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「自己肯定」できてると思ってたけど全然できてなかった…。

一個前の記事を自分で読み返していて
なんか違和感があって…

あれも嘘ではなく
本当に感じた事を書いたのですが…

なんか書きたかったことと違う。
ズレてる。違う。
そんな感じがして…


行く前は、憧れてるけど苦手だろうな
大都会だし、好きにはなれないだろうな
と思っていたニューヨーク。

でも実際に行って、
これがほんとの多様性か!
みたいな世界に触れて
ニューヨークという街を
すごく好きになったのは確かなんです。


なんで好きって感じたのか?
なんとなくじゃなく、
もう一回!
とにかくもう一回考えてみよう!
そう思って母と会話しながら
その感情を細かく分解していくなかで
ついに本当の答えが見つかりました…。


長年

「こうあるべき」

というのがとても強かったわたし。


ルールは守らなければいけない。
人の役に立たなければいけない。
人に合わせなければいけない。
人に迷惑をかけてはいけない。
人の嫌がることをしてはいけない。
人を裏切ってはいけない。

とにかく、こう思っていました。


「常に正しくあらねば」と。



でも、ニューヨークには
そんな自分の価値観では測れない
世界が広がっていたのです。


•時間通りに来ないバス
•時刻表のない地下鉄
•各駅停車に乗ったはずが、突然急行に切り替わるw
•線路にはネズミがウロチョロしてる
•地下鉄内で本気で怒鳴り合いをする人
•めちゃくちゃ太い人もパツパツの服着てる
•ノーブラの人もいる
•ほとんど上達しないのに、3年も楽しそうに
日本語学校に通いつづけるおじいちゃん
•画家
•プロミュージシャン
•有名ブランドのデザイナー
•雑誌編集者
•オペラ座で働く人
•一流ホテルのホテルマン


もう上げ出したらキリがないくらい
自分が今まで出会ったことのない
色んな常識、職種の人、人種、セクシュアリティ。



私の中にある価値観が決める
「良い」「悪い」っていったい何だろう?
それが本当に正しいの?
それでほんとに世界をジャッジできる?
あなたの価値観が世界の価値観ですか?
そんな疑問にぶち当たりました。



街中ですれ違う見知らぬ人も
実際に生活する中で触れ合う人たちも
みんなそれぞれが
自分のままで、輝いています。

人にどう見られるかとか、
そんなこと全然っ気にしていません。
純粋に自分の欲しいものを求めてるし、
ただひたすらに自分の可能性を信じて
やりたいことに挑戦しているんです。


そういう人達が輝いて見えたし、
生き生きしていて羨ましく思いました。


あぁ、この人達は自由だなぁ。
自分を生きてるんだなぁ。
そのままの自分でいいんだなぁ。
人の目なんて気にしなくていいんだなぁ。


・・・


あぁ、私も
ありのままでもいいのかもしれないな…。
そう思えました。
そう思って…

「うん、ほんで?」

母にその続きを促されて
もう言葉を発する前から
こみ上げてくるものがありました。


「安心してん…。」




自分がこの言葉を発した瞬間、


涙がポロポロと溢れました。

そうだ、

「安心」


だから、ニューヨークが
心地良い場所になったのか。



私は
頑張って生きる自分
優等生として生きる自分
正しく生きる自分
そんな自分じゃなくても
ここは許される場所。
そう思えたから安心した。



不恰好な私でも
おデブちゃんでもいい
足も腕も太くてもいい
お尻が大きくてもいい
短気でもいい
嫉妬深くてもいい
飽きっぽくてもいい
自分を良く見せなくてもいい

ありのままで
そのままで
自信を持って生きればいい。


これは
誰かに言ってほしかったんじゃない。
自分で自分に
本当は言ってあげたいのに
言ってあげられなかったこと。

それが本当はずっと
しんどかったんだ…。


なんかこうして言葉にすると
白々しくて
カッコつけてるみたいで
伝わらないかもしれませんが、
これが私が見つけた本当の答えです。

私は思ったこともはっきり言う方だし、
駄目な自分も認めていて
「自己肯定感」をちゃんと手にしていると思っていました。
だから、この答えにたどり着いたときは
愕然としました。
まだまだ「自己肯定してる風」だったんです。
本当はまだ「自己否定」してたことに気づいていなかったんです。

「自分にも可能性がある!」


と感じたその先の
心の奥の更に深いところに

弱々しくて自信がなくて
嫌われたくなくて強がっている

わたしがいたなんて。

当時気づけなかったあの時の感情の正体。
実に20年という歳月を経て
やっと気づくことができました…。
ちょっと自分でもビックリです。


最近よく聞く「自分軸」。
「自己肯定」するためには
ありのままの自分を受け入れること。
そんな情報はいっぱい入ってきて
なんとなくわかっているつもりになっていましたが
実際は全然分かっていませんでした。

自分が感じた感情をありのまま感じるって
そんなに簡単じゃない。
たった一つの感情を「本当に感じる」まで
どれほど時間がかかったか…。


私を含め、ほとんどの人はきっと
自分の感情を
「嬉しかった」「楽しかった」「悲しかった」「辛かった」
みたいに、大ざっぱに感じてるだけなんです…。

いや〜、ここまでの道のり、果てしなかった。

自分の感情を感じ切る。



ってすごいです。


パズルのピースを集めて
欠けた部分を一つずつはめ込んでいくみたいに
本来の自分を描き出す作業のような気がします。

きっとまだいっぱいかくれんぼしてるやつがいる。
そいつを見つけてあげなくては。
そのためにも
とことん自分の感情に向き合っていく。
ちゃんと全部
まるまる全部
自分を認めて受け入れられるように。


大変で、しんどくて、
頭も心もぐちゃぐちゃになって
わけわからんくなる時もあるけど
これだけは投げ出さないでおこう。
そう心に決めました。






(一個前の記事がなんか妙に恥ずかしい…。)

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