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インドネシア語中級者への道のりは長い

日々の生活に追われて、気持ちがインドネシア語に向きにくいので、ペースメーカーとしてインドネシア語のレッスンをうけてみることにした。

先日の授業は、授業の半分以上、英語で会話しているような授業だったが、今回はインドネシア語オンリーの授業であった。

彼はスマトラのパレンバン出身。ただ元々はジョグジャカルタの出身のジャワ人で、親の世代にトランスイミグラシ政策でジョグジャからスマトラに移住したという。両親はパレンバンの地が気にいってそこでずっと暮らす予定とのことだが、彼は大学進学を機にジョグジャに出てきた。大学卒業後、語学学校でインドネシア語を教えており、2020年にアトマジャヤ大学の語学センターに職を得たとのことである。

ベラベラと喋った後に、会話の中で使われたselainとpengalamanとberkomunitasiについて学習した。

Saya bisa makan apa saja selain durian. ドリアン以外なら私は何でも食べることができる。
Selain konstruksi yang tidak tepat, bahan bangunan yang digunakan juga kurang berkualitas. 不適切な構造以外にも、使用された建築材料も質が不足していた。
Pak Kita punya banyak pengalaman di Indonesia. キタさんはインドネシアで多くの経験をしています。
Dia mengalami banyak hal baru di Jepang. 彼は日本で多くの新しい経験をした。
Saya tidak berpengalaman untuk menyelesaikan konflik itu. 私はその対立を解決した経験がない。(menyelesaikanはselesaiの変化形)
Dia punya banyak pengalaman tinggal di negara lain. 彼は他の国に住んだ経験をたくさんしている。
Penelitian ini akan berjalan dengan lancer kalau kita bisa berkomunikasi dengan masyarakat. 我々が地域社会とコミュニケーションを取れれば、その研究はスムーズに進むだろう。

教科書は一応与えられてはいるが、ほとんど参照することはなかったが、最後の30分でディクテーションを行った。彼が読み上げる文章をもとに、一部抜けている語句を書いていくというトレーニングである。

経験を意味する単語として、pengalamanとかberpengalamanとかmengalamiとかと言われても、使えるようになる気はまったくしないが、これも一つ一つの積み重ねかもしれないと思い、しばらくは続けてみようと思う。

今回の授業については、トランスイミグラシ政策に対する個人的経験を聞けたと言う意味で有益であった。インドネシア語の能力を高めて、移民政策を通じて故郷に対する感覚がどのように育成されるのかについてちゃんとヒアリングできるようになりたい。

週2回、1回90分の学習であるが、時間は自由に設定できるようで、1回60分週3回の方が、学習効率・費用対効果としては有益なような気がしている。(写真は学校の帰りに立ち寄ったパン屋で買ったドーナツ)241003

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