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禁忌とパルプンテと田舎の公教育のクソさ【自己隔離生活6日目】

【隔離6日目】

本日も引き続き『汚穢と禁忌』。新しい知識や価値観を得るというより、どちらかというと個別に存在する様々な事象や研究を体系的に整理するような本でした。まあ読書の価値は自分の中に乱雑に放置されている知識や概念に説明をつけること、簡単にいうと薄っすら分かっていたことを明確に言語化することだと思っているので、いい読書でした。

記憶に残った部分を2つほど、身近なものと関連付けて紹介します。

一つ目

①曖昧なるものが惹起する認知的不安=ドラクエのパルプンテ

本書の冒頭には

曖昧なるものは、甚だしい脅威を与えるように思われることがある。

という記述があります。これを読んだ瞬間に僕は「ああ、パルプンテのことだ」と思いました。説明します。

パルプンテとは、ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズに登場する、何が起こるか全く分からない呪文です。唱えても何も起こらなかったり、味方にダメージを与えてしまうこともあるのですが、稀に、この世のものとは思えない「とてつもなくおそろしいもの」を呼び出すことがあります。

どのくらいおそろしいかといえば、この世で最も強大で恐ろしいと思われる大神官ハーゴンや破壊の神シドー(つまりラスボスたち)ですら、あまりに恐ろしくて逃げだすほどのものです。このとてつもなくおそろしいもの」という曖昧な記述がとても、とても重要なのだと僕は思います。

敵を全滅させる、敵に〜ダメージ、ではダメなのです、なぜなら理解ができてしまうから。理解できない、曖昧だからこそ、僕たちはそれは一体何なのかと無限に想像することができます。そして想像すればするほど、恐怖は増幅します。

そんな「おそろしいもの」とやらが、本当に存在するのか?
かりに存在するとして、それは一体何なのか?

自分の知らないところに、自分の理解が及ばないものが存在するのかもしれない。

こう考えたとき、世界は無限の広がりを持ちます。

あえて詳細を語らない、曖昧なものを提示することで、ゲームという限られた世界に無限の広がりを持たせる装置として、ドラクエにはパルプンテという呪文が実装されたのかも知れません。

続いて二つ目

②禁忌(タブー)は、共同体の構成員を思考停止させるためにある=クソ校則

以下は本書からの引用ですが、小難しいので読み飛ばして頂いて結構です。

「タブーとは、自然発生的に記号化を行なう行為である―脆弱な関係を保護する目的で空間的限界を設けたり、身体的・言語的なシグナルを発したりするための語彙を作りだす行為である。それらの記号を尊重しなければ、それに見合う危険が訪れることになるのだ。タブーを犯したことから生まれる危険の中には、接触によって誰にでも災禍をもたらすものがある。このような感染への恐怖のため、タブーを犯すのは危険だという怖れが共同体全体に広がるのである」

簡単にまとめると、禁忌=タブー=やっちゃダメなことは、その集団を崩壊させず維持するため、そこにいる人間たちに無力感を与え、思考停止させることを目的に存在しており、そのためであれば理論的な説明は必要ない。ということです。

僕はこれを読んだときに、「白い靴しか履いちゃダメ、例え白くても教師の気に入らない靴はダメ」という、数年前に通っていた中学校のゴミクソ校則を思い出しました(あと通っていた高校にいたクソ古典教師のことも思い出しました)説明します。

僕は中学生のとき野球部に所属しており、下の画像のような、野球用トレーニングシューズを履いて通学していました(アンダーアーマーではなくナイキでしたが)。今覚えば従順だったなと思うのですが、しっかりクソ校則を守って白いものを選んで使っていました。

画像1

が、ある日突然、当時の担任だった数学教師に靴を没収され、こう告げられたことを覚えています。

「お前、明日から通学用の靴を履いて登校してこい」

僕は思いました。

登校用の靴ってなに!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?

そもそもこの世界には(少なくとも日本には)登校用の靴って存在しないでしょ(学校へ行くのに常に野生動物に狙われる危険がつきまとうアフリカや、険しい山を超えなければいけないアンデス山脈周辺にはあるのかも、知らんけど)。どうでもいい話ですが世界各国の通学路を映像の納めた映画「世界の果ての通学路」は素晴らしかったです。

僕が金具のついたスパイクを履いて登校をしていたならまだ、道路を傷めるからとかそれらしい理由も付けられますがそんなこともなく。登校には問題ないどころか、滑りにくく耐久性もあり、特徴を見たら非常に通学に適した靴でした。

当時は単に頭の狂った教師の嫌がらせだと思っていましたが、今なら分かります。

あれは学級という共同体を維持するため、僕に無力感を与えようとしての行動だったと。

僕は当時、非常に生意気で手のかかる生徒でした(今もですが)。不良では全くなかったですが理不尽や教師の説明に矛盾があると指摘せずにはいられなかったのです。きっと面倒だったのだろうなと。あと、説明する能力すらなかったのだと思います。

しかし、それを認めてしまうと生徒たちに自分はバカだということがバレてしまいナメられて授業などまともに聞いてもらえなくなる→学級運営が成り行かなくなる→クラスという共同体が保持できなくなる。それを避けるためにあえて理不尽な禁忌=ルールを作り出しそれを守らせることで、自分は支配者でありお前より力がある。ということを分からせたかったのだろうと。

記号的な読み取り方をするとこうなります。いかがですか〇〇先生。まあ自分でもこんなこと意識してたわけじゃなくて、先輩教師たちがそうやって学級運営してきたからコピーしただけなんでしょうけど。

これは軍隊などでファシリテーション能力のない無能な上官が、部下をまとめるためによく採用する作戦ですね。学習性無力感を植え付けるってやつ。

そう言えば通っていた高校の古典教師もこんな感じの統治が得意なカスでした。

始業時間5分前に授業を開始して、当てた生徒が質問に答えられないと怒鳴りつけて立たせるんですよ。これも、学級という共同体を維持するために非論理的なルールを作ってそれを破ったものには罰則を与えるという、明確な記号ですね。

つらつらと書きなぐってきた一連の地獄における最大の問題点は何かというと、学生は卒業した後にこの異常さを知り、まともな奴ほど田舎の公教育とは距離を取るということです。

⚠︎僕の友達や知り合いで教員をやっている人たちは皆さんまじめで、このヤバさに危機感を持ってる人ばかりです。

【ここから書いててマジで熱くなってきたから口調変わるけど許して】

でもみんな、「人生短いし、まあもう自分はあんな箱庭で虐げられることもないから、あの頭の狂った教師たちのことは忘れて楽しく生きよう」ってなってるじゃん。酒の席で「あいつマジで頭イってたよな」ってネタにするくらいでさ。俺もそう思ってたんだけど、それだとマジで日本終わるって。

そうやって学生時代に無力感を植え付けられて「上の人が言う理不尽には従うしかない」って洗脳されたまま大人になるから、選挙の投票率も低いままだし、公教育も腐ったままなんじゃねってこれ書いてて思った。コロナの件でみんな出歩いてるのも無関係じゃないよ絶対。自分一人が行動変えても何も変わらないんだって最初から諦めるように教育されてきたんだよ俺たちは。そっちの方があいつらの仕事が楽になるからってだけの理由で!

もちろんそのクソ教師たちにも家族はいて、何年もそのスタイルで仕事してきたからそれを否定してしまうのは可哀想みたいな考え方もあると思うし、おれもそれは思うよ。でもさ、やっぱりおかしいことにはおかしいって言わなきゃダメだって。

海外に住んでるから出羽守になって「日本はダメ」みたいなこと言う奴が俺は大嫌いだからそうなるつもりはないし、日本の公教育のシステムはそれなりに優れてる、世界的に見てもそんなに悪くないんじゃないのって思ってるけど、流石に旧態依然としたマインドセットを引きずってるレベルの低い教師が多すぎ!

おれは本当に日本が好きなの!人はみんな優しいし(ここで例に出した教師たちも悪い人じゃないよ、許してはいないけど笑)、町は綺麗だし飯はうまいし、あと数年海外で勝負してえなと思ってるけど、いつかは帰ってきてこの国で死にてえなと思ってるわけよ。でもマジでこのままだとこの国終わる!だからこれを書いている。

長々と書いてきたけど結論を述べましょう。

もうまともにやっても勝算はないからパルプンテを唱えて一か八かの賭けに出る。

噓です。

教師の給料と数を増やし、待遇を上げ、マシな人材を集める。そして怒鳴らず体罰もせずにちゃんと学生を導けるファシリテーション能力のある人間を集める。そしてここに書いてきたようなカスは全員クビ、とまではいかないけど再教育を施すまたは学生から遠ざけましょう。これが日本の未来を明るくする一つの方法です。

また明日。


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