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ミッションを考える前に読むnote - 心理的安全な場の確保、ワーク、身体感覚 -

第一稿:2011年3月21日
加筆修正:2018年6月、2019年5月

2019年5月、令和に入って以降、立て続けに経済団体やトヨタ社長から「終身雇用の維持は難しい」という発言があった。社会は薄々感づいていたものの、このような立場にある方々が明言した事実は重い。

このことを受けて、大企業勤務であっても、キャリアを主体的に築いていく必要があるし、一方、企業側にはそのような機会を与える責任がある。具体的には、いわゆる、人事制度のメンバーシップ型からジョブ型への移行というものだろう。

このような社会の流れは「キャリアの民主化」とも言える状況で、可能性が個人に開かれたとも言えるし、終身雇用時代比べて、キャリア開発に自覚的になる必要があるとも言える。そこに出てくるキーワードのひとつが「ミッション」だ。

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本記事では、上記のようなミッションの大切さ、ミッションにいかに気づき、育んでいくかの方法論や、自分のミッションだと判断する基準、そして、育む上での注意事項を考えてみたい。

ネット時代にはミッションが大切になる

終身雇用のニュースが飛び込む前から、ネット時代には「ミッション」が必要だというのは、色々な人が言及している。

例えば、佐渡島氏はコミュニティに関する自著で「これからは自分がなにものなのか自覚的になることが求められる」と書いていた。

また、糸井重里氏は2001年に出版した「インターネット的」ではミッションという言葉を使ってはいませんが、自分なりの価値観を表現する大切さに触れている。

これからの時代は、大きさは別にして、あらゆる場面で立候補しないで生きていくことが、困難になるのではないでしょうか。どっちの道に行きたいのか、何がいやで何がしたいのか、何を美しいと感じ何をみにくいと思うのか、そういったことを自分なりに生きるための「軸」として持っていないと、他人とリンクしたり、他人の協力を得られたりができないでしょう。

最近では、西村創一郎氏が、「自分のビジョン・ミッション・バリュー」の言語化についてnoteをアップしている。

行動することでミッションは育まれる

上記のように様々な方々が色々な角度から、ミッションの重要性に触れている。

改めて、ミッションとは、一般的には「存在意義」や「果たすべき使命」で「私(たち)は●●●することで●●●を提供する」という文章で表せるものと言われているが、では、これを言語化し、活動に落とし込んでいくにはどうすれば良いのだろうか。

その問いに答えてくれそうなのが、『「情熱を探そう」というアドバイスはもうやめよう』というブログ記事だ。

記事では、要はどこかにあるまだ見ぬ情熱的になれる何かを探そう、見つけようというスタンスのアドバイスが多かったかもしれないが、そうではなく、情熱は育むもの。今ここにある情熱のかけらを大切に育てることの方が本質的だいうものだ。

けんすうさんも同じようなことを書いている。まず、行動せよということ。

(参考)稲盛さんの自分の捉え方

下準備としての心理的な安全性を感じる取り組み

大前提として、とても重要なのは、ミッションは誰かに教えてもらうことはできないという点だ。また、頭で考えたり、本を読んだとしても、絶対に!気付くことはない。身体全部を使ったトライアンドエラーでしか気づきを得ることはできない

そして、実際にトライアンドエラーをしていくための下準備のような活動もある。今でいう心理的な安全性を感じる取り組み、もしかしたら、一種のセラピーと呼べるかもしれない。

【心理的な安全性を感じる取り組み】
・ヨガ、禅に取り組む(呼吸に意識を集中させる)
・旅に出る・言葉にする、文章を書く(ジャーナリング)
・絵を描いたり、デッサンを描く
・コラージュをつくる
・自然の中で遊ぶ(サーフィンやスキー)
・ろうそくやお香を焚く

興味深いのは、どれも丁寧に観察することや、今までに経験したことのないことでも、思い切って表現してみること、それを誰かと共有し合うなどの要素が抽出できるように見える。

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このことについては「佐渡島さんのコミュニティ本のまとめ(おまけ) - 自分らしさを発揮する4つのキーワード」で書いたので、ご参照ください。

以下では、過去の私の取り組みをいくつか紹介したい。

ひとつめが「ずっとやりたかったことを、やりなさい。(以下、リンク参照)」で紹介されているモーニングページ(ジャーナリング)だ。ひたすらノートに浮かんできた言葉を書き連ねていくのが主な取り組みだ。本書はボロボロになるまで読み込み、真面目に実践していた。

また、安全な場で表現と対話を行うことをまさに、ひとつの場で提供してくれるEGAKUというプログラムがある。絵を描くという非言語と対話を組み合わせたプログラムで、僕も2,3回参加させていただき、色々な気づきをいただきました。同プログラムは、大企業の新規事業開発や組織開発の場面でも利用されているそうです。

このほか、絵画教室に通って、水彩画やデッサンを習った。色々な発見があった。

さらに、インスピレーションをくれた場が自由大学でした。様々なクラスが5回1セットで提供されていて、先生とも参加者とも、ディスカッションを通じて、気付きを得ることができました。

受講した自由大学の授業の感想やゲストとして話したこと。

他にも、以下のようないろいろな活動での出会い、気付きによって、自分のミッションをアップデートし続けていました。

【そのほかの印象に残っている活動やイベント】
・出資し、投資委員会のメンバーを務めたソーシャルファンドARUN
・lilayogaでヨガインストラクターの資格を取得した
・ヨガのクラスを主宰した(shapes yoga community)
・書家寧月さんのワークショップに出た(ツイッターつながりの奇跡のご縁)
・禅寺永平寺で修行された先輩に連れられて、禅合宿に参加させてもらった

このような下準備の中では、心理的な安全性が確保された人の繋がり(いわゆるコミュニティ)を自分で持っておくことも重要な取り組みだ。このことについては「3つの組織と暮らす時代」で触れている。

(参考)自身のミッションについて

身体の中にあるミッション

今回の記事では、さらにミッションとは何かを身体性の観点から探ってみたい。というのも、私がミッションを深く考えさせられた体験が「ヨガ」「絵」などの身体性に関わる取り組みの中での気づきが多かったことが背景にある。

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早速、話を進めてみるとと、ヨガ的な観点で「スピリット(ミッション)」という話が出てくるのは、人の内面を分類するところだ。(下表参照)

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ここで、ヨガは「からだ」から「こころ」にアプローチする方法と言われる。例えば、心が沈んでいる時には、胸を開くポーズ、心が高揚しすぎているときは、その逆のポーズを行うことで、心が必要以上に浮き沈むのを抑えることができるような感覚が得られる。

それは身体感覚として、とても理解しやすく、すぐに納得できるものだった。一方で、「ミッション」という概念には、身体的な感覚として、すぐに感じられるものではないように思っていた。

しかし、色々なことに取り組んでいくうちに、ふとしたタイミングで、「ミッション」と「こころ」は全く違うもので、とても大切なものだと感じるようになった。

それは、明らかに身体に変化が起きたことに起因している。

ミッションと幸せな身体

「ミッション」というものは体で感じることはできないと思っていた。頭で考える概念的なものであるような、そんなイメージをしていた。しかし、色々な取り組みを続け、様々な方との繋がりを得る中で、パワフルな感覚をいくつか感じることがあった。

【身体に起きる変化】
・胸のあたりが熱く、振動している
・ちょうど腹の下あたりの熱さ
・骨盤をぐいぐいと押される力
・矛盾のなさ、違和感のなさで肩から力が抜ける
・足の先から、背中から、肩、二の腕から世界に溶け込んでいく
・世界という泉に身体全部を足からすーっと浸す

これは、心が高揚しているというより、落ち着こうとしているにも関わらず、湧き出てくる何か、そんな感覚だった。

一方で、このような話はスピリチュアルな雰囲気がして、あまり積極的に触れる内容でもないかなとも思っていた。

しかし、数年後、このミッションを紡ぐことと身体の反応について科学的に説明している方に出会うことができた。

(余談)
ちょうど、おとといにイブサンローランの映画のフライヤーに書いてあったキャッチコピーが印象的だった。「人生で最も大切な出会いは、自分自身との出会い」というもの。ミッションや役割にきづくことはまさにそのことなんだと思う。

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2018年9月9日に鎌倉で開催されたイベントzen2.0で「ミッションに気づくことと身体の変化」に触れたい。同セッションは脳科学の観点からミッションを説明されており、この日に偶然立ち会った。

なお、セッション「身体の声に耳を澄ます」というもので、このセッションを担当された藤野さんは京都大脳科学の博士課程で研究をされている方で、上記の話も含めた、仏教と脳科学を理路整然と説明されていた。

以下のスライドはセッションで使われたもののひとつです。メッセージは「感情とともに身体が変化する」です。このスライドを見たときに、我が意を得たりと興奮したことを覚えている。

特にHappinessの身体の変化が、ミッションに気づいたときの身体の変化に似ているように思えた。

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ミッションのある暮らしのトリセツ

このように試行錯誤の中で、ミッションに気づいた後、それがゴールではない。ミッションは育んでいくものだからだ。その際の注意事項をティップスのように紹介させていただきたい。

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1.「こころ」に従ってはいけない

自分で書いて、「え、そうなのか?」と思うが、その通りで、必ずしも、心に従うべきとは限らない。(ただ、心や身体が感じる心地良さをしっかりと感じるのはミッションを捕まえる必要条件だと、個人的には思っている。)

心地いいと思うことが「ミッション」の声に従っているときもあるが、常に従えているとは限らない。なぜなら、「ミッション」に従うことで、常に気分がいい生活を送れるとは限らないからだ。

ここは、非常に難しく、感受性を高めなくてはいけないポイントで、心地よさを求めるだけだと、たんなる怠惰な時間を過ごしているだけに過ぎないこともある。

一方、「ミッション」に従うからこその愛情たっぷりのあったかいスープや丁寧にいれた極上のエスプレッソの提供もある。好きなときに、絵を描いて、それを見守ることもある。(7年前の自分は何を言っているのだろうか・苦笑)

2.ミッションに従う覚悟

「ミッション」に従うことは、常に心地よさを生む約束も、経済的な成功の約束もしてくれない。一見無責任なものだ。

たとえ、ミッションに従った生活をしたからといって、生活が良くなることが約束される訳ではないし、人からの評価が常によいわけではない

これ以上ない充実感や、世界とのつながりを感じられることもあれば、人の批判にさらされ、逃げ出したくて仕方がなくなることもあるはずだ。

何が自分の手元に落ちてくるかはわからない。従い続ければ、きっと、過去に感じたパワフルな感覚を常に持つことができる。という希望的な観測しか言うことができない。

なので、人参をぶら下げた馬のようになることもできないし、「ノーペイン、ノーゲイン」のような単純な取引すら成り立たない

ただ、「従います」と覚悟を示し続けるしかない。それは、ストイックでもなんでもなく、それが自然な姿だと受け入れる態度が必要なのだろう。

3.気付くことはスタートに過ぎない

ミッションにきづくと自分自身の力強さや、毛布に抱かれているような安心感を感じることがある。もし、たましいの声に気付くことができたら、それは本当に素晴らしい奇跡的な出来事だ。

しかし、大事なのは出会いそのものではない。出会いはスタート地点に過ぎない。その次に待っているのは、具体的に何をすればいいのかということだ。

ミッションにきづき、その声にコミットし続けて生活することだ。

4.ミッションの赤ん坊を守る

行動することが大事、そんなことは分かっている。でも、行動を始めたばかりのときは、失敗しやすい。いくら、トライアンドエラーが大切といっても、エラーばかりの日々が続けば、高揚感がなくなり、現実に引き戻される。そもそも、トライすること自体の壁も高い。

そうしている間に数日前に感じた感覚は消えて、ミッションの声に耳を傾けていた自分が愚かしく思えてくる。そして、「ばかな僕でごめんなさい」と丁寧に自分を傷つけて、たましいを埋葬し、それまでの生活に戻る。

そうならないように、ミッションの声とそれを実践しようとする自分を赤ん坊のように扱い、全力で守ることが大切だ。

さいごに

ミッションの声にきづいたら、それを促す行動をしたい。それが矛盾のない、世界に溶け込む作業のひとつだと今のところ強く感じるから。

読んでいただき、ありがとうございました。

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