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普通なラップスタア誕生 異常なラップ

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やっぱり日本語ラップに関しては技術しか取り柄がない
もし本当にゲットーなるものがあるなら犯罪や狂人がこんな拙いラップをするのだろうか
だからこそヲタクなヒップホッパー上がりがラップする事に意義があり人口が多いのも頷ける

グロいナニカは普通から生まれる

日本語ラップの優位性やそれをやる意義はさんざん語り尽くされたと思うし今やシーンもかなり大きい。けど果たしてその中には差別的なあるいはそう思っていなくとも何か区切っている基準を勝手に付けてはいないだろうか

ヒップホップ論とか語る時に面白いのは、なぜかその当事者達は内と外を分ける事
これは邦ロック村にも言える事だけど結局俺らがやって楽しんでそれで良いじゃんという内輪のりでオールオッケーというのが全開だから

「邦」と付いてるだけまだ良いのかもしれない。ジャパニーズヒップホップと言葉に出していう時に長ったらしいのはウザいから言わないってのは確かにある。だけど邦ヒップホップとはならないようだ

そこであえて日本語ヒップホップだとかジャパニーズヒップホップと言い換えて説明する人はとても色々考えているだろう。自分の知らない所でそう言ってる人もいるかもしれない。だけどメディアであまり出てこないと言う事はそういうことだ

この論なり現行のジャパニーズヒップホップがもし不良なりヤンキーなゲットーを売りにしなければならないみたいな前提が大正義みたいになるとそれは少し話が変わってくる

つまりはラップスタア誕生なりのオーディションを今やる意義は結局そういうゲットーな人が売れないよねとかヲタクや陰キャなポエマーは違うよねという肯定的?「差別」だろう

だったら最初からそう掲げたり、私達はそういう人を求めていますと実際に募集要項に書けばいいが結局一般社会の面接・面談と同じで「いやいやわかるでしょ?という阿吽の呼吸」ばりの差別・足切りは行われている

「普通」という言葉は刺さる時には果てしない傷になるが、武器になる時にも使えるという事

所謂ゲットーなラッパーが身分相応なラップをして面白いのだろうか?
アメリカなり欧米でそういうラッパーはラッパーはたくさん観てこなかったのだろうか

普通の成りで異常なラップをする方が自分には刺さる という話


所謂サブカルやアングラには本には勝てないそして技術に勝てないパンチラインやフロウが溢れてる。ゲットーにはない

それを摂取しヲタクなりのマインドで技術を磨き変態的ナニカを磨き上げて言葉に出来るのは 「リアル」とかいう日本では面白みのない基準の低いものを蔑ろにできるから(平和て事)

今くすぶってるラッパーはラッパーとしてでなく勿論ヲタクとしてでなくしっかりミュージシャンとしてラップをし変態的何かを残してほしい

くすぶってるという事は未来しかないんだからね

キモいと言われてもやるべき事

新時代・新世代として受け入れられない価値観はある
それは老害になればなるほど大きく高く厚く壊し難いものになる。自分の食い扶持だったり既得権だったりするから

だからアメリカの黒人だけでなくアメリカンなラッパーやミュージシャンでアニメや漫画が好きな人が多かったり、各種SNSを見ているとジャンプ漫画作品など多くのミームと共にパロってたり部屋の壁や棚に色々と飾ってたり

それをすんなりクールなナニカとして受け入れられそれはラップやヒップホップにも波及してるし大々的に取り入れられてる

なぜすんなり受け入れられているのかというとやはり「外部」のモノであるし人口的にもコミュニティ的にも大きくなり成功者も出ていたりして、しかも「より新しいナニカ」を生み出している

それを恥ずべきものとしている間はヲタクなラッパーは苦戦するかもしれない。一昔前のMTVではジャパニーズアニメな禁忌だったと思うが今ではそれなりに市民権を得てると思う。最近だとDua LipaのLevitatingのアニメ版とかね


エリック・サティが迫害されて薔薇十字会に入信し、世代の作曲家より絶大な影響を今世まで残している様に、例えそれが脅威であろうと変態的狂信性であろうとアートである以上アーティストは世に問うべきではないか

今はよりビジネスも発信もしやすいはず
なら変な価値観に囚われずだからと言ってそれに甘えず

老害は怖いんだ
自分の価値観を変えるのが、壊されるのが


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