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【小説】蓮が咲く9

【九】
 
 
「今回、視覚に障害のあるピアニストのリサイタルに爆発物を仕掛けるという脅迫状が警視庁に届いた」
 ナギサの前に、全員が揃って話を聞いていた。
「リサイタルは三日後の夕方七時開演。警視庁他機動隊員と共に出動する」
「機動隊員が出動するなら、俺らの出番はないだろ?」
 ギルが腕組みをして言った。
「ああ。だが今回の脅迫状、もう一つの例のサーバー経由でな。二人は観客として中に入る」
「じゃあ、観客役はドレスコードがあるってか? 撃たれたらどうする?」
「念のため、下に着られるようなら防弾スーツを着るように。あとは自分たちでどうにかしましょ」
 へいへい、とギルが返事をした。
 ナギサはこの時点では、下に防弾スーツを着ることのできる男二人を観客に紛れさせるつもりでいた。しかし、リョウは小型ドローンの操作にあたってほしいし、サタケは情報にアンテナを張り巡らす必要がある。残るは女二人とギルとスカイだ。
「気分で仕事はすんなよ?」
 ギルがナギサの顔を見て、ニヤリと笑って言った。
 結局、話し合いの結果、ナギサとスカイが観客として客席に入ることになった。
 
 
 翌日の休日。
 ナギサは、自宅のクローゼットの中で、何着かのドレスを出し、検討していた。
 防弾スーツは袖が二の腕あたりまでの夏用を着用するとして、ドレスの下生地のように見せるには、あまり選択肢がない。防弾スーツはグレーで、見ようによってはレオタードのような生地に見えなくもない。
 似たようなグレーで、腕やデコルテ辺りがレースで仕立てられたドレスがあった。それならば、重ねて着ても違和感はさほどない。
(気に入ってたんだけどな……)
 ナギサは、しばらく、そのドレスを無言で見つめた。
 
 
 
 リサイタル当日、サエとナギサが客席に混ざり、ギルとリョウは機動隊と共に建物内の監視や警戒に当たることになった。サタケとスカイは車内で外の様子を監視するとともに、情報を見張る。
 リサイタルのリハーサル前、ナギサとサエはピアニストの控室にいた。そのピアニストは、石母田透といった。
 サエは、会場の警備員の制服を借りて着ていた。
「お二人は、迷惑だとお思いなんでしょう?」
 ピアニストはスタッフが出て行き、楽屋に三人になったタイミングで二人に向かって言った。
「いえ、これが仕事ですし」
 ナギサが言った。
「僕はずっと海外にいて、このリサイタルもずっと前から決まっていたんです。事件のことも知ってはいましたが、最近になってここまで余波が続いてると知って。しかも、脅迫状まで。……正直、中止も考えました」
 サエもナギサも、黙って石母田の話を聞いた。石母田が続ける。
「でも、止めたら、脅迫に屈することになる。一部からは、開催することで障害者へのエールになるなんて言われたりもしましたが、僕はそんな偉大な人間ではありません。毎回演奏の時に未だに緊張するのに、更にプレッシャーを背負うこともムリです。そして、そうした障害云々に関係なく、僕はピアノが好きなんです。そしていちピアニストとして――」
 石母田は、ここで一度息を吸った。
「自立したいんです」
 石母田は黙った。そして自嘲気味に続けた。
「いろんな人にサポートしてもらわないと飛行機ひとつ乗れないくせにって思われるかもしれません。でも、それも受け入れて、その上で自分なりの活動をしたい。稼ぎたい。充実させたい。好きなことを貫きたい。開催を諦めるということは、それらも捨てることになります。無事に終わらせられれば、それらを守り通し、かつ、差別に屈しなかったという結果にもなる。まあ、ただただ、ピアノが好きっていうのも、同じくらい大きいですが……」
「大丈夫です」
 サエがはっきりした声で言った。
「私達は自分たちのすべき役割を果たしているだけです。それ以上でも以下でもありません。だから――」
 ナギサは黙ったまま、横目でサエを見た。
芯のある瞳。自分はこの芯に可能性を感じたのだ。
「あなたはピアニストとしても仕事を果たしてください」
 
 
 
 サタケは、車を劇場の前に付け、膝の上のパソコンと頭に付けたインカムで中の様子を伺っていた。と、同時に、気になることがあった。
 劇場前の歩道沿いにある街頭に寄り掛かる青年である。開場の少し前に、会場の路地から現れて、会場前から動かない。
(まだいるな…)
 監視カメラのデータを見てみると、会場内のレストランの裏口から出て来たことが分かった。
 厨房のスタッフかと思いきや、レストランのオープンの時間になっても戻ろうとしない。
「会場前に不審人物。三十代前半とみられる青年。フード付きかパーカーに白ズボン姿。様子を見て職質かけます」
 インカムに報告すると、各々から「了解」と返事が来た。
 リサイタルの開始時間が過ぎ、人の流れが落ち着くと、青年はおもむろにパーカーのポケットから何かを取り出した。
(何だ……?)
 青年は周囲に注意を払い、自分に注意を向けている者がいないのを確認すると、握り込んだ手を開いた。
 一度視線を逸らしたサタケが凝視しようとすると、青年の手の中から何かが飛んだ。
 あれは――ドローンだ。
「今、目標が小型のドローンと思われるものを会場内に飛ばした」
 インカムに報告しながら、サタケは車から降りた。
 
 
 
 サエ、ギル、リョウの三人は、午前中から会場に着き、機動隊と共に不審な物がないかチェックして回った。ギルとサエは会場内を見回り、リョウは建設時の配管やダクトの地図をもとに小型ドローンを飛ばして見えない部分のチェックをして周った。
「ここまでは特に異常はありませんね」
 リョウが言った。
「本当に何か仕掛けられてるんでしょうか?」
「さあな……」
 サエの疑問にギルは曖昧な返事をした。
 今回の脅迫状の送り主を探知してみると、他にも数多くの嫌がらせやハッキングをしているものの、盗んだ情報を悪用した形跡はなく、障害者支援施設への脅迫状なども実行に移されたことは一度もない。ただ、経路を巧みに変え、白鷹でなければサーバーの探知が難しいほどのハッカーであることが伺われた。
「スミマセン、もう仕込みをしたいんですけどね」
 会場内のレストランの厨房スタッフが三人の方に言った。
「ああ、すみません、厨房の方にも今から行きます」
 リョウがやや大きな声を出して答えた。
「本来はリサイタルも営業も全部中止案件だぞ? 暢気なこった」
 ギルが頭を掻きながらぼやいた。
 三人はレストランに入り、リョウとサエはフロアをチェックして周った。ギルは厨房に入り、調理器具を見て回った。
 不審なものは無く、調理器具もいつも通りの数だった。
 異常なし、ということで、レストランの通常通りの営業が決まった。
 
 
 
開演時間が過ぎてしばらくすると、調理スタッフの姿をした若者が、警備員の姿をして一階に控えていたギルと機動隊員に声をかけた。
「すみません、あの、いつの間にか圧力鍋の数が一つ増えてて。一応伝えた方が良いかなと思って、言いに来たんですが……」
 一瞬で緊張が走った。
 機動隊員は控えている隊員に即時連絡をし、ギルは厨房に向かった。インカムに報告しようと思ったその時、サタケから通信が入った。
『今、目標が小型のドローンと思われるものを会場内に飛ばした』
 インカムの報告を受けて、レンのメンバー全員に緊張が走った。ギルだけは頭の中に混乱が走った。
「こちら一階のレストラン。圧力鍋が一つ増えているとの報告を受けた。今向かってる!」
 劇場内の一階にいたナギサと二階にいたスカイが通路に出た。
 ロビーのシャンデリアの上部に、掌に乗るサイズの超小型ドローンが紛れるのが見えた。ナギサ、スカイ、そして二階で控えていたサエが銃を構えた。
 一階の劇場出入り口に控えていたリョウがシャンデリアを見上げながら既にドローンを飛ばしていた。ドローンのカメラで、侵入したドローンが可燃性のものを付けているのかを確認しようとしていた。
リョウのドローンは正面から近付いた。すぐに気付いた不審なドローンは、リョウのドローンを避けるようにシャンデリアの上から再び姿を現した。
「ぶつけたら爆発するかも!」
 サエが銃を捨て、二階通路の手すりに飛び乗って叫んだ。
「手で掴む‼」
 そう言うと同時に、サエは二階から飛んだ。
「サエ、やめとけ、手が‼」
 リョウが叫んだ。プロペラに手が当たれば指が飛ぶ。そもそも、どのような細工がしてあるのかさえも分からない。
 その時。
 サエの視界は、突然歪み、目の前に大きくなったドローンがあった。いや、自分のすぐ目の前にドローンがあったのだ。そして、何も搭載していないのが分かった。爆発物を内蔵していたとしても、衝突したドローンやシャンデリアの一部を壊す程度だろう――
 リョウは、手すりから吹き抜けに向かって飛び出したサエの身体から、突然力が抜けるのが見て取れた。何事かと思ったが、そのまま落下したサエは、ナギサに受け止められていた。
「無い!」
 ナギサの腕の中から、サエはリョウに向かって叫んだ。
「あのドローンには爆発物は付いていない。恐らく内臓もしてない。レストランだ‼」
 その時、 パンパン! と音がした。
スカイがドローンのプロペラに発砲したのだ。
その直後、一階のロビーに壊れた不審ドローンが落ち、破片が飛び散った。
 
 
 
 ギルが厨房に駆け付けた時、一人の厨房スタッフが、その圧力鍋を調理台に乗せたところだった。
「馬鹿! 触るな !全員退避だ!」
 しかし、何事かと不思議そうな顔を向けたそのスタッフは、既にその鍋の蓋に手をかけていた。
「止めろ‼」
 しかし、そのスタッフは蓋を開けてしまった。――が、何も起きなかった。
 ギルがスタッフを押しのけ、鍋を覗いた。中は空だった。
「しまった! レストランのは囮だ!」
 一緒にレストランに走ってきた機動隊員とエントランスに戻ろうと振り返った瞬間――
 
バアン
 
 ギルはこめかみに強い衝撃を感じた。
 何が起きたか分からず、視界が揺れる中、機動隊員の方を見ると、もうギルの懐に入っていた。と、腹部に何か押し当てられ、押し当てられたところの感覚が全く感じなくなった。
懐に入った隊員を突き飛ばすと、血が吹き出した。じわじわと痛覚が戻り、耐えられない程度の痛みにまで感覚を突き上げた。
「動くなよ」
 機動隊員が、ギルの血が付いたナイフを厨房スタッフの方に向けた。
「おま…え…、フレンズ利用者か……」
 血の付いたナイフの刃を上にして持ち直し、体勢を立て直した隊員が言った。
「エントランスには戻らせない。邪魔をする奴はここで殺す!」
 銃を抜いたギルが発砲するも、隊員には当たらず、隊員は今度はギルの胃のあたりを刺した。
「かはっ……!」
 ギルは押された勢いで後ろに倒れた。銃を持った右手の手首を踏まれ、手ごと銃を蹴飛ばされた。銃は客席の方に回転しながら床を滑っていった。ギルは左手でナイフを抜き、切りかかろうとすると身軽にかわされてしまった上、その勢いを利用して右回転でうつぶせにされ、そのままギルの腕は天井に向かって円を描くような形で関節技を決められてしまった。
 調理スタッフたちは青筋を立てて、裏口から外に雪崩のように出て行った。
 傷の出血や痛みもありうめき声と共に左手から力が抜け、そのままナイフも取り上げられてしまった。
機動隊員が鼻で笑った。
「脚を電信化してるみたいだが、こうなっちゃあ意味ねえな。良いザマだ」
(くそ…)
 奥歯を噛みしめながら、ギルは思った。
(俺にもリダツができたらな…)
「動くな!」
 厨房にナギサが銃を構えたまま入ってきた。足元のギルの銃を跨ぐと、そのまま発砲した。
その弾は振り向いた機動隊員の背中に命中した。ナギサのすぐ後から入ってきた他の機動隊員が彼を押さえつけた。
ナギサはギルの銃を拾うと、ギルに駆け寄った。
「おい!ギル!ギル!!」
 既にギルは意識を失っていた。
 
 
 救急車が到着し、ギルとギルを刺した機動隊員がストレッチャーに乗せられるのを見て、ナギサはスカートが破れている事に気付いた。
(またか)
 移動しながら、ナギサの頭の半分は宙に浮くように別の思考を始めた。
 いつのころからだろうか。こうしたことがあると、自分の身体の一部を切り落として、〟自分〝というものを形作る一部が失われたような気がするようになった。そして、今また一つそうしたことが起きた。
 もしかしたら、この虚無感を埋めるのを性欲で満たしていたのかもしれない。しかしこれは、根本的に解決できない限り、出口はない。生きている限り、この感情と付き合わなければならないのだろう。
(自分で決めた人生とはいえ……)
 虚無感があるのは年のせいか。
 ここまで考えた時、ふと、香澄の言葉を思い出した。
 
生かされるって、案外いいものね。
 
(生かされる……)
頭の中で呟くと、ナギサは到着した車の中に入った。
 
 
「こいつか」
 ナギサがサタケに訊いた。
「ええ」
 サタケが答えると、青年の運転免許証をナギサに渡した。
 青年は、車の後部座席に座らされていた。狭い車内で、青年の膝が触れる位置にサタケが立っていた。とはいえ、腰を運転席の後ろに押し付け、姿勢を低くした状態だった。ナギサは青年の隣に座った。
 サタケが再び訊いた。
「で、結局、アンタは何が目的だったんだ?」
 青年は、ため息をつき、観念したように少しずつ語り始めた。
「ハクタカって、あるでしょう? 警視庁内のホワイトハッカー集団」
「ああ」
「あれを世に知らしめたかった」
「なぜ?」
「障害がある人は、大体一般人より特化した能力を持ち合わせてる。春の事件で被害に遭った障害者の障害レベルと比べると、ハクタカの人達は断然一般人と同じくらいの能力で暮らせてはいるが、それは程度の話で、脳の仕組みや症状は基本的に彼らも変わらない。普通の人ではできないことで社会に貢献できている組織を知らしめたかったけど……」
「なるほど」
 サタケは頬杖をついて続けた。
「障害者支援施設や行政にハッキングを仕掛けていたのはお前か」
「はい……」
 青年は小声で答えた。
「今回は何も知らない一般人をも巻き込んでいる。そこまでして警察や機動隊を振り回したかったのか?」
「実際の爆発物が無ければ、混乱は起きないと思ったんだ。こうなるとは思わなかった……」
 青年は頭を抱えた。
「そもそも僕は、いきなりこんな手段に出たわけじゃない」
 青年が頭を上げた。
「僕、もともと知的系で話題のブロガーだったんです。社会人になってから更新の感覚が開くようになって、更に世の中が求めていることも変わっていって……」
「そのブログって?」
 サタケが訊いた。
「『コトリの森』です。社会で話題になっていることや事件・事故の報道を分析して、持論を展開していたらすごい流行って……でも、今はそんなの誰も見やしない。簡単で分かりやすいものを、簡単な言葉でこねくり回すのが、今の主流だから……」
 黙って聞いていたサタケが呆れたように口を開いた。
「結局なぁ…お前の言ってることだって、今時は過激思想の始まりだぞ? 一昔前なら熱血漢かもしれねえけどな」
「そうかもしれないけどッ…でも、何が正しい行動なのかなんて、後世の評価次第だろ。僕は信じた行動をしただけだ」
「とはいえこんな手段……この世間知らずめ」
 サタケは手のひらを額に当てた。パチンという音がした。
 ここまで黙って聞いていたナギサが口を開いた。
「本来だったらこのまま署に連れて行って取り調べだが……」
 ナギサがチラッとサタケを見た。サタケはナギサに何か考えがあることが分かった。
「やってもらいたいことがある。それが上手くいったら、この件は犯人不明、お前自身はリサイタル会場近くで職質を受けただけということにしてやる」
 青年は耳を疑った。
「えっ、だって、そんなことできないでしょう?警察なら……」
 ここで、ハッとした。
 この人達、純粋な警察か?
ナギサは青年の顎をクイと指で上げ、顔を近付けてニヤつきながら言った。上品な香水の香りとわずかな歯磨き粉の爽やかな匂いが青年の鼻先をかすめた。
「ただし、今日ここで話した会話内容と会話そのものは、墓場に入るまで他言無用だ。いいな?」
 目を見開いた青年が、蚊の羽音のような声で「はい」と返事をすると、ナギサはサタケに言った。
「よし、フレンズの社長に連絡を」
 
 
 
「ねえ、さっき、“コトリ”がブログ更新したらしいよ」
「ホント?めっちゃ久しぶりじゃない??」
「コトリって誰?」
「聞いたことない」
「コトリって、ほら、時事問題とかの実態をズバッと書いてる、あれだよ」
「古くね?」
「あの長くて上から目線のブログな」
「しかも今時ブログって、笑える」
「それはお前らの文章読解能力と知識量不足の問題だろ?」
「学生の時小論文で大分お世話になったっけ」
「私は面接行く前に読んでたな」
「更新された記事って、何かいてあんの?」
「脳科学のことだって」
「知的障害や発達障害のことも書いてある」
「所詮、コトリも発達障害でしょ?」
「でも、マトモなこと書いてない?」
「うん」
「確かに」
「どれどれ」
「確かに、ここに書いてある通りかも」
「障害があろうとなかろうと、関係なくない?」
「ホントにそうだよね」
「障害者に暴力ふるってた人達って、ヒトラー政権下のドイツ国民みたい」
「まさにそれ」
「ほんとよね」
「ばかばかしい」
――はい、楽勝!」
運転席に座ったサタケが軽快にノートパソコンのキーボードを叩くと、画面を閉じた。
「何を……したんですか?」
 後ろから青年が訊いた。
「サブリミナル効果さ」
「サブリミナルって……昔、映画に宣伝を入れ込んだっていう、あれですか……?」
「そ。大衆に、お前のブログを読むよう、仕向けたんだよ」
「そんなこと……できるんですか?」
 青年は目を見開いた。
「俺たちなら、な。本家の警察はアウトだろうけども」

 


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