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真の自立に近づくために ~心の中の親〜


◆色々な自立、それぞれのステージ

人はどういう状態に達したら「自立した」と言えるのだろうか?
一人でうんちを拭けるようになったら?一人でご飯を作れるようになったら?20歳になったら?一人暮らしをしたら?仕事に就いて食べていけるようになったら?結婚したら…?死を受け止められたら…?etc
その基準は、経済的なものから精神的なものまで、そして些細なことから偏見にまみれたものまで、人の数だけ答えがあるだろう。一口に自立と言ってもそれが指すイメージや段階も異なるだろうし、明確な答えなんてないのだと思う。

だから、これから書くことはあくまでも私見。しかも、「今」現時点の私が感じる「真の自立」、しかもそのための一歩だ。


◆親とのつながり

私が真の自立に一番重要だと感じるのは、親との心の距離をきちんととれることだ。
個人的には、これって実はすごく難しいことだと思っていて、経済的自立よりもはるかに難易度が高いとさえ感じる。

私達は母親の身体から生まれ、幼い頃からずっと両親のもとで育ち、遺伝的にも環境的にも、あまりに多くのものを親から受け継ぎすぎている。初めてこの世に生まれ落ちて経験する最初の世界は、ほぼ両親がつくる世界。そこから学び取ることは成長する限り続くわけで、考え方を含めた色んな習慣をも作り出してきた。それと距離をとろうというのだから、ある意味これまでの自分を否定したり、自己批判していくようなものだ。自覚/無自覚は別にしても、なかなか難しいはずである。

◆親の価値観と幼少期の経験

何が良くて、何がいけなくて、何がおいしくて、何に美しいと感じるのか…etc
その一つ一つが両親の価値観のもとで育まれる。何を食べ(させ)よう、どこに(連れて)行こう、何を見(せ)よう、(親が)家族でこれをしたい/したくない、その選択権と責任のほとんどは親にあるのだ。

どんな時に笑い、どんな時に泣き、どんな時に怒るのか…そんな些細なひとつひとつの所作さえも、全てを親から吸収していく。それも全身で。子供にとってはそれが真であり、正義であり、すべてなのだ。子供はひとまず親を信じて、一生懸命生きていくしかない。
 

◆私の幼少期、成長期

私自身を振り返ると、それなりに恵まれた家庭で育ったとは思う。衣食住に不自由せず、愛情もかけてもらい大切にされ、自分も親が大好きだった。不平を言ったらバチが当たるのかもしれない。

ただ、私は家族を大好き過ぎたのだろうか…。成長するにつれて、「こんなに大切に育ててくれている親を心配させたらいけない」とか「悲しませたくない」という想いばかりが大きくなり、私自身の正直な気持ちがわからなくなっていった。
本当は海外留学もしてみたかったけど、「心配症が過ぎるうちの両親には無理だな…」とか、一人暮らしをするように会社から言われても、「きっと正論でものすごく反対されるだろうな…」と思うと、両親を説得する気になれなかった。

だから無意識のうちに、何をするにも親に受け入れてもらえるかが自分の見えない物差しになっていった。何かを選択する時には、いつも親のリアクションが真っ先に頭に浮かび、親の顔色をうかがい、親の興味の薄いものや、明らかに反対されるとわかるものには、関心を寄せることさえ躊躇われた。ものすごく悪いことをしているように感じてしまうのだった。

◆自分が苦しんでいることを認識

 こうした自分の状態を「苦しんでいたんだ」と気が付いたのは、結婚を機に実家を離れてからだった。それまでは、自分自身あまり苦しいとは感じていなかったから。麻痺していたのかもしれない。親の存在をとても大きく感じてはいたものの、それはそういうもの、当たり前のことだと感じていたし、そこに抗うことの方が私には大変だった。

 一度だけ、親に反抗したこともあった。今思えば、あの時はすでに我慢の限界を迎えていたのかもしれない。でも、やはり見事に鎮圧され、それ以来、立ち向かっていくエネルギーはますますなくなっていった。


◆結婚して気づけたこと

 でも、結婚して実家を離れて5年目にもなると、ようやく親との関係を冷静に見られるようになってきた。

私の親にとっては、結婚というカタチだけが私に必要以上に口を出さない最後の歯止めになり得たのだ。「結婚したら別の家庭。だから、あまり口出ししてはいけない。」親の方もそうわきまえて、自分の手から離れた安心感も手伝ってか、以前と比べて干渉の度合いがガクンと減った。

とはいえ私の方も、結婚当初はそれまでの癖や変な罪悪感から、必要以上に親に報告しなければいけないような気もしたが、5年目ともなれば、ようやく「私のことは私のこと」と思えるようになったの。
こうして、時間の経過とともに静かな環境で過去を振り返ることができるようになってやっと、の時の自分が無理をしていたことに気づけたのだ。


◆親の価値観からの脱皮とそのプロセス

たとえば一つ一つ。

細かなことに気が付いていった。
「本当はこんなにインドアだったんだな」というのも、自分にとっては大きな発見だった。出たがりの両親の好みで毎週末ドライブ、色んな所にも連れて行ってもらっていたから、出かけることは良いことで、自分も好きなんだと思っていた。

でも、今になってよくよく振り返れば、当時の私も楽しんでいたわけではなかったように思う。行き先はいつも両親好みの観光スポットで、年の離れた末っ子ゆえに一人で留守番させられずに連れて行かれている感も否めなかった。移動の車で寝てしまうから、いつも無理矢理起こされて、観光させられる…。親のペースについて行くのがやっとだった。確かにそのおかげで良い勉強になったとは思うけど、されるがままで、自分の主体的な主張が採用された経験はほとんど記憶にない。「家族で近くの公園で遊びたい!」という私の素朴な願いが叶えられたのだって、たったの一度だった。「あ、でも出先ではいつも私の好きだった飴菓子やお土産を買ってくれてたな…」とか、良かったこと、嬉しかったことも一つ一つ。

色んなことを思い出しながら、親がしたくしてしていたこと、子供の私がしたかったこと、できたこと、できなかったこと、許されなかったこと。一つ一つ、丁寧に仕分けてみる。

自分が読書好きだと気が付いたのも、大人になってからだった。出歩くことの方が好きな両親には、読書よりも旅行が善だった。

部活動も親に体育会系を強く勧められるまま、運動部に入部した。家に帰れば「よく頑張っているね」と褒められるから、中高6年間、休みもなくやり通したけれど、実は文化系の方が向いていたのかもしれない。結構苦しかったのかもしれない。だって、ちっともワクワクしていなかったから。体力的なキツさに紛れて、心の声を抑え込み、見ぬふり聞かぬふりをしてたのかも。自分に鞭打って頑張る経験が肥やしにはなっただろう。けど、そういう頑張りは「期限付き」でしか通用しないことも後になって分かった。
 

◆これからの私 、 少しずつ自立していく

だけど、別に後悔はしていない。というより、しないことにした。
そりゃ思い返せば「親の顔色をうかがう人生だったな、もっと素直な自分のままに生きられたら今頃違ったのかな…」とも思うけど、それでもあの時はあの時で精一杯だったんだから。精一杯、必死に生きていたんだ。それに、そうやって生きてきたからこそ、得られた何かも、きっとあるだろう。きっと、たぶん…だけど。自分の幅は広がったのかもな…とも思える。

たとえそうでなくたって、今は自分の素直な気持ちに気付こうと思えるようになったのだから、それでいい。
自分は自分として、親の価値観から一つずつ丁寧に脱皮できるようになってきたのだから。

それに親だって精一杯だったんだろう。親も一人の人間だ。感謝したいことは山ほどあるし、かけてもらった愛情だって身体で覚えてる。今も親を好きなことは変わりない。感謝も怒りも悲しみも、全部本当なんだ。そんな自分も受け止めよう。


親の存在や価値観をちゃんと相対化できるようになった時、しかもそれを愛をもってできるようになった時、私は真に自立できるような気がしている。


いつまで経っても親は親。私がここに生を受ける限り、死ぬまで親は親だ。


だからこそ、親の価値観は知らず知らずに受け継ぎながらも、時にそこから解放される術を知り、私という一人の人間を自分の足で立たせてやりたいと思う。


ようやくだけど、これからだよね。


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