに、佐藤春夫は確信犯で、そのように来客を困らせほくそえんでいた悪い性格をしているのでは、と。

また、本で見る様々な翻訳家の名前も登場します。
森郁夫という人は、私は「殺人をしてみますか」というハリイ・オルズカーという人の本を読みましたが、内容も記憶しておらず、面白いとも思わなかったのですが、なぜかその1冊は記憶に残っているのですが、その翻訳家が森郁夫だと記憶しています。

その人、東大出のエリートなのだけれど翻訳業をして将来を不安視していたと言います。
作家になればいいのにと思って、数年会わずにいると、人づてに「あの人は随分前に亡くなったよ」と聞かされたそうです。

なんでも、夏、酔って扇風機に当たりながら寝て亡くなったそうです。
都市伝説では扇風機に当たりながら寝ると死ぬぞなどと言います。皮膚呼吸ができなくならなのか、体温が下がるからなのか、今ではあまり聞きませんが、そんなことが本当にあったとは。

そして都筑先生のデビューはよく「やぶにらみの時計」と紹介されていますが、実際は「ひとり雑誌」などの無数に書いた時代ものの短編などであり、長編デビューは「魔海風雲録」です。
それに非常に雑多に流れるままに仕事をして来たので、「やぶにらみ」の前に少年少女小説の「こんばんわ幽霊」を出しています。和木俊一という幽霊騒ぎを解決する学生探偵ものです。(いわゆるジュブナイル)
こちらの方が先だったと初めて知りました。

そして私が都筑先生の本が好きな理由の1つが、
病気や病院、学校、会社などが描かれないことがあります。彼の本は純然たる娯楽であり、煩雑な日常から離してくれるからです。
この点、エッセーを読むと彼が子供の頃、横暴な教師に会ったことや兄の死の際、病院通いしたこと、縛られるのが嫌いなことなどが反映されているのだなあと改めて理解出来ました。

また、彼は警官を主人公にしたくないと言います。威張る権威者が嫌いだと明言しています。
この点も全く私は同感なのです。
私は常々、医師、教師、政治家、高学歴者、その他権威者たちを疑問視して来ました。(もちろん中には素晴らしい人もいることだろうが)
概して彼らはエゴが強く、他者を助けるためではなく自分のためにその地位にあるからです。

そして彼の小説の主人公は捕物帳などで同心が主人公ではなく岡っ引きなど下のものが主人公になっています。もっと言うと下民と呼ばれる人たちが活躍したりします。
これはやはり戦時下に威張った警官を彼が見たからでしょう。それよりも這いつくばってもけなげに生きる庶民の方が立派だということです。
今の中国の警官、独裁者よりも、庶民の方が正しいではありませんか。

そしてもっと言うなら、世に探偵小説があり、ファンが多いのは、「探偵」がフリーであること、権威者でないこと、時に倫理を持ち、心を持つからであると私は思うのです。

確かに警官小説もありますが、ホームズ、ポアロ、金田一耕助、都筑道夫の創造したキャラクターなどはフリーランスです。
物部太郎は金持ちの父の金で探偵事務所を開き、できるだけ怠けようとしています。
キリオンスレイも怠け者の風来坊です。
しかし皆、穏やかで正義感があり、親しめる人たちです。

また、彼は歴史小説も嫌いだそう。歴史に詳しくないというわけではなく、「偉い人が嫌い」とのこと。
よく分かります。というのも「偉い人」というのは往々にして邪悪な人が多いではありませんか。
(私も徳川とかなんとかに興味がない)
私が政治家が嫌いなのもそういう理由。だから世で自民党を支持したり、安倍や、海外でトランプやボルソナルを支持する人たちを愚かだと思わざるを得ないのです。それらの権力者たちの邪悪さが見えないことにあきれるわけです。

歴史小説が嫌いなことは私も同感で、私の場合は単に日本史に興味がないというだけですが、それでも彼の小説は司馬遼太郎の本のように歴史書になっていないのも私の好みだったわけです。
つまり歴史上の人物が出て来ず、ほぼ架空の人物の活躍する娯楽として書かれていることが気に入ったのです。

そして、世俗に関しての言及もあるのですが。昭和40年頃を振り返って、(この本が書かれた当時、20年後の昭和60年頃には)生活が苦しくなったと懐述しています。昔は税金に追われることもなく、あちこちに行けて、仕事に追われることもなかったと。今=昭和60年=1985年頃には「世が酷くなっていた」と言います。

今=2023年はもっと住みづらい世界になっていると私は思います。
その昭和60年ですら、税金の縛りはあまり強くなく、年金も任意であり、タクシー代とか電車代ももっと利用しやすく、郵便代もそう。
終身雇用の時代であり、大概、サラリーマンになれた。

しかし今は交通費、税金は高く、失業率は高く、給与は低く、車の維持費が高く若者らは車に乗らず、年収が低いからと結婚もできない、そんな世の中になってしまっているわけです。

そんなことをエッセーから感じ取ることもできるわけです。

PS
作中、そうそうたる作家たちの名が出てきますが、~松本清張、横溝正史、永井荷風、泉鏡花、・・・
私は都筑道夫が一番面白い作家であると思います。
有名な作家は映画化されたりして有名ですが、小説としてそれほど面白いとは感じられません。
しかし都筑道夫は確かに映像化には向かないかもしれないけれど、活字の小説として面白いのです。
時にセクシャルな描写、残酷な描写も多々ありますが、それを欠点としても娯楽としては一番かな、と思います。


ココナラ
姓名判断とタロットを組み合わせて3500円

ホームページからのご応募 姓名判断3000円


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?