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子供が捨ててある雲の中の町

ハノイは忙しいし田舎に行こうとサパまでバスで向かう。

少数民族が多いと事前に調べていたので呑気な田舎を想像しながら、たどり着いて驚かされたのは人懐こさを超えた強烈な押し売りだった。

そこまでしてキャッシュを求めるものかと思いながらも「ハロー、バイバイ」と都市伝説のように切り抜けて行かなければならない。

小さな町は3年前とは様変わりしていると聞かされながら、道に沿って佇むビルたちには同じようなカフェ、同じようなレストランとやる気のない客引きが唾を吐いている。

自然は豊かだし癒しがあるし、どのレストランで食べても安いし美味い。

中でもバッファローは強烈に味わい深くて罪深い。

山の中なので空気はうまいし、高地トレーニングのように足腰を鍛えながら色々と散策をしてみる。

人々は笑顔だが、時折殴り合いをしている場面を目撃する。

どうやらベトナム人の観光地でもあり、都会vs田舎みたいないざこざのようだがその辺りも下品でなんとも言い難いのである。

夜になって町一番の広場を歩くと大音量のスピーカーの周りに人だかりがあって、何が起きてるか野次馬しにゆくとそこでもゲンナリする光景が待ち受けている。

人だかりをかき分けて覗くと、小さな子供たちがキラキラとした衣装を着て、やる気なくただクルクルと回っているのである。

その様子をTikTokで配信してたり、タバコをふかしながら見物する人々は皆笑顔なのだ。

忘れてはいけないのが、生きるためにはなんでもするものなのだ。

ジャッジする権限は私にはなく、ここではこれが日常なのだ。

最初に話をした少数民族のお姉さんは指が直角に曲がっていたし、村の暮らしとはそれほどにも過酷なのでしょう。

夜の市場でも所々で子供が薄着で座っており、鬼か何かが仕掛けた罠のようだ。

鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった真っ黒な顔は忘れられないし、同時にインドでもこういう子達がいたなと思い出した。

違いと言えばインドは明るくしていて、サパでは悲しげなぐらいだろう。

それが普通だし、そいつらと写真を撮影して少数派を偽るのがトレンドらしいし、インスタに載せて悦に入っているお姉さんの顔は整形でパンパンに腫れ上がっている。

でもそいつらの着ているハイブランドも偽物だし、空っぽの幸せには未来がないのは日本を見ていても明らかなのである。

しかしながらこうした得体の知れない闇というか踏み台の上に私たちの幸せは成り立っているのかも知れない。

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