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【小説】蓮が咲く6

【六】
 
 
「これって、見てて何か変じゃない?」
「何がです?」
 スカイが自分の方に向けられたシズカのスマートフォンを見た。
「チカッてするのよ。点滅するみたいに。定期的に、一瞬別の画像が入らない? あ、ほらまた!」
「俺には何も見えませんけど……」
「これ…この瞬間を画像に残してみる」
「お、手術の成果がようやく試されますね!」
 スカイは軽い気持ちで言った。
 
 
 数十分後、ナギサを通じて、全員がオフィスに集められた。
「これを見て」
 シズカは何枚かの写真をオフィスのテーブルに並べた。
「これって……」
 それは、フレンズアプリの写真と黒の背景に白い字で書かれた文字の写真だった。
「このアプリの画面を見ていて、違和感を感じたの。でも、スカイ君はそれを感じなくて。それが引っかかって、私の視覚から入った情報をそのままプリントしてみたの。そしたら、三千分の一秒ずつ、五分ごとにこの文字のみの画面が表示されるようになってたの」
 
 障害者を殺せ
 障害者を根絶やしにしろ
 障害者を殺すことで良い社会になる
 
文字のみの写真には、それらの文言が書かれていた。
「日本で唯一、いや世界で唯一、電子伝号化脳手術を受けたシズカだからこそ、分かり得たことね」
 ナギサは言った。
「これは、普通に見ているだけでは分からない速度よ。けど、脳では見えているから、そのまま情報として入っていくのね。そして自分では気付かずに、この言葉の暗示がかかるってわけ」
 シズカの説明の後に、サタケが呟いた。
「サブリミナル効果ってやつですね」
 昔、映画館で映画を上映中、“炭酸飲料を飲め”“ポップコーンを食べろ”と書かれた映像を三千分の一秒間ずつ五分毎に二重映写すると、炭酸飲料とポップコーンの売り上げの上昇が見られたといわれる。人間の潜在意識に働きかける宣伝とされ、一時は日本国内でも多用されたが、現在は規制がかけられている。
 ナギサが即座に指示を出した。
「よし、警察に連絡して、加害者のフレンズアプリ利用時間を調べよう。サタケ、フレンズアプリ運営会社に連絡。社長に話を通して社員として潜入捜査だ」
「おい、泳がせなくていいのか」
 ギルがナギサの話に横やりを入れた。
「この調子で障害者迫害が続かれると、それこそ大衆によるホロコーストになりかねない。時間優先よ。それに……」
「それに?」
「会社ぐるみだったとしても、こっちはそれ以上の技術者がいるわけだからね」
 ナギサはサタケを見て微笑んだ。
「後学のために、サエかスカイを連れていけ」
「了解」
 サタケが答えた。
 
 
都内の高層オフィスビルに、フレンズアプリの制作会社があった。
整った身なりをしたサタケとサエがその会社のフロアにエレベーターで到着すると、そこに案内と思われる女性秘書が立っていた。
「社長への面会予定の、佐武様と山之内様ですね」
 秘書は目が合うとこちらに微笑んで確認した。二人は連れられて、エレベーターホールからオフィスに入った。
「無知で申し訳ないんですが、意外と人数の少ない会社なんですね」
 サタケが尋ねた。
「そうですね。育児や介護で何割かはリモート出勤を選択するようになったり、地方へ移住したケースなどもありまして、今はオフィスに出勤している社員はこんな感じですね」
秘書は後ろの二人に聞こえるよう、振り向きながら話をした。
「全社員数って、二百人程度とありましたが、これだけ普及しててもこの人数でやられてるんですか?」
「はい」
「意外と少ないんですね」
「よく言われます」
 社長室に近付くと、ぞろぞろと歩くリョウたちに気付いて、四十代ほどの眼鏡をかけた男性が襟元を正しながら近づいてきた。二人は、彼が社長だとすぐに分かった。
「初めまして。本日はお忙しい中お時間を頂き、ありがとうございます」
 サタケが挨拶をし、サエも頭を下げた。
「いえいえ、どうぞこちらへ」
 社長室のドアを開け、社長が二人を中へ招き入れた。
 社長が二人にソファに座るよう促した。ほどなくして、秘書は部屋から出て行った。
「メールは読みました」
 社長の朗らかな顔が曇った。
「メールにあったことは、本当なのですか」
 社長が眉間に皺を寄せた。
「はい」
 サタケが返事をした時、社長室のドアがノックされた。
「どうぞ」
社長の声で、先ほどの秘書が部屋に入った。お茶を煎れて二人に持ってきたのである。
どうも、と軽く会釈をしてお茶がテーブルに置かれるのを見、秘書が出て行くのを待ってから、サタケは写真を出した。
「電子信号を分解した状態で撮った写真です」
 本当はシズカが視覚情報から撮った写真を、社長に出した。
「これを、うちの社員の誰かが仕込んでいる可能性があると……?」
「その可能性もありますが、ハッキングによってこうなっている可能性もあります」
 サタケの言葉に、社長は頭を抱えた。
「これまで、一途にやってきて、こんな苦難を突き付けられるとは……。社会に対して、どう顔向けすればいいというのか……」
 その後、社長とも順調に話が進んだ。サタケはそのことをその場でナギサに連絡し、このままサタケとサエをこの会社の調査に充てることになった。社内に犯人がいることも想定し、ハッキング専門の技術者を派遣する会社の社員という建前で、派遣された立場でこの会社に出入りすることとなった。
 
 
 二人が勤務を始めて数日、何かと視線を向けてくる男性社員がいた。
「彼は…?」
「ああ、アンドロイドで出勤しているんですよ」
 デスクの近い女性社員がサタケの質問に答えた。感じ取ったことは全く違うものではあったようだが、サタケは構わなかった。
「リモートではなく?」
「ええ」
「もともと、重度の障害があって、電動車いすで出勤していたんですが、アンドロイドで出勤するようになりまして。食事の介助とかも大変だからって、アンドロイドを使うようになったみたいです」
「なるほど」
「ここだけの話なんですが、彼、もともと、あまり良い性格ではなくて。ちょっと僻みっぽいというか……。周囲も至らない点も多かったとは思うんですが、ちょっと視野が狭くて、接しにくいところがあって。仕事は本当に優秀だったんですけどね。噂ですけど、アンドロイド出勤の本当の理由は、身軽に勤務できるって点だけじゃなくて、仕事上がりに遊びまくるためじゃないかって話もあるんですよ」
「そうなんですか」
 サタケは話に相槌を打った。
「ちなみに、それは全社員が知っていることですか?」
 今度はサエが訊いた。
「いえ、ここ四年くらいの内に入社した人は知らないと思います。あくまで、プライベートなことですし……」
「じゃあ、あの姿を生身だと思っている社員もいるということですね?」
「はい、多分」
「へえ……」
 話を聞いていたサエは、思わずその社員の方を見た。
 十代~二十代の女の子が好きそうな端正で清潔感のある顔立ちで、すらりとした長身のアンドロイドである。
 イケメンだな、と思った瞬間に、そのアンドロイドがサエの視線に気付いた。と、同時に、サタケに靴を小突かれた。
「“気”を出すなよ。お前は素直すぎる」
 サエにしか聞こえない声量で、パソコンの画面を見たまま言った。
 
 
 フレンズアプリの制作運営会社に出勤するようになってから、五日後のことだった。
「あった……」
 サタケがサエを肘で小突いて小声で言った。
「この不正アクセスでシステムがいじられて、サブリミナル映像が流れるようになったんだ」
「ナギサさんに報告します?」
「ああ」
 サエは仕事用のスマートフォンを開き、メールを書き始めた。
「ここらのデータは持ち帰って更に分析だ。保存通信機あるか?」
「はい」
 小声で話しながら、サエは右手でメールを送信し、左手で鞄からポーチを出した。ファスナーを少し開き、中の保存通信機から出したUSB端子の付いたコードをつまみ出すと、サタケに渡した。
 サタケはそれを黙って受け取り、データをコピーしてオリジナルを保存機に入れた。二人がポーチをしまった、その瞬間だった。
「朝木さん!!」
 緊迫した声がオフィス中に響いた。
 サエとサタケも声のする方を見ると、数人の従業員が慌てていた。
 二人が駆け寄ると、様子を聞いた上司に一人の社員が説明をしていた。
「突然、朝木さんが倒れて……」
 見ると、倒れているのは先日アンドロイドだと聞いていた社員だった。倒れた際に机の角に強くぶつけたのか、こめかみの表層が欠け、中のチタンが見えていた。
「見せてもらえますか」
 二人が朝木の近くに寄った。
 息はもうしていなかった。脈も止まっていた。
 救急車に連絡したり、AEDを持って来たりする慌ただしさの中、「え? こいつ、アンドロイドだったの?」「まさか」といった小声も聞こえた。
「清吾!!」
 オフィス内のざわめきを切り裂くような女性社員の声が響いた。
「清吾、清吾……一体何が? 大丈夫なの? 清吾!」
 この女性社員と、朝木清吾が恋人関係であることは、皆が悟った。
 
 
街中で、突然多数の人が倒れたという現象は、人々を混乱させた。ある者はデート中に、ある者は昼食を買うために店のレジに並んでいる時に、ある者は仕事でデスクに座っている時パソコンに頭突きをするように倒れた。倒れたというより、崩れたと言った方がいいかもしれない。救急車が道という道を騒がせ、警察車両も乱れるように走った。
 一度は病院に運ばれた彼らだったが、蘇生を試みる中で、警察官や救急隊員よりも早く、現場に居合わせて蘇生を試みた者たちは、違和感を感じた。
 肋骨の感触や体温の感じ方がおかしい、と。
 そして、それは当たっていた。倒れた者たちは、全員生身の人間ではなく、アンドロイドだったのである。
 当日中に、朝木清吾の“本体”の死亡が確認された。
 今回の出来事では、全国のアンドロイド使用者で、何らかの生命維持装置や医療機器が経過を観察するためにネット回線を介して病院に繋がれていた者たちが一斉にハッキングを受け、死亡していた。
 朝木が倒れた際に駆け付けた女性社員は、警察の事情聴取に応じた。サエは、その様子を聴取室のマジックミラー越しに見ていた。
「失礼ですが……いつから交際されていたんですか?」
「……一年ほど前からです」
「彼がアンドロイドだったというのは……?」
「知りませんでした。知らされていませんでしたし……」
 女性社員は、耐えられなくなって両手で顔を覆った。
「彼は……私をどう思っていたんでしょうか……」
 嗚咽交じりに、独り言のように言った。
 それを確認する術は――もう、無い。
 
 
 サタケは、持ち帰ったデータを、オフィスのパソコンに移し、開いた。
 シズカはシズカで、今回起きた生命維持装置一斉ハッキングの経路を既に探っていた。
 お互いのハッキング経路を突き合わせてみると、ルートが似ていた。
「これ……同一人物じゃ……?」
 シズカは、パソコン上で両方の経路を逆にたどっていき、ある程度までたどると二つの経路は重なり合って一本になった。
「やっぱり。脅迫状やらハッキングやら、やたらせっついてきてた二つの経路のうちのひとつね。辿ってみる」
 シズカはそう言うと、パソコンに端子を繋ぎ、もう片方を自分の首の後ろの髪の生え際に差した。
「大丈夫っすか?」
「でも、こっちの方が早いでしょ? ちょっと見てくるだけよ」
 そう言うと自分のパソコンのキーボードに手を置いた状態で目を閉じ、分かったことと思考を呟き始めた。
――サーバーはどこを経由してる?国産の大量生産品か。年代は? 場所は? 場所はここからそんなに遠くないわね。インターネット契約はどこ? 一般家庭用か。だとしたら個人の犯行――?
「?!!」
 突然、シズカが言葉に詰まったかと思うと、激しい痙攣を起こした。
「シズカさん?!」
 サタケがシズカの首の後ろのコードを引き抜いた。が、遅かった。次の瞬間、縮むように背中を丸めたシズカが、バネが弾けたように身体をのけ反らせた。目と口は大きく開かれ、鼻からは鼻血が吹き出した。サタケはシズカの顔に慄き、一瞬硬直してしまった。シズカの腕は力なく垂れ、身体の大きな痙攣につられて弾けるように揺れた。そのまま椅子から崩れ落ちると、水から揚げられた魚のように床の上をのたうち回った。痙攣が止まった時には、鼻だけでなく耳からも出血しており、その血が絵具のついたままの絵筆を水切りしたかのように血が撒き散っていた。
 我に返ったサタケは、腰のベルトに付けていた経由機からケーブルを引き出しながら反対の手でシズカの首の後ろの髪をかき分け、端子を差込口に差し込んだ。そのままケーブルを延長させながらデスクに戻り、別のケーブルを引き出してデスクのパソコンに差し込んだ。
(シズカさん……すみません……)
 サタケはシズカの死体をそのままに、シズカの脳内にウイルスを送り付けた足跡を追い、逆探知をした。
 サタケの座る椅子の近くで、シズカは動かなくなっていた。
 
 
――しまった――
青年は、思わず跳ねるように椅子から立ち上がった。
キャスターの付いた椅子はその勢いで後ろに移動し、部屋のドアにぶつかった。
警察でやたらしつこくアクセスしてくる奴がいた。ただ、そいつは毎回サーバーやアクセス方法が違っていた――違っていても、何となく同一人物だということは分かってはいた――しつこい奴で、こちらからウイルスを送ってやった。そしたら、瞬時にその足跡を辿って、“こっち”に来たではないか!
なぜだ? 媒体は破壊されたはず。自信作のウイルスを送ったのだ。向こうは一人ではなく、二人以上だったのか? いや、今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく、とにかく早くここから離れなければ――
その時。
 
――ガシャアアアアン!!
 
 部屋すべての窓ガラスが割れ、警察が突入してきた。
 部屋のドアも蹴破られ、キャスター付きの椅子のキャスターが上手く回らず、その場で倒れ、壊れた。ドアから入ってきた警察がそれを踏みつけ蹴飛ばし、更にバラバラになった。
 青年は囲まれ、一斉に銃口を向けられた。
「両手を挙げろ」
 ヘルメットもかぶっておらず、構えている武器も小銃のみの女性警官に言われた。
 青年はおずおずと言われた通りに両手を挙げた。
「障害者支援施設襲撃事件の重要参考人として、任意同行してもらう。いいな」
 


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