寸暇を縫って、泥水を飲むように頑張っていると、綺羅綺羅・・・
寸暇を縫って、泥水を飲むように這いつくばり、頑張っていると、
人の動きが見えてくるようになる
何にしろ、ひとつの物事に打ち込むとは、
寸暇と如何に対峙するかということに他ならないのかもしれない
人の動きが見えてくると、実践に於いての力量、本物の洞察力が身についてくるので、嬉しい(人間の実力という)成長が待っている
いや、既に遂げられている段階だといえるだろう
≪錦≫ を思わせる絵柄にしてみた
少女そのものは、絢爛豪華であってはならない
とても儚い麗人だからこそ、
作品は輝くのである・・・
綺羅綺羅と、美しいものを観たければ、
主人公の自分が、儚くとも、ひたむきに動かなければならない
そうやって、何かをやり遂げる中で、それだから、その空間のどこかに、
綺羅綺羅と何かがするのである
そう、自分を輝かせるのは、儚なげな自分のひたむきさ、努力なのだ
それは私の少女画ともリンクしていて、
少女の本質が、儚げで嫋やか、そこにほんのひたむきさがあれば、
その絵は飾りつけられる装飾とともに綺羅りとするのである
僕は敢えて、No.1という言葉を、外に出さなくなった、
自分がNo.1であることが、ありたいことが、社会にとって必要ならば、
豪語せずに、心の中で慎んでいればいい
慎んで規矩を掲げていればいい
だからやがて人は輝くのだ
儚げに揺れるのだ
それが、この日本(人)の美しさだと思う
Piano:≪西村由紀江さんのチャンネルより≫
Rose
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