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旅とか写真とか

友達とこの前「Falmouthにある持ち帰り中華の店で一番美味いのはどこか」って話をしていたら、あるヤツが「Tescoの裏、あの急な階段の横にある店が一番美味い」と断言した。俺は「全部の店を試したワケじゃないから分かんないけど、俺にとって味はどこも大差なかったなあ、あえて挙げるなら映画館横の店が好きかな」と、個人的に一つ恩のある店を推した。
そこまではただの駄話なんだけど、問題はここから。俺が興味本位で「Tescoの裏にある店と映画館横の店、そんなに違う?」と聞くと「Tescoの裏の店しか行ったことないから分からん」という答えが返ってきた。勘弁してくれよ、と思った。

話は変わるけど(まあ本当は変わってないんだけど)少し前に「ヨーロッパ一人旅を考えている人に伝えたい」という書き出しで始まる、知らない人のツイートが自分のタイムラインに回ってきたことがある(特定の誰かを晒しあげるのがこの文章の趣旨ではないから元のツイートは貼らないよ)。
そこにはツイート主の思う有益な情報が箇条書きで記されていて、まあいくつか参考にならなくもないアドバイスがなくもなかったけれど(←我ながら嫌な書き方だな)、語学は意外とお金払う時にしか使わないとか宿は個室にしろとか向こうから馴れ馴れしく近づいてくる外国人は全員が全員あなたの財布に用があるとか、独断と偏見にまみれた、アドバイスとは到底言い難い文言が並んでいて、俺は目眩を覚えた。いや、実際には目眩なんて覚えてないな、カッコつけてすみません、正直に書きます。普通にムカついた。
まあ俺も放っておけばよかったんだろうけれど、暇だったんだろう、興味本位で「ドミトリーには泊まったことあるんですか?」と質問すると、「私の海外旅行の目的は綺麗な写真を撮ることなので、必ずカメラとスマホが必要になります、盗難や破損のリスクを考慮すると相部屋は躊躇われます」という答えがきて、勘弁してくれよ、と思った。

これは、町にいくつかある中華料理店のうち一つにしか行ったことがないのに、そこが一番美味いと断言できるメンタリティと全く一緒だ。無知と無恥。
貴重品のセキュリティを考えてドミトリーを避けることは悪いことではない、どころか至極真っ当、賢い選択とも言える。が、なぜドミトリー(相部屋)に泊まったことがないのに「宿は個室にしろ」と命令口調で言い切れるのか(つーかそもそも「スマホとカメラの盗難や破損リスクを考えると相部屋は躊躇われます」の時点で、無意識に俺が高いスマホやカメラを持たずに旅してるって決めつけてるよね)。

何かを知らない、経験したことがない、というのは全く問題じゃない(次の一文は書くまでもないことだけど、これは無料記事で誰が読んでいるか分からないから念のため一応書いておく)、俺だって(俺だってってなんか偉そうだね)知らないことの方が多いし、経験したことのないものの方が多い。だが、自分の知らないことや経験したことのないものを、自分の知識や経験に基づいて「〇〇に違いない」と決めつけてしまうことは問題だ。サボりとも言えるだろう。
これは細かい話になるけど「きっと〇〇なのだろう」と予測を立てるのは悪いことじゃない。何か新しい経験したとき、それがどれだけ自分の期待を裏切ってくれるのかという楽しみは大きいし、事前に予測していたものと実際のものがどれだけ乖離していたかで、自分の能力も測れる。


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Kiviak(キビヤック)という、グリーンランドやカナダ、アラスカの少数民族によって主に食されている、海鳥をアザラシの腹中に詰めこみ、地中に長期間埋めて作る伝統的な発酵料理がある(実物はなかなかグロいのでイラストにした、興味のある人は各自ググってみて欲しい)。
とある北極冒険家の方が「とても美味しかった」と言っていたのを数年前に直接聞いて以来、いつか食べてみたいと思っている。発酵食品なだけあって、チーズのような味がするとか、納豆の数倍臭いだとか言われているが、俺はまだ食べたことがないので、味も匂いも想像するしかない。
だから俺は「キビヤックは美味い」とも「キビヤックは不味い」とも言わないし、言う権利もない。「きっとこんな味なのかな」と想像することはできるけど、それはあくまでも想像でしかないということは、肝に命じておかなければならない(キビヤックを作る際、海鳥を詰め込むためにアザラシの肝は取り除かれるらしいけどね)。

例えのクセが無駄に強かったし、最後の冗談は完全に蛇足でしたね、すみません。

知らないことはちゃんと知らないという、経験したことのないものの性質を想像で断言しない、誠実さとか謙虚さって、そういうことじゃないかなと思う。これは自戒を込めて。

語学は意外とお金払う時にしか使わないって、本当にそうかな。自分は外国語が話せないから...って怖気づいてる人の背中を押すために、あなたが思ってるほど言葉が分からなくても旅はできますよ。ってことが言いたかったんだろうけど、そんな簡単に一般化していいもんじゃないだろうと思う。その人にとってヨーロッパ一人旅はそういうモノなのだろうし、それを否定する気は全くないけど、少なくとも俺にとって、旅先で偶然出会った人たちといろんな話をするのは一人旅の醍醐味だ。

宿は個室にしろって、本当に個室がベストって断言できるのかな。もちろん、慣れない環境で知らない人と同じ部屋で寝るなんて怖いのは分かる。でも、その日そのとき偶然同じ部屋に泊まることになったヤツと夜踊りに出かけたり、一緒に観光をしたり、料理を作ったり、俺はドミトリーに泊まって、そんな豊かな体験を沢山したけどね。それに、大体どこのドミトリーにだって鍵付きのロッカーはあるし、俺は今まで100泊くらいはしてるけど、モノ盗まれたことは一度もない。もちろん中には嫌な経験した人もいると思うし俺も全ての経験が良かったワケじゃないからこれこそ一般化できないけれど、最近は綺麗なところ増えてるし、何より安いし、問答無用でオプションから外すのはどうなのかな。一度も試しもしないで。

向こうから馴れ馴れしく近づいてくる外国人は全員が全員あなたの財布に用があるって、本当にそうかな。確かに日本と比べたら、ヨーロッパにはスリや何か騙そうとして近づいてくる人は多いし、特に旅慣れてない人はそれくらいの心構えでいた方が安全なんだろうけどさ。日本にだって観光客を見たら親切で声をかける人がいるように、ヨーロッパにだって親切な人は同じだけいると思うけど。実際俺は何度も、旅先で知らない人に助けてもらったことがある。

長くなりましたね。結局何が言いたいかって、旅って本来、いや、本来って言い方は良くないな。旅ってやり方によっては、自分が意識せずに持っていた偏見だったり、視野の狭さをを壊してくれるモノ、自分を旅の前より少しだけ謙虚で誠実にしてくれるモノになりうる、と俺は思ってる。お前は何も知らないんだぞと。で、旅に限らず、そういう経験をするには、勇気を出して、とにかく未知に飛び込み続けるしかない。
尊敬するthe band apartのベーシスト原さんがどこかで、影響を受けた名言として「恐れを抱いて生きるものは人生を半分しか楽しめない」という言葉を挙げていた。もちろん恐ろしいものを正しく恐れることはとても大切なんだけど、疑心暗鬼を生ずとも言うように、その恐れは、自分の無知や偏見から生まれた幻想かもしれないと疑うことも大切なんじゃないか。ドミトリーはなんか怖いからやめとくとかならまだいいけど、この無知からくる不安が特定の人種や民族に向くとそれはそのまま差別になるよね。

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ここ最近、ひたすら自分の周りの人を写真に撮りながら、そんなことを考えた。ずっと密かに人を撮りたいという欲求は抱えていたんだけど、断られたら嫌だなあとか、この人たちはこの国では完全に外国人の俺を受け入れてくれるだろうかと恐れて頼まずにいた。が、いざ勇気を出して「写真を撮らせてくれ」と頼むと、彼らは無茶苦茶優しく、拍子抜けするほど簡単に写真を撮らせてくれた。ああ、俺もどこかで、知らない人たちに勝手に恐れを抱いて、誤解していたんだなあと反省した瞬間だった。スーザンソンタグは著書の中で「検閲を警戒すること。しかし忘れないこと、社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。」と書いていたが、本当にその通りだと思う。

ただ楽しいから写真を撮ってる。それ以上でもそれ以下でもないんだけど、結果として多くを学ばせてもらっている。俺に写真を撮らせてくれている皆さん、すみませんでした。そしてどうもありがとう。

おしまい


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