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【小説】蓮が咲く4

【四】
 

「ああ、佐藤さん!」
 学童の建物の出入り口付近で、シズカは佐藤に声をかけた。
「袋物なんだけど、作るのをお願いしてもいいかな?」
「ああ、そのこと…なんだけど……」
 佐藤は小声でシズカから視線を逸らして伏し目がちになった。そして横目で門の近くで立ち話をしている母親たちの方を気にかけた。
「もう、してないの。っていうか……裁縫が得意だってこと、できたら他の人には広めないでほしくて……」
「え? どうして?」
 シズカは、思わず理由を聞いた後、何か複雑な事情があるのかと思い直し、自分の軽率さを反省した。しかし、返ってきた返答は意外なものだった。
「その……こういうの作ると集中して癒しでもあるっていうのは、障害者ってことになるみたいで……」
 シズカは佐藤の言った言葉が一瞬理解できなかった。
「だからゴメン! もう二度と、そのことで話しかけないで!」
 佐藤はそれだけ言うと、自分の子供の手を引き走ってその場を離れた。
「所詮は、発達障害だもんね」
 その一言が弓のようにシズカの耳に刺さった。
 そちらを見ると、いつもの門の近くで立ち話をしている母親たちの一人が驚いた表情をした後、目を逸らした。
 別の母親が構わず話を続けた。
「圭太君、療育通ってるもんねえ」
 圭太は、佐藤の子供の名前である。
「お医者さんの診断書もあるって、先生に話してるの聞いたことあるわよ」
「あれって遺伝が原因なんでしょ?母親の遺伝じゃない? ほら、熱中すると時間を忘れるってこの間話してたしさあ……」
 シズカは、しばらく茫然と立ち尽くした。
 発達障害は、確かに障害ではある。しかし、看護が必要な、ましてや医療的ケアを必要とする障害ではない。そして、その特性は、誰にでもあり得るものも多い。しかし一緒にいると事件に感化された者の被害に遭う可能性を心配しているのだろうか。佐藤はそうした認識からくる偏見を懸念して、先ほどの態度を取っていたのであろう。
「お母さん?」
 卓也に声をかけられ、シズカは我に返った。
「どうしたの?」
「あ……ああ、ごめんね、行こうか」
最後にシズカは門の方を見ると、三人ともこちらを見ており、そそくさと目を逸らした。
シズカは彼女らに一瞥をくれると、卓也の手を引いて駐車場の方に歩き始めた。
 
 
 
 翌朝、シズカは出勤時に車内でいつも通りラジオニュースを聞いていた。
 一通りの出来事が放送されると、今度は時事問題について取材をした記者や専門家がアナウンサーとトークをするコーナーが始まる。
 この日は、尊厳死についてだった。
『最近、尊厳死を選択する人が多くなっていると聞きますが……』
『日本では合法となっていないため、先日の××病院の医師による“死の実行”も取り調べが続いている状態となっていますね 』
『はい。××病院の場合は末期のがんで患者さんが医師に懇願してのことだったと現段階では報道されていますが、最近は尊厳死を希望する理由に多様化が見られるということですが……』
『はい。私が取材したところによると、今までは、改善の見込みがなく、治療に多大な苦痛を伴う辛さから、苦痛と死を天秤にかけた究極の選択から死を選ぶ、というパターンが典型でした。しかし、最近急激に増えているのは、“認知症になる前に死にたい”“見苦しい状態になる前に死を選択したい”というパターンです』
 シズカはそこまで聞いて、ポツリと独り言を言った。
「そのうち、“自殺こそが崇高な死だ”なんて言い出したりして……」
 ラジオのトークは続く。
『先日は、正式な遺書に、“認知症になったら安楽死をさせてほしい”と残し、家族にもそう説明をしていた方が××病院の事件で尊厳死が合法になっていないことを知り、軽度の認知症を発症した時点で自殺をした事件が起きました。その方のご家族を取材してきました――』
 シズカはまた独り言を言った。
「もう起きてたか」
 出勤すると、ナギサが全員を集めた。
「昨晩、右隅元隊長が、息を引き取ったそうよ」
全員が静まり返った。
「奥様から連絡があって、朝起きたら静かに息を引き取っていたそうよ。お通夜は今夜。シフトに穴が開いても問題があるから、人数調整はこれからするわ」
 シズカは、朝のニュースを思い出していた。
 シズカは翌日の告別式に出席し、右隅の死に顔を見て、
(なんて穏やか……)
と、心の中で呟いた。
 同じ認知症でも、問題行動を起こしてしまう人、そうでない人。認知症への恐怖が拭えずに自殺を選択する人、進行しても穏やかに逝く人。
――それらの違いの間には、何があるのか。
 出棺を見送ったシズカは、頭ではなく、胸の奥でそれを考えていた。
 
 


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