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【小説】蓮が咲く8

【八】
 
 
シズカの死後、サタケはハッキングルートを解析し、即ナギサや他のメンバーに知らせた。
しかし、対象人物のアパートの部屋には、なぜか既に機動隊が待機していた。
これはレンにとっては気分のいい話ではなかった。
「最初っからマークされてたのに、シズカは犠牲になったってのか?」
 ギルが怒りをできるだけ押し殺した声で言った。
「こういう状況になったのは、仕方ない……。彼女、倫理的に結論が出ていないことに自らチャレンジしたんだもの。彼女なら、恐らく覚悟もしていたはずよ。解せないけどね」
 ナギサが宙を見ながら答えた。
「問題は警察の方……。あの男、危険思想でマークされて部屋に火薬や薬品があった。おとり捜査の対象にもなってたのに、あの事件後一切こっちに情報が回ってきていなかった……」
「“シマ”どうしの意地の張り合いでしょうね。下らない」
 スカイが言った。課どうしの仲の悪さや無意味なプライドが、柔軟な連携を取れなくしていたのだ。
「水木さんから何かあったわけじゃないんでしょう?」
スカイがナギサに訊いた。
「何もないわ」
「ですよね」
 スカイがナギサの前にも関わらず、吐き捨てるような言い方をした。しかし、ナギサは何とも思わなかった。スカイの怒りの矛先を理解していたからだ。
確保された男はネットやフレンズアプリへの書き込みから危険思想を持つ人物としてマークされており、潜入捜査として女性警察官が恋人として接近していた。
 ずっと黙っていたサエが、ふと時計を見た。
「――そろそろ、行ってきます」
 ナギサも時計を見て応えた。
「よろしく」
サエは、これから恋人として潜入捜査をしていた女性警察官に話を聞きに行くことになっていた。
 
 
 エミルは、仕事のつもりでいた――彼女と会うまでは。
 上司から、春に起きた障害者施設殺傷事件について、事情聴取に協力してほしいとの話をされたのは数時間前だった。同じ警視庁内の人間かと思いきや、一時期噂で聞いていた民間軍事会社の人間ではないか。
 民間軍事会社が本当に組織されていたことに少し驚く一方で、これはテロに繋がる要素が出てきていた案件なのかと、気を引き締めた。
 先方が警視庁に来るということで、潜入捜査をしていた該当者の資料をUSBにコピーを取った。
 応接室の利用予定を確認しに行くと、途中ですれ違った警察官たちの視線を感じたが、もう慣れていた。幸い、応接室の利用予定は約束の時間には影響なかったため、そのまま利用予定を押えた。
 予定の時間までデスクで事務作業をし、USBを持って応接室に向かった。
 応接室に入ると、自分とさして変わらない年の女性が立っていた。
その立ち姿は、エミルに軍学校生だった頃と、軍に所属していた頃を思い出させた。
「民間軍事会社“レン”の山之内サエと申します。お忙しい中、申し訳ありません」
 きちっと指先を揃え、名刺を差し出す姿に、生粋の真面目さが伝わってきた。言い換えれば、馬鹿である。
 そういえば、こんな奴昔いたなあ。
「どうぞ、おかけください」
 エミルは、自分もソファとローテーブルの間に入り、サエに促した。
「失礼いたします」
 一声かけてから、サエは腰かけた。
 こういうやつ、ムカつく。
 理由がなくて悪いが、この行動全てと存在そのものがその理由である。こういう時は、最低限の関わりだけで済ますのが一番である――という心の声が表情に出ないよう注意しながら、エミルも名刺を差し出した。
 山之内サエ――どうせ、本名でも何でもないくせに。まあ、それは自分も同じか。
「では、早速ですが、潜入捜査時の資料を頂いてもよろしいでしょうか」
 ほらこの言いぶり。
「こちらになります」
 エミルがUSBを差し出した。
サエという女はきちんとしているはずだ。無言では受け取らないだろう。
「ありがとうございます」
 ほらね。
「データを移させていただいた方がよろしいでしょうか」
「いえ、コピーをしたものなので、このままお持ちになっていただいて大丈夫ですよ」
 これも断るだろう。
「ありがとうございます。でも、このUSBも備品になりますよね? すぐにデータは移せますし、帰るまでにはお返ししますので……」
 ほら、ね。
 サエは手際よくタブレットを出し、USBを差して画面上に指を滑らせた。
 移された順にデータの内容をざっと読み、読みながらエミルに質問をした。
「潜入捜査期間中、交際期間はどれくらいになりますか?」
 恐らく、すぐに私と目を合わせるだろう。
「犯行が起きる約三か月前からですね。最初は普通の恋愛でしたけど、交際一か月したくらいかな……一度寝てからは、どんどん豹変していきましたね」
サエはエミルの目を見て言った。
「差し支えなければ具体的にお話を伺ってもよろしいでしょうか」
 ここは、「具体的には?」で良いんだよ、バーカ。
「まあ、色々な体位を試されましたね。そういう相手は私が初めてではないようでしたが。私は、まあ、こういう業務内容なので、それなりのテクニックもあるわけで、それのお陰かかなり心許していたように思います。障害者への差別発言もその頃から出てはいましたね」
 エミルはよどみなく話した。サエは、紙のノートとペンを出し、エミルの話した内容をメモに取った。
「快適で、健全な社会を作るという話はよくしていました。政治家にでもなるのか訊いたら、それ以上にすごいことを、陰でやってのけるといっていました。具体的な話を聞き出そうとしましたが、私にも警戒されない程度の距離感というのがありますので……」
 ここまで聞くと、サエは相槌を打ちながら考えるような素振りをした。
 ペンを握り込む持ち方。
 考える時に顎にペン頭を押し付けるクセ。
 ああ。
 距離感という言葉を自分で口にして、思い出した。
 軍学校の同期でこういう奴がいた。
 軍人のくせに雨天時に傘を差したり、自由時間も勉強したり。皆が軍学校の雰囲気に染まり、休日や外出の際にも、日焼けを気にしなくなったり傘を差さなくなる中、あいつだけはしっかりと日焼け止めを塗り、傘を差して移動していた。それを指摘したら、今はプライベートだからと答えてきたっけ。自由時間も皆と過ごすわけでもなく、一人図書館にこもっていた。聞くところによると、その日習ったことの復習と、それに関連する本をチェックしているとのことだった。真面目も大概にしろと思ったのを覚えている。
 また、上官から好かれるタイプではなかったように思うが、父親が元軍人ということで、時折あいつに面会に来る教官や現役軍人がいたっけ。そういえば、訓練時以外では雨天時に傘を差すのも、いつだか「父親のようにハゲたくない」と話していたような記憶がある。
「それでは、ご協力ありがとうございました」
 サエはUSBをタブレットから抜くと、持ち方を反転させ、軽く頭を下げてエミルに差し出した。
「アンタみたいなやつ、ムカつく」
 不意に言われて、サエは頭を上げ、捜査員を見た。
 エミルは、鳥が飛びながら狙いを定めた獲物を狩るように、USBを取った。
「こっちは自分の心も貞操も犠牲にして手がかりを掴んでるっていうのに、あんたは涼しい顔して当然のように情報を受け取って」
 まだ言葉が続くかと思い、サエは静かに聞いていたが、エミルはフンと鼻を鳴らして視線を外した。
「そうは言ったって仕事なんだからとか、結局は自己責任だとかいうんでしょうけど、こっちはそういう次元じゃないのよ」
 いつからだろうかと思い返せば、そもそもの始まりは第三次大戦末期の派兵の際だったかもしれない。
先発隊の男性部隊のある班のテントに呼ばれた私たちは、品定めされたのだ。そして、人として最低最悪のことが起きた。後に告発され、きちんと裁判も行われた。保証もされた。あいつはその場にいたが、目上の男性隊員たちに向かって強気で物申し、何人かのオトモダチと共にテントを出て行った。自分さえ被害に遭わなければ良かったのだ、残された側がどんな目に遭うか想像もせず。
大戦終了後退役した私に、軍の知り合い経由で警察官としての雇用の話が来た。上どうしでどのような話がされたのかは分からない。一応、雇用前に潜入捜査に特化した業務になることは説明された。退役後、正規雇用の仕事に就けていなかった私にとっては、悩みどころではあった。なんせ、かつての“タダ働き奉仕”とは違い、恋人としての業務には特別な手当ても付くという点だった。――同じ業務に就くのは自分だけではない――悩んだ末、軍の知り合いの言葉が決め手となった。そして今、私はここにいる。
「ねえ、」
 サエが話し始めた。
「私の何を知ってて、そこまでの話をしているの?」
「はあ?」
 エミルは顔を歪め、馬鹿にしたように笑って言った。
「見りゃ分かるわよ。上の言うことにきちんと従う“いい子ちゃん”で、幸運にも今までやましいことに巻き込まれたこともない、能天気さがね」
 まくしたてるように話したエミルを、表情をまったく変えずにサエは聞いていた。サエの思考ははるか昔を漂っていた。
 こんな感触、初めてではない。
自分がしたいようにして、迷惑もかけていないはずなのに、文句を付けられる。自分の何かが“ムカつかせる”らしいのだが、では、それのために自分の意志を消せというのか。それが将来を左右することであっても? そもそも、ムカつかせる方が悪いと主張する方は、何がしかを我慢させられたり諦めた経験を持っており、それがコンプレックスに繋がっている。そのコンプレックスを解消するために思い通りに過ごせているように見える者を攻撃するのだ。そして、自身はその自覚がない。そして更に、そうした人は決まって他人を連動した条件で判断している。可愛らしい女性は甘党だというように――
「キャラ前提で話すの、もう卒業したらどうですか」
「はあ⁈」
エミルの顔が更に歪んだ。
「資料、ありがとうございました」
 何かまた話し始めようとしたエミルに踵を返すと、サエは応接室を出た。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
 サエはそのまま聞こえていないかのように、その場を立ち去った。


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