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私の中で行われた癒し

私は現在アラサー独身の母と2人暮らし
両親は私が17歳の時に離婚した

離婚するまでの家族は
家族と呼べるか分からないくらい
心も通ってなくて
笑顔もなくて
苦しみと悲しみと恐怖と涙
そんなものしか無かった気がする
冷たくてどんよりした印象

その渦の中心に居たのは
父方の祖母だった。

ヒステリックで精神的に狂ってる人
(当時はそんな風にしか見れなかった)

ここには書ききれないほどの
たくさんの酷いことがあった。
何年もずっと
私たち家族を引き裂くような
壊すようなことが沢山あった

それでも家族をずっと続けてたのは
母の愛と強さだった

最終的に離婚は子供たちから提案した。
もう見るに耐えない状況で
みんなが精神的におかしくなりそうだったから

世間体を気にする母は
私が成人するまでは片親にならない方がいい。と
言っていた

もう、そんなことどうでもよかった
今更なにをそんなこと言ってんだろう?と思うくらいに、めちゃくちゃだった

それが17歳

私には兄が2人いる
3つ上と8つ上

17歳のとき8つ上の兄が病気で亡くなった
くも膜下出血だった

親が離婚して3ヶ月後の出来事。

病気の原因は父の病気の遺伝からなるものだった
「家族を離婚にまで追いやってまだ苦しめたいのかよ。」私は父にそんなふうに思っていた

なぜなら
父はずっと祖母の攻撃から逃げて
全ての攻撃は母が受け止めて私達子供を守ってくれていたから。離婚の話が出た時にも祖母は荒れ狂った。母親に信じられないほどの罵声を浴びせた。そのことから守ったのは8つ上の兄だった。

私にとって
兄はスーパーヒーローみたいに強くて頼りがいがある、お兄ちゃん。
なのに私が憎くて憎くてしょうがない父の病気の遺伝のせいで亡くなった。

どうやって気持ちのやり場を持っていけばいいのか、どうやってこの気持ちを処理すればいいのか17歳の私には分からなかった。

ある日何気ないことがキッカケで
私の中の張り詰めていた糸が切れた。


それを境に私は毎日消えたいと思うようになった


それでも
死にたいではなく消えたいなのは
兄の死があったから
これ以上、母を悲しませれないから
死にたいと思うことすらも母を苦しめるような気がして消えたいと思っていた。

私がずっと抱えてきた気持ちは
「これ以上、母を苦しめたり悲しませたり泣かせたりしてはいけない。この人を傷つけてはいけない。守らなきゃ。」

だから、精神的にいっぱいいっぱいで、部屋からも出れない時期でも母には気を遣っていた

どこかでずっと
母親には失望されたくないし悲しませたくないと思ってた

この思いが私を長年強く縛り付けるものとなる。

この縛り付けている思いに気付いたのは今年に入ってからだ


自分が母に言われて嫌なこと
されて嫌なことに対して
「嫌な気持ちになるからやめて」の一言も言えないことに気付いた

このストッパーが

こんなこと言ったら母が傷つくかも。
嫌な思いするかも。
期待してた娘の反応じゃないってガッカリするかも。

こういう気持ちたちだった

この気付きを始まりに
私は過去の出来事たちとも向き合うことを決めた

祖母について
父について
そして母について

当時、物心ついた頃から17歳までの私はどう思っていたのか
どんな言葉を、投げかけたかったのか
そして、どんな風に言われたかったのか

瞑想を使い
インナーチャイルドを癒していく

恐ろしいほどの怒りと憎しみの感情が出てくる。
祖母に対しては
祖母が私達に吐いてきた罵詈雑言の数々と同じくらい、いやそれ以上の思いをぶつける幼い私がいた。

中高生の私は
祖母が生きていることが
全ての悪の根源だと思っていたらしい

全て瞑想の中でぶちまける

父にも母にも
当時の私の気持ちや想いをぶちまける

そして
私の中での家族をやり直していく

私は
ただ幸せな家族で在りたかっただけだった。
本当にそれだけだった。
何かモノが欲しいとか、大きな家がいいとか、
そんなことじゃなくて
お互いが1番に家族を大切にする家庭であって欲しかった。

私の心の奥底に閉じ込めていた
本当の想いは、それだけだった。

その想いを詰め込んだ
私の中の理想の家族を心に築いていく。

とても嬉しそうにニコニコしている幼い頃の私が目の前にいて、私の理想の家族の元で暮らしているのが見えた。

「よかった」
自然と笑顔になれた


私の過去に抱いていた
家族に対するコンプレックスは
これで解消された

それと同時に

どこかで
自分には幸せな家族なんて無理だと思って
諦めていたけど
私も幸せな家庭を築けるんだ。
幸せになっていいんだ。
って自分自身が幸せになることを許せた

そして、私は母との2人暮らしを解消する。
これは私が自分の思いを口に出せた事がキッカケで現実になったこと。

もう、私が居なくても母は十分に幸せに暮らしていける。
これは私にも言えることだ。
母がそばに居なくても私は幸せになれる。

こうして私の中にあった
家族に対する思いは癒されていった



私はここから自分の幸せを求めて生きていく


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