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30歳を境に変わり始めたこと#2

#1に引き続き、#2を書いていきます。今回は新入社員での出来事。そして、あまり変化のない2年目について書きます。


1.新入社員での出来事

弊社では、新入社員に指導員が付きます。私自身も3年目に新入社員の指導員を経験しました。当時の私の指導員は、中堅のベテラン社員でした。国内トップの大学・大学院を卒業し、研究開発部門で経験を重ね、頭が非常にキレる方でした。その方からは、研究開発時代の経験談や製品知識をお腹いっぱいになるまで教えていただき、今でも業務遂行に大変役立っています。ただ物言いがキツく、周囲は「大変な指導員に当たったねー」と思っていたそうです。

新入社員の私は右も左もわからず、そんな大変な方だとも露知らず、社会人1年目を過ごすことになります。特に指導を受けたのが、文章の書き方と話し方、伝え方でした。毎日、定時が近づくと、30分かけて日報作成に取り掛かりました。とはいってもA4ルーズリーフ用紙に

1.今日行った仕事
2.そこから学んだこと
3.所感(感想)

を書くのみです。ですが、当時の私にとって、「所感」が全く書けず・・・というよりも、そもそも「所感」が頭に浮かばず、うーんうーんと頭を悩ましながら、30分かけて取り留めもないことを書いては指導員に提出する日々が続きました。自分でも「こんな日報を見て指導員は何と言うだろうか?」と思いながら、モヤモヤを引きずったまま帰宅していました。そしてある日、指導員から

  • 「今日何をやったか、出来事しか書かれていない」

  • 「学びと所感が読み取れず、ただの日記になっている」

と指摘を受けました。当時の私はまともな文章が書けず、プライベートの時間を使って、自主的に文章を書こうと思ったこともありませんでした。今このBlogを書いているのが不思議なほどです。当時はBlogなど眼中にもありませんでした。

指導員からの指摘を受けて、次の日から、自分なりに日報の書き方を改めたものの、内容の深さにあまり変化は見られず、時間ばかりかかるようになり、結局1時間かけて日報を書くことになりました。しかし、同じチームの同期は30分で書き上げており、構成も内容も洗練されていました。指導員からは、「彼の日報をお手本にして下さい」と言われ、このときからその同期と差を感じるようになりました。

指導員自身は良いお手本を提示したかっただけだと思いますが、私は比較されているように感じてしまいました。そして、この「比較」を過剰に受け止めることで、指導員、同じチームの同期、そして仕事で接するあらゆる人に苦手意識をもってしまいました。

この苦手意識は、文章や言葉で相手に「伝える」ことに悪影響を及ぼしました。今思い返すと、文章の構成とか、言い回しとか、「こんなことを書いたら何と言われるだろうか」とか、いろいろと細かいことを気にし過ぎていて、書きたいことが素直に書けなかったのだと思います。

指導員からチャンスをいただき、定例の会議を私がファシリテートした際は、

  • 「周囲の視線が気になって説明どころではない」(周囲のメンバーが私の攻撃対象に思えてしまう。実際はそんなことはないのですが)

  • 「準備して臨んでもたどたどしい話し方になり、周りが心配する」

  • 結局、何を伝えたなかったのか、はっきりせず、指導員や周囲の方々にフォローされて会議が終了する

といったことを繰り返し、悪循環にハマっていました。恥ずかしながら、頻度は減りましたが未だにこういったことは経験します。私は心の中で「このままではいけない」と感じながらも、なぜか危機意識が薄く、仕事後のプライベートで、指摘事項に対して何もアクションを取らず、のほほんと遊ぶか、ダラダラと週末を過ごしていました。こんな感じで1年目が過ぎていきました。

2.あまり変化のない2年目

2年目は指導員から離れ、一応独り立ちしましたが、歳の近い先輩のフォローを受けながら仕事をすることになりました。その先輩は非常に丁寧に私をフォローしてくれました。先輩のサポートは、

  • 進め方、答えを必ず教えてくれる

  • スピードアップに役立つ方法を身体で示してくれる(特にブラインドタッチが早い。機械的な仕事をショートカットキーやエクセル関数、マクロを駆使して仕事を進めており、私は自然とマネするようになった。その分、付加価値のある仕事にほんの少しでも労力を割けるようになった)

といったもので、1年経過しても、右も左もわからないままの私に非常に有効でした。しかし、こういった手厚いフォローによる恩恵を受けていたにも関わらず、あまり成長実感は感じられませんでした。理由としては、「先輩のおんぶにだっこになっており、先輩がいないと自分は何もできないのではないか?」という無力感を感じていたからです。

そうこうしている内に、2年目の終わりが見えてきました。そこで、私としては初めて所属事業部の危機に直面します。当時の私は戦々恐々しました。
振り返ると、これが、私を変化に導く良薬になったと思っています。

自分自身に自然と発破をかけられたからです。ですが、後に語る変化にはまだまだ及びません。プライベートでは、変わらずのほほんと過ごしていました。貴重な20代が失われていくというのに・・・#3に続きます。


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