見出し画像

2023年読書評23 仁木悦子 都筑 赤川

「緋の記憶」
仁木悦子

これは探偵三影潤シリーズの短編集。いつもはいろいろなキャラクターが寄せ集めになっているが、これは一人の探偵もので編まれている。

「暗緑の時代」
絵画鑑賞が好きな三影。そこで絵の盗難未遂事件を目撃。価値がない絵を盗もうとした目的は何か、依頼を受ける。

話は少々人間関係が複雑で、作者が頭の中で考えたものとして煩雑すぎる気がします。この時代の推理小説というのはこんな感じなのかも知れません。
論理的に解かれるが、あまり後味は良くない話となっている。

「緋の記憶」
過去の夢を続けて見るという女性、過去の母の自殺が殺人ではないか調べてくれという。

先の暗緑の時代といいこの作品といい、発端はすごくいい。
ミステリの定石として謎で読者を掴む形式が出来ている。ゆえに、私が思うに、もう少し夢のなぞを引き伸ばした方がよかったと。
しかし力点は論理的謎解きに置かれている。私の好みとしては、スーパーナチュラルな謎である。それを論理的に解くところに面白さがあると思うわけです。
しかしこの時代の推理作家は、この時代の流行りとして論理的謎解きにどうしても力点を置いてしまうわけです。

「アイボリーの手帳」
妻が失踪したという夫、調べてみると妻は自殺体として発見される。しかも妻の手帳には自殺を匂わせる句があった。
三影は自殺ではないとにらみ、その謎を解く。

どうもこれも人間関係がごちゃごちゃしているように思えますが、当時の推理作家は犯人を読者に当てられないようにすることにも力を注いでいたわけで、ミスリードのための登場人物も意識的に多くしたのだと思います。
ラストで、三影は撃たれますが、その後日談が「赤い猫」に入っていた「白い部屋」という短編に繋がるのか、と思いました。

「沈丁花の家」
金持ちの男が、孫と名乗る男が現れたので本当に孫かどうか調べてくれと依頼してくる。

出だしが平凡なだけに平凡な探偵ものになっている気がしました。

「密色の月」
三影の知り合いの女性が、知り合いの編集者が失くした原稿を探してくれと依頼。
電車で失くした小説原稿を探すというもの。

普通なら、どうしようもなくてあきらめるものであるが、三影はかすかな状況からその場にいた高校生の学校をつきとめ、見た生徒をつきとめる。盗んだのは長髪の男というところまで分る。

「美しの五月」
三影と顔見知りの小学生の少女、彼女は同級生を殺したと告白。驚いて現場へ行くと少女の死体が。
しかし状況から犯人は少女ではないと見る。では犯人は誰でなぜ少女は嘘をついたのか。

このようなデリケートな話は昭和のミステリにはよくありました。横溝正史などにも。
現代ではあまりないかも知れません。

以上、この短編集、謎解きに重点を置かない現代人にとっては物足りない作品かも知れません。
しかし三影潤ものを集めたものとしては興味深い一冊であると思います。

「あなたも人が殺せる」
都筑道夫

ショートショートだが彼の本は星新一と違って、単に作品が羅列されるのではなく、テーマごとにまとまっていたりする。

*私がなぜ彼の作品に魅かれるのか分析したところ、
・泥臭くない。仁木悦子の本の解説で佐野洋が書いていたが、当時の日本の推理小説は泥臭かった。ところが仁木悦子の本は洗練されていてやぼったくないという。
私は都筑道夫にそれを感じたのです。昔の日本の本はおどろおどろしいものが多く、しゃれていなかった。彼は翻訳小説を山ほど読み、翻訳もしていたので、時代小説を書きながらも洗練されていたのです。
・権威者が出てこない。
私は権力者が嫌いです。この作者もそうだったらしく、戦時下で威張った警官を見て、学校時代威張った教師がいて、威張った役人を見て、彼の作品ではそのような人は主人公にならない。
刑事すら主役になったことはない。退職した刑事は出て来るが。医者も弁護士も主役ではない。
時代ものでも、徳川なにがしなどは出て来ない。彼の時代もの=伝奇などの娯楽だが~はこれだから読みやすいのだ。
・病気が描かれない。
彼は兄をガンで亡くしています。看病は非常に辛いもので、エッセーに書かれています。そのような経緯のためでしょう。彼の本にはほとんどガンだとか、重い話は出てきません。
元々小説とはそのような日常を離れるために読むものだから、本とはそういうものであるべきだと私は思うのです。
それが彼の本にあるので、私はこのようなことを分析して読んでいたわけではないのですが、無意識の内にそんなことを感じ取っていたのだと思うのです。

「三毛猫ホームズの懸賞金」
赤川次郎
はしがきに、著者は今の総理大臣は質問されたことに答えることすらできない、プロとは言えない人と糾弾していますが、その首相とは安倍のこと。
赤川さんのように、悪い政治にはっきりとノーと言える著名人が減ったように私は感じます。というか声を上げても封じられるのでしょうが。

物語:
同じアパートに住む男性から「殺されるかもしれない」と告げられる女性、同じバスに乗るが男性は実際に殺されてしまう。一方、一発屋の生意気な歌手がいる。彼は執拗に殺すと脅迫を受ける。やがてこの2つの事件に共通点が現れる。
女性マネージャーが片山刑事の同級生ということもあり、片山が事件に関わることになる。

・・・これはコロナ禍に書かれた比較的最近の本ですが、1980年代の初期に比べると、ユーモアは著しく欠けるようになったように感じます。
片山は永遠に29歳のはずだけれど、もうベテラン刑事の風格。
ところで、私はこの著者、時代に流されないようにはやり言葉をできるだけ排していると聞いて、感心していたのですが、時代の流れには逆らえず、どうしても電話という小道具を出す時には携帯=スマホ、そしてメールというものを描かざるを得なくなったのは、感慨深いものがあります。
小説という媒体も、どうしても古くなってしまうのでしょうか。
サザエさんではまだスマホを使っているのを見たことがないような気がします。

ちなみに本作以降にも「炎の天使」が書かれています。
40年くらい続くシリーズというのはすごいのではないでしょうか。



ココナラ
姓名判断とタロットを組み合わせて3500円

ホームページからのご応募 姓名判断3000円


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?