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あれからとかこれから

今年父が亡くなってから色々あったけど、私は第一志望の会社の最終面接受かりました。
正直就活なんて身が入らなかった。
一社しか受けてないのに受かった!
運がいいんだと思います。私はついてる。

あれから、ぜんぶぜんぶやる気が起きなくて。砂噛んでいるみたいで。空っぽの殻で。
動けるようになるいつかを每日每日待っていた。
怪我したナメクジのような。

この4ヶ月、
2月に父が亡くなったと聞いてから、地獄がスタートして。
警察、葬儀、弁護士、
父の単身赴任先のマンションの片付けと引き払い
(私と弟が子供の頃にあげた手紙とかたくさん出てきて泣いた。遺書を見つけた弟の顔一生忘れられないと思う。父の部屋で過ごした1ヶ月が1番堪えた)
そして怒涛の手続きがあった…

3月は、私たちが暮らしていた借上社宅のマンションからの引越し。
住む家が半分の広さになったから沢山捨てました。大切な物も。

4月は奨学金の申請と面接があった、私大なので学費ちゃんと貰えてよかったです。

ゴールデンウィークはコロニャーで家族全滅。絶対にパパのせいだにゃー😺

一つ一つの出来事が胸を突き刺してきて辛かったよ。私は全て忘れることができない。

最近になって生活が落ち着いてきたおかげで、ただ呆然と日々が過ぎていくという皮肉。
それでも電車でも学校でもところ構わず泣いているだけじゃなくなった。
時間がなんとかするってホントなんだな〜。
人様から言われたら心の中で中指立ててたけど。私には当てはまったみたいです。
相変わらず、父を止める夢ばかり見て、毎朝沈んでるけどね。

まだ、労災認定までの道は長いし。父のお墓問題もあるし。問題はあるけど。
私は、自分らしく人生楽しく生きるつもりです。
真面目で厳しい父が、自由に楽しく生きてね。って言ってくれた。
優しくて豊かな人生を歩んで欲しい。
それが私に名付けられた名前の願いです。(名バレ嫌なので少し変えました。)

べしょべしょ泣きながら書いてます。
下の2枚は父が亡くなってから私が趣味で描いた絵です。

星の子どもたち
6月5日


悲しみの果てに
三月らへん

父は私の絵が好きでスマホのロック画面にしてました。
父にも見せたかったよ。
就活のこと1番心配してた父に内定の報告もしたかったな。


大丈夫?と訊かれたら生きていけてる大丈夫だし、全然大丈夫じゃないです。
辛くてやりきれなくて前後不覚になりたい時ばっかりだし。
だって、自死は心の病で止めることは難しいって分かっていても、それを止めることができた最後の砦は家族だ。
絶対にこんなこと起きてはいけなかった。
父だって私達とさよならするのが1番辛いはずなのに、なんで独りで。
でもこれだけ辛いのは私が父のことを大切に思っているからで、父が家族のことが大好きだから。
そう思えることは有難いことなんだろうと考えてみたり。無理だったり。

私は父とは性格が真反対なので楽観的です。
アホで能天気だからよく怒られてた。
でもそんな私だから、パパがいなくなっても弟と冗談を言って母を笑わせることもできるんだよ。
もう2度と母の笑顔を見ることはできないと思っていたから嬉しい…

母は4月から職場復帰しました。
父の命は仕事と引き換えになってしまったので、遺されたお金を無駄にしたくないって言ってた。
私も母は動いている方が気が紛れていいと思う。
1番の敵は孤独だから。


これから、子供と関わる仕事に就くけど、英語と保育士資格の勉強もしたい。
そうすれば、発達支援や外国人支援とか将来できることの幅が広がる。
私は自分が発達障害で悩んできたこともあるし、バイト先で日本に来た外国人の困り事を実際に目にしてきたから。
それに、本当にいろんな人に助けられて今こうしていられることを実感している。
今度は困っている人の力になりたいです。

これからのことは今までのことと地続きになっている。
悲しみと共に幸せを。私は私だ。


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